コロナで一時帰国をした日
2020年3月、私は夫の会社から出された帯同家族帰国命令で1歳の息子を連れ二人で帰国した。
必要最低限の荷物をテンパりながら無理やり詰め込んでいるときに、帰国後2週間待機の発令がされた。実家には公共交通機関を使わないと帰れない。施行日は帰国日の次の日。ぎりぎり間に合った。
私は妊娠中で悪阻もまだ継続中。1歳半の動き回りたい盛りの息子が寝てくれるだろうと選んだ深夜便での帰国。7時間半のフライト中ずっと息子を抱っこしたまま悪阻で襲ってくる吐気と倦怠感と10kgの息子が落ちないように起きないように支える腕と肩の疲労と痛みに耐えながらほぼ一睡もせずに着陸まで過ごした。
なんでこんなことになってしまったのだろう。出国カウンターで息子の体重を正直に10kgと伝えてしまったからバシネットが使えない。9kgって言えばよかった。偏食と食べムラが酷い息子は機内で出された食事は一切食べてくれなかったからきっと空腹で不機嫌になるだろうな。着陸は気圧の変化が激しいから息子の耳抜きの手順を考えなきゃ。そういえば、インドネシアの自宅で見た日本のニュースではお花見シーズンで連休に行楽地へ繰り出している日本人たちが映し出されていた。日本に帰国するのは正しかったのだろうか。でも、きっとまた6月くらいには戻れるよね。あ、今誰かが咳込む音がした。怖い。息子がぐずると斜め前の席の人がやたらこちらを見てくる。ellipsのヘアオイルもっと買ってくれば良かった。pipiltinのカカオニブ買いそびれたな。そんなことを考えて、フライトマップの画面を何度も何度も見て、早く早く早く着いてと祈るような気持ちでいたことは鮮明に憶えている。
日本に着いてからは、海外からの帰国者がコロナを持ち込んでいるとの批判の声が怖くて見るからに帰国者であるアイテムのスーツケースを空港から自宅に宅配で送った。
空港の外に出ると寒い。渡航してから1度も日本に帰らず一年中30度近い常夏のインドネシアジャカルタにいたため、寒さと清潔な街と乾いた空気と空の青さがとても懐かしかった。
空港から自宅へ向かうタクシーでも、運転手さんからどこの帰りかなどの質問にびくびくしながら答えてなるべく会話を避けた。
その日の夜はくたくたに疲れて、眠ろうとした時に渡航危険度レベルの引き上げのニュースを見て息子を寝かしつけながらそのまま眠りに落ちた。
2021年2月現在、インドネシアで年末から実施されている外国人の入国を制限している措置がまだ解除されていない。この一時帰国の間に生まれた次男がその制限に引っかかってしまって滞在許可がとれずまだインドネシアに戻って家族一緒に暮らせる目処はたっていない。