僕らの"楽しい"を"正しい"に。循り環り続ける人達に品川で会いましょう。
年齢を重ねる毎に一日、一月、一年の長さがとんでもなく短くなってきていて、これがなんとも物悲しい。
なんでも僕らの「人生の感度」が年齢と共に下がってきている事に一因があるらしい。
僕が格好いいと憧れる人達はそうならない為の環境や仕組みを見つけて飛び込んでいくか、あるいは自ら創る事でそれを克服していっている。
先週末の旧東海道品川宿で行われた例大祭で立ち回る人達を見て改めて感じた事だ。
天皇家に慶事があった年だけ出御するという大神輿が登場して、第一京浜道路が熱気を帯びた人の波に押し寄せられる光景は非日常的という他に無かった。
とくに意識が向けられたのは、僕より1周りぐらい年上の男衆の活き活きとした表情だったり、彼らの小学校のグラウンドで飛び交うような煽りの声だった。
こうして祭りが終わった後に思い返してみても、この人達が”いい大人”として東京のド真ん中でどんな風に生活を営んでるのか全く想像がつかない。
想像の話で言えば、満員電車の中で肩がぶつかったりぶつけられたりの日常がこの人達の中にも高い可能性であるのかもしれない。
そう考えると人の印象なんてそのタイミングで見る側面でしかなくて、もしその人を知る時間が少なく限られたものであった時には、自身の経験値に基づく想像力を働かせなければとても寛容な人間になどなれないだろうなぁ。
お神輿を担いで子供のようにはしゃぐ人達の表情や心はもしかしたら誰にでもあるものなのかも。
きっと僕らの”楽しい”は”正しい”にしておいた方が色々うまくいくんだろう。そう教えられた気がしたこの例大祭の3日間だった。
この町にはそんな価値観を許容してくれる雰囲気があって、それを提供する場所として外から来る人達と共有する仕組み作りを実践しているのが、僕の古巣である「ゲストハウス品川宿」だと思っている。
僕の知る既に世の中に何かを届けている感度の高い人達は、AIでほとんどのものが自動化されていく時代において、ありふれたモノやサービスに対する心で感じる価値が減少していく反面、コミュニケーションなどの体験への価値が相対して上がっていくという事を皆唱えてる。
ゲストハウス品川宿のキャッチコピーの一つ"Join the local experinence"はダイレクトにオーナーの思惑が汲み取れるし、その仕組みへの想像もさほど難しくない。
この業界では地域融合型という言葉も珍しくなくなってきているけれども、それに対する具体的なアクションを起こしているゲストハウスはそんなに多くないと思う。
ゲストハウスを単なる宿泊施設として回す事ならばマニュアルを徹底したオペレーションをこなせばそれなりのものにはなるだろう。
けれども、地域と世界を繋ぐコーディネーターとして立ち回る実力はまた違う所から来るものだから人材のハードルは高い。
ゲストハウス品川宿のスタッフは一直線で上昇して生きていく事に疑問を感じて、幸運にも一度立ち止まる事が出来た人達だと僕は思っている。
オーナーのタカさんの「感動の循環」という言葉に共感して、循り環る生き方の"楽しさ"に希望を見ているんじゃないかな。
時代が僕らの"楽しい"を"正しい"と素直に受け入れてくれるのには、もうちょっとだけ時間がかかるような気がする。
けど必ずいつかそんな時が来るとも思う。
その為に技術の進歩は目覚ましく遂げていってると僕は信じてる。
先駆けてその循環を創りだそうとするゲストハウス品川宿。
時代がひいこらやっと追いついて、彼らと邂逅する瞬間はきっと痛快だろうね。