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vol.3 恋愛屋ジュン先生の非モテ童貞卒業講座
恋愛屋ジュン サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(56:47)は購入後に視聴可能。
一番まともかつ文章が上手いヤコバシさんの筆によって、童貞死闘篇の紹介文を書いていただきました。他の売る気ない人々とはひと味違う素晴らしい文章です。白熱教室の良心的支柱。
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第三話(全五話)
「非モテ」
この単語を目にして、わずかでも胸に疼きを感じた人は、この先も読み進めてほしい。
なぜ我々ーー動物としての頂点を極め万物の霊長となったニンゲンである我々が、今さらモテるとかモテないとかで悩んでいるのだろうか。「モテる・モテない」なんて、動物が気にすることじゃないか。少なくとも先進国の一員たる日本に住まう我々が、なぜそのような次元のことに心を煩わせなくてはならないのか?他にもっと心を向けるべき事柄が、この世には溢れているじゃないか。だから異性のことなんて気にせず、生きていけるはずだーーそう、そのはずなんだ。
それなのに。その思考とは切り離された、心の深いところで熾火が静かに燻っている。そして異性との接触は慈雨のように、これを優しく鎮火させる。しかし時が経てば異性を求める気持ちはまた、心の深いところから、熾火となって熱を放つ。この心の働きは何なのか?
異性への想い。
捨てたと思っていた動物としての本能は、実は全く捨てきれていなかった。我々がいくら知恵を持ち科学技術を身に付けようとも、その根幹である生物であるということ。動物であるということ。
それは生殖の放棄を許さない。我々は結局、動物なのだ。
非モテという単語を目にして心が疼くのは、この本能に負い目を感じているからに他ならない。心の深いところで異性を欲しているのに、理性ーーいや信奉する思想が、信ずる神が、それを封じ込めようとする。生殖したいという本能と、抑え込もうとする理性がぶつかった結果、非モテ童貞おぢ(ストーカー気質)が錬成される。その先に待つものは静かなる断種、もしくは世に仇なして抹消されるか。そのどちらかだ。
本作ではこの非モテ達に救いの糸が垂らされる。自己流で足掻いても効果がなかった我流童貞卒業ワナビーに、懇切丁寧な救いが示されている。
これまでも、多くの恋愛系の技術者の発信はあった。それこそ恋愛工学は一世を風靡し多くの非モテ童貞を救ってきた。非モテ童貞が恋愛テクノロジーで武装してその境遇と格闘し、勝利して飛び立っていった。しかしながら、その裏側で、こぼれ落ちた者達もいた。生存者バイアスによりその存在は明るみに出ていないが、確実に居る。というのも、恋愛工学をはじめとした技術は、それを扱うための、オスとしての最低限のレベルが要るからだ。そこに未達の者は、そもそも最初の第一歩を踏み出せない。踏み出せたとしても、正しく扱えない。当時ーー10年ほど前はこのような層には明確な処方箋はなかった。
ただ「頑張れ」と。
そして頑張れる人は元々のチカラがある人々であり、チカラなき者は、ズルズルと滑り落ちていく。このボーダーライン、いわば境界線以下の人、彼らを何とかして引き揚げたいと思い活動しているのが本作の講師ジュンさんなのである。
人間の家畜化。
白熱教室シリーズでは度々登場するフレーズがある。日本人、特に農村部で繰り返されてきた人間の、人間による品種改良。農業を効率化させるための最適化。非モテであっても有用な人間は、「つがい」をあてがわれて子孫を残せた。江戸時代までは当然のこととして、そして昭和では「お見合い」と言われたこの生殖活動の補助は、平成を経た現在では一般的ではなくなった。家畜化されきって自前で異性を獲得する力を失った者は、ここにきて急にハシゴを外されてしまったのだ。およそ人権という概念とは無縁の頃に始まった、生殖補助。それがなくなった最先端の時代に、今、我々は居る。
