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解決!『紅白梅図屛風』鑑賞アップデート

はじめに 

みなさんにとって、天才 尾形光琳の最高傑作とはなんでしょう?

たくさんの意見がありますが、わたしは『燕子花図』が一推しです!
金箔の背景に凛とした燕子花がリズム良く配置されている。ただそれだけなのに、これ以上必要ないと思わせる潔さがあります。素晴らしい作品です。
ですが、一般的には尾形光琳の最高傑作は『紅白梅図屏風』になります。
中央の川は大胆で面白い構図に配置されていると思いますし、梅の枝振りは擬人化して語りたくもあります。でも・・・
なぜ、川が中央に配置されているのに、真っ二つに分断されているのだろう?
仏画ならあり得ません。中央の仏様を半分に斬ったら怒られます。ちょっと疑問です。
次に、中央の川がなぜで表現されているのだろう?
もちろん黒地に銀で表現された波模様は素晴らしいの一言に尽きますが、
でもいくら何でも渋すぎない?夜の水面を表しているのでしょうか、
でも周りは金箔なので違うかもしれません。
絵の見方はそれぞれですが、
書籍を読むと光琳が憧れた俵屋宗達『風神雷神図屏風』へのオマージュ的意味合いがあるとも言われ、風神雷神が紅梅白梅に入れ替わったとも考えられているようです。
 そんな『紅白梅図屏風』にぼんやりとした疑問を持ちつつ、新しい鑑賞の視点があるのではないかと思索しました。
すると!光琳の意図したかもしれない置き方を見つけることになりました。
これから書き記しますので、みなさんに新しい置き方で『紅白梅図屏風』を鑑賞していただきたいです。



自己紹介

 最初に自己紹介です。私は油絵の画家になります。

『もの・かたり』代官山ヒルサイドフォーラム 2019 


大きな円筒面に蛇が巻き付いた絵を描いてます。
人の身長を超える大きな画面ですので、回って歩いて鑑賞する作品になります。
そんな絵を描いてますから鑑賞状況や鑑賞者が立ち歩くことが気になるポイントになります。
ですので日本美術の屏風がどのように置かれて、どのように鑑賞されていたのかを調べています。

作品の分析は一般的には
誰によって、いつの時代に、何が描かれ、何によって描かれているか?
・絵師(作者)
・時代
・図像
・材料
が問題になります。

私の場合は
どんな画面形式に描いているのか?
→掛軸・屏風・絵巻物など
どのような状況に置かれていたか?
→場所・時間・灯り
どのような階層の人々が見ていたのか?
→ポジション
絵の外的要因はどのような効果をもたらすのか?
→鑑賞 
ということを想像します。

ここ数年は屏風の鑑賞状況を調べています。
そこで大きな発見がありました。それが『日月山水図屏風』です。
謎解き!日月山水図屏風 鑑賞の源へ
こちらはすでにnoteに発表しました。興味のある方はお読みいただけるとうれしいです。
尾形光琳『紅白梅図屏風』も新規軸を発見することになりました。
きっかけはミニチュア名作屏風を買い集め、取っ替え引っ替え、立て回して絶妙な置き方視点を探していました。
 
その時にどんな感じで屏風を鑑賞しているかというと、
最初に“視線“の高さを調整します。
床に正座で見ている高さに調整します。原寸大の本物屏風を見ているなら床から約90㎝の高さです。実際にはミニチュアの屏風を使っているのでテーブルにアゴを乗せて視線を低く固定します。こうするとローアングルで屏風を鑑賞できます。
 美術館で歩き回る視線ではなく、和室に置かれた屏風を畳に座って見る視線になります。
視線の高さが決まったら、和室に屏風がある状態を想像し、目の前で座っている自分を想像します。(1/10サイズの屏風なら1/10サイズに小さくなった自分を想像します)この時に細かいシチュエーションを考えながら鑑賞すると楽しいです。
例えば、お膳に置かれたお銚子と盃でお酒を飲んでいるくらいの気持ちで鑑賞したいです。自分の屏風ですので寝転がっても誰にも怒られません。
脱力して、リラックスしましょう。
美術館に向学心で来訪しているような、まじめな感じではありませんね。
美術館ではお酒を飲んだり、寝転がったりすると怒られます。気を付けましょう。

