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"北極冒険家トークライブ"冒険は日常の豊かさへと還っていく

Windows10のPC起動時に飛び込んでくる世界の絶景写真が好きだ。

あの待機時間の心持ちは意外とフラットな状態になれているので、純粋に凄いなぁ、美しいなぁ、いつか行ってみたいなぁなどという自分の心の源泉に気が付ける。

誰にも遠慮する必要が無い、現実に存在する絶景に妄想を巡らせる。文章に起こして客観的になってみてもそんな時の自分は幸せそうだ。

フラフラするような生活を20代終わりぐらいから3年ぐらいしていたものの、気づけば一つの場所に留まるような生活も同じく3年。

そんな折でご近所のKAIDO books&coffeeが冒険をテーマにしたトークライブを行うという事で足を運んでみた。

今回登壇されたのは北極冒険家の荻田泰永氏。

「日本人初の南極点無補給単独徒歩到達」に成功した方という事で、非日常的な場所に足を運ぶだけに飽き足らずに自らにストイックなテーマを課す事で体験の質を上げていける人なのだなぁ、と今回のトークライブの内容を聴いても感じられた。

トピックに上がった冒険『北極圏を目指す冒険ウォーク2019』もいままで荻田氏が行ってきた冒険らとは大きく趣旨の違ったもので、20代の冒険とは無縁で過ごしてき若者たちを引き連れ、カナダ北極圏・バフィン島を各々1台のソリを引き、全ルート踏破を目指すというものだった。

その趣旨を聴いて今回多くのストーリーを持って帰ってきているのは荻田氏ではなく、この冒険に志願した15名の若者達である事を僕は想像した。

また、恐らくこの僕の着眼点に近いものが荻田氏の今回自身へ課した大きなお題であったのではないかとも思う。

トークライブで語られた内容も荻田氏と彼らのヒューマンドラマ的なエピソードが多くて、聴いてる分にはなんだか青臭くて微笑ましかったけれども彼らが身を置いていた場所は生きるか死ぬかの世界でもあったので、荻田氏は常にそこのラインを意識させていたかったからこそのエピソードなんだろう。

そこから派生していく若者達の思考の動きに、常に荻田氏は気を配っていたのではないかな。

荻田氏の発言で特に印象深いのが、この北極という冒険の舞台の情報量の少なさから産み出されるシックスセンスに関してのものだった。

東京で暮らしていると街を歩いているだけで広告などの大量の情報が入ってきて、思考回路を一極集中化する事がひどく難しいという経験はバックパッカーの経験がある僕自身もよく分かっている。

彼らが1月近く過ごした環境、北極はいわば無地のキャンパスのようなものでウォーキングの間も他人と話す余裕などは無いだろうし、一種の瞑想みたいな状態になっていたのではないだろうか。

荻田氏いわく数百メートル先のシロクマの足音にも気付ける状態まで感覚が研ぎ澄まされるので、この状態で東京に戻ってくるとその調整が難しくなってしまい、必要以上に情報への意識が向けられてしまう事によってかなりの疲弊感を覚えるらしい。

このような話からも僕らが日常で過ごしてるこの世界とは対極と言ってもいい所に位置するのが北極という場所なんだろう。

トークが進行していく最中でそんな事を想像していたので、彼らが600km以上の行程を1ヶ月の時間を経てゴールのクライドリバーに辿り着いた瞬間の映像が会場に流れた時には、かなりの達成感が満ち溢れたもののように僕の目には映った。

けれども彼らの感想は違って、「こんなもので終わりなのか」という気持ちが大きかったらしい。
しかもこの意見は荻田氏の方から同意を促したものだったから更に驚いた。

これに関してはイベント終了後に僕の方で持ち帰って考察する必要があると思った事の一つだった。


冒険や旅というものは自分自身の価値観や感度のアップデートの手段だと捉えられる事があるし、彼ら自身もそれを期待して今回の冒険に胸を膨らませて当初は手を挙げたのかもしれない。
でもそれが体感できるのは、もしかしたら再び元の日常に戻っていってからしばらく経ったタイミングでなのかもしれない。

彼らの今回のお土産は、対極の環境に身を置いた事によって得たもう一つの"視点"ではないかと僕は思う。

それはきっと彼らがこれから日常で得ていく経験に対して"相対性"を持たせる事が出来るのだろう。
あらゆる人生のイベントに対してこの北極冒険を指標として捉えて比較、考察してベターを積み重ねて答えを見つける道を歩んでいく事が出来るんじゃないかな。

それってとっても豊かで幸せなコトに感じる。

今回のトークイベントは僕自身が記事に起こした事にすごく価値があったと末筆ながらに思う。

また自分に出逢う為の旅をしたくなったよ。

#冒険 #まちづくり #品川 #旅 #荻田泰永 #北極 #KAIDObooks & coffee #イベント