自由恋愛とは、弱肉強食だ。強い、モテる個体が総取りをする。そうなった時に家畜化された人々は為す術なく非モテ化していく。これは品種改良の過程で為された結果であるから、深部には自己責任とも言い難いものがある。家畜化された人間というのは、実に有益だ。労働を厭わず、指示に従い、勤勉に努力し続けることができる形質は、この日本がアジアでいち早く先進国になれた礎であろう。そんな礎が、崩れようとしている。
このままで良いのか?日本の礎たる家畜度が高い人間の血統を絶やすことは、国益を損なうのではないか。非モテを救い子孫を残させることは社会貢献になるのではないか?皆も欲しているのではないか?同じ境遇だった自分なら、やれるーー
そう信じて「恋愛屋ジュン」はインターネットの大海に漕ぎ出した。今やYouTubeのフォロワー23万人、独自運営のスクールの受講生は現在で4,500人、その年商は約5億円に届きつつある。こう聞くと反射的に情報商材のように感じる人もいるかもしれないが、それらとは全く逆のアプローチで受講生達に接しているからこその実績である。そのことは追って解説していくが、既に数千人単位の非モテの生殖を援けたその実績から繰り出される考え方は、実に家畜向きにチューニングされている。とにかく数値、パーセンテージで目標値を示してくれる。そしてそのため施策も具体的で、的確なテンプレを時流に合わせ用意してくれている。
かつて自身も非モテだったからわかる、落とし穴の数々ーー家畜改良により発生しがちなエラーがある。ひと昔前、恋愛工学において「フレンドシップ戦略」「非モテコミット」と呼ばれ言語化された概念。これらの概念は、一定以上のレベルにあるオスであればピンと来て理解ができるものであるが、そうでない重度に家畜化された者達はわからなかったのかもしれない。ジュン先生はこれらをさらに噛み砕き、数値化という明確な形で対策を授けてくれる。KPIを数値で設定し、あたかも製品設計をするエンジニアのように、数値改善の手当てをする。
「今はここの数値が悪いから、この部分にこの施策をして数値改善を図ります」
家畜はこのような動きが得意だ。与えられた目標に対し邁進して、改善の努力をすることは、家畜は家畜ゆえに大得意なのである。するとどうだろう。「大好きなあの子に振られて失恋した」という考え方ではなく、「試行回数を+1人した。分母が増えた。今のCVRは…」という考え方ができるようになってくるのだ。
自由恋愛市場という途方もない大海原に、目標となる灯台なしに進んではいつまでも岸に辿り着けない。恋愛屋ジュン先生は、彼らの水先案内人、灯台となるべく活動している。
他人のセックスを援ける。
野生を失った我々には、新たなソリューションが要る。失ったものを無理に取り返そうとするのではなく、新たな武器で補おう。
つづく
著・ヤコバシ
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第三話(全五話)
「非モテ」
この単語を目にして、わずかでも胸に疼きを感じた人は、この先も読み進めてほしい。
なぜ我々ーー動物としての頂点を極め万物の霊長となったニンゲンである我々が、今さらモテるとかモテないとかで悩んでいるのだろうか。「モテる・モテない」なんて、動物が気にすることじゃないか。少なくとも先進国の一員たる日本に住まう我々が、なぜそのような次元のことに心を煩わせなくてはならないのか?他にもっと心を向けるべき事柄が、この世には溢れているじゃないか。だから異性のことなんて気にせず、生きていけるはずだーーそう、そのはずなんだ。
それなのに。その思考とは切り離された、心の深いところで熾火が静かに燻っている。そして異性との接触は慈雨のように、これを優しく鎮火させる。しかし時が経てば異性を求める気持ちはまた、心の深いところから、熾火となって熱を放つ。この心の働きは何なのか?