さらに場合によっては部屋の明かりを消して蝋燭の灯りで見ます。
なぜなら屏風が盛んに作られた中世には蛍光灯もLED電球もないからです。
 名作屏風を明るく照らして隅から隅まで穴が開くほど見てみたいのは普通の欲求かもしれません。一般的な研究ならば、すべてを明らかにするため“明るさ”は必要になります。
しかし、鑑賞状況を調べるには蛍光灯もLED電球も明るすぎるのです。そのため
“中世の灯り”で鑑賞することが何よりも大切な事になります。
“中世の灯り”とは蝋燭による鑑賞と、時間によって変化する自然光の鑑賞になります。
蝋燭を使うことには大きな意味があります。蝋燭を使うと画面の金箔は炎を反射して画面はゆらめきます。その揺らめきは静止しているはずの画面が動いているように感じるのです。素朴なアニメーション効果といってもいいかもしれません。
自然光の時間による変化は一つの作品が全く別の作品なのではないかと勘違いするほどの変化があります。朝・昼・夕は明るさの強弱と明かりの角度が違います。その光を受け止める金箔は絵に別々の印象を引き出します。
このことに気づけたのは2006年に開催されたプライスコレクション 「若冲と江戸絵画」展によります。
江戸絵画の世界的コレクタージョー・D・プライス
「江戸時代には自然光が入る屋内で見ていた。画家もそれを計算して描いたはず」と考え、東京国立博物館で開催された展覧会において、館内照明の一画を自然光の時間変化に近づけさせました。(Wikipediaから抜粋)
「日本美術を鑑賞する際、光の果たす役割は非常に重要である」
これはプライス氏の持論です。
プライスコレクション展では金箔地屏風の調光変化による印象変化は驚きでした。
朝・昼・夕方・夜の変化は同じ作品とは思えないほど別々の表情を生み出していたのです。
以前の私は日本美術の金箔は成金趣味のようだと考えていました。
権力者や有力商人の自己顕示欲で金ぴか絵画を絵師に描かせていたと思っていました。
それが、まったく間違っていたのです。
金箔を使うということは外部の光を取り込み、絵画表現の一助になっていたのです。
当時、私はプライス氏の提言がこれから日本美術鑑賞のスタンダードになるだろうと興奮して思っていました。
しかし、残念ながら現在でも美術館の展示はフラットで明るい、調光変化のない照明が続いています。
私はプライス氏の考えを引き継ぎ、調光変化による印象変化を重要な要素と考え
作品制作に取り入れてます。

白井忠俊展 遮蔽礼讚 2024
灯りを計算した古民家での展示

灯りと想像力を駆使すれば臨場感たっぷりの鑑賞になります。皆さんもお試しください!


解決!『紅白梅図屏風』

ここで『紅白梅図屏風』とは如何なる作品なのか
尾形光琳とはどのような人物であったのか見ていきましょう。
作者 尾形光琳
時代 江戸時代(18世紀)
素材 紙本金地着色 二曲一双 屏風
サイズ 各 156.0×172.2㎝
弘前藩津軽家に伝来し、大正になって岡田茂吉が購入、MOA美術館の所蔵となっています。

尾形光琳のプロフィールから始めましょう。
生まれは江戸時代中期。雁金屋の次男坊、呉服商のボンボンです。
何不自由なく京都の町で幼少期を過ごしました。
色恋沙汰も多く、未婚の時に子供ができて養子にやったり
女性に訴えられて、家と銀二十枚で示談にしたりなどしています。
放蕩息子のダメオトコです。
父が亡くなり、相続したお金も使い切り、困窮した果てに30代後半から絵を描き始めました。弟の尾形乾山の勧めです。
持って生まれたセンスの良さで44歳で宮廷から法橋という称号を賜りました。
“法橋“とは“ほっきょう”と読み、絵師に与えられる最高位の称号になります。俵屋宗達も法橋の称号を賜りました。
 
 尾形光琳は呉服商の息子であったため最高レベルのデザイン(意匠)を日常的に触れていました。しかも俵屋宗達とは遠い親類関係で宗達を私淑していたと考えられています。
“私淑“とは尊敬する人に直接には教えが受けられないが、その人を模範として慕い、学ぶことになります。宗達は4世代ほど前の絵師ですので、すでに光琳が生まれた時には故人でした。
 俵屋宗達は江戸時代初期の狩野派全盛のなか、平安時代以来の日本独自のやまと絵を規範に新しい様式のやまと絵を生み出す絵師でした。
狩野派は武士に好まれる龍、鷲、獅子、虎、巨樹を力強く描く流派です。
言い換えれば、ヤンキー趣味の原点です。
やまと絵は日本独自の雅な文化や肩ひじ張らない抜けの良いスタイリッシュな画風になります。都会的で裏原宿とかシティポップみたいなスタイルです。俵屋宗達の画風は抜けがよくて上手いのか下手なのかよくわからない軽やかさがあります。もちろん上手いので『風神雷神図屏風』を生み出しました。
その宗達を私淑して、バージョンアップさせて後世に“琳派”と呼ばれる潮流を生み出したのが尾形光琳だと私は考えています。
琳派は近代のモダンデザインとの親和性があるほど、スッキリさっぱりしています。海外でも“RINPA”で通るほどの近代性・現代性を備えているスタイルです。江戸時代前期に上方町人の経済力を背景に元禄文化が華開きました。その代表的絵師が尾形光琳になります。

次に晩年に生み出されたとされる『紅白梅図屏風』について見ていきましょう。

ミニチュア『紅白梅図屏風』の配置写真① 撮影:白井忠俊

絵の内容は文字起こしするまでもない単純明快な絵柄になります。
左右に紅梅と白梅があり、中央に川が流れています。奥から手前に流れているように見えます。
川を正面中央に描き、両脇に紅白梅を配置する堂々とした構図になります。

通常の置き方で見てください。
確かに素晴らしい作品ですが、中央に描かれた川には二つの疑問点があると私は考えます。
①真っ二つ、縦に分断されていること
②黒い川であること

①に関しては二曲一双の屏風形式に当てはめたので仕方なく、分断したのかもしれません。屏風は六曲一双が一般的です。ですが琳派の祖と言われる俵屋宗達