異性への想い。
捨てたと思っていた動物としての本能は、実は全く捨てきれていなかった。我々がいくら知恵を持ち科学技術を身に付けようとも、その根幹である生物であるということ。動物であるということ。
それは生殖の放棄を許さない。我々は結局、動物なのだ。
非モテという単語を目にして心が疼くのは、この本能に負い目を感じているからに他ならない。心の深いところで異性を欲しているのに、理性ーーいや信奉する思想が、信ずる神が、それを封じ込めようとする。生殖したいという本能と、抑え込もうとする理性がぶつかった結果、非モテ童貞おぢ(ストーカー気質)が錬成される。その先に待つものは静かなる断種、もしくは世に仇なして抹消されるか。そのどちらかだ。
本作ではこの非モテ達に救いの糸が垂らされる。自己流で足掻いても効果がなかった我流童貞卒業ワナビーに、懇切丁寧な救いが示されている。
これまでも、多くの恋愛系の技術者の発信はあった。それこそ恋愛工学は一世を風靡し多くの非モテ童貞を救ってきた。非モテ童貞が恋愛テクノロジーで武装してその境遇と格闘し、勝利して飛び立っていった。しかしながら、その裏側で、こぼれ落ちた者達もいた。生存者バイアスによりその存在は明るみに出ていないが、確実に居る。というのも、恋愛工学をはじめとした技術は、それを扱うための、オスとしての最低限のレベルが要るからだ。そこに未達の者は、そもそも最初の第一歩を踏み出せない。踏み出せたとしても、正しく扱えない。当時ーー10年ほど前はこのような層には明確な処方箋はなかった。
ただ「頑張れ」と。
そして頑張れる人は元々のチカラがある人々であり、チカラなき者は、ズルズルと滑り落ちていく。このボーダーライン、いわば境界線以下の人、彼らを何とかして引き揚げたいと思い活動しているのが本作の講師ジュンさんなのである。
人間の家畜化。
白熱教室シリーズでは度々登場するフレーズがある。日本人、特に農村部で繰り返されてきた人間の、人間による品種改良。農業を効率化させるための最適化。非モテであっても有用な人間は、「つがい」をあてがわれて子孫を残せた。江戸時代までは当然のこととして、そして昭和では「お見合い」と言われたこの生殖活動の補助は、平成を経た現在では一般的ではなくなった。家畜化されきって自前で異性を獲得する力を失った者は、ここにきて急にハシゴを外されてしまったのだ。およそ人権という概念とは無縁の頃に始まった、生殖補助。それがなくなった最先端の時代に、今、我々は居る。
自由恋愛とは、弱肉強食だ。強い、モテる個体が総取りをする。そうなった時に家畜化された人々は為す術なく非モテ化していく。これは品種改良の過程で為された結果であるから、深部には自己責任とも言い難いものがある。家畜化された人間というのは、実に有益だ。労働を厭わず、指示に従い、勤勉に努力し続けることができる形質は、この日本がアジアでいち早く先進国になれた礎であろう。そんな礎が、崩れようとしている。
このままで良いのか?日本の礎たる家畜度が高い人間の血統を絶やすことは、国益を損なうのではないか。非モテを救い子孫を残させることは社会貢献になるのではないか?皆も欲しているのではないか?同じ境遇だった自分なら、やれるーー
そう信じて「恋愛屋ジュン」はインターネットの大海に漕ぎ出した。今やYouTubeのフォロワー23万人、独自運営のスクールの受講生は現在で4,500人、その年商は約5億円に届きつつある。こう聞くと反射的に情報商材のように感じる人もいるかもしれないが、それらとは全く逆のアプローチで受講生達に接しているからこその実績である。そのことは追って解説していくが、既に数千人単位の非モテの生殖を援けたその実績から繰り出される考え方は、実に家畜向きにチューニングされている。とにかく数値、パーセンテージで目標値を示してくれる。そしてそのため施策も具体的で、的確なテンプレを時流に合わせ用意してくれている。
かつて自身も非モテだったからわかる、落とし穴の数々ーー家畜改良により発生しがちなエラーがある。ひと昔前、恋愛工学において「フレンドシップ戦略」「非モテコミット」と呼ばれ言語化された概念。これらの概念は、一定以上のレベルにあるオスであればピンと来て理解ができるものであるが、そうでない重度に家畜化された者達はわからなかったのかもしれない。ジュン先生はこれらをさらに噛み砕き、数値化という明確な形で対策を授けてくれる。KPIを数値で設定し、あたかも製品設計をするエンジニアのように、数値改善の手当てをする。
「今はここの数値が悪いから、この部分にこの施策をして数値改善を図ります」
家畜はこのような動きが得意だ。与えられた目標に対し邁進して、改善の努力をすることは、家畜は家畜ゆえに大得意なのである。するとどうだろう。「大好きなあの子に振られて失恋した」という考え方ではなく、「試行回数を+1人した。分母が増えた。今のCVRは…」という考え方ができるようになってくるのだ。
自由恋愛市場という途方もない大海原に、目標となる灯台なしに進んではいつまでも岸に辿り着けない。恋愛屋ジュン先生は、彼らの水先案内人、灯台となるべく活動している。
他人のセックスを援ける。
野生を失った我々には、新たなソリューションが要る。失ったものを無理に取り返そうとするのではなく、新たな武器で補おう。
つづく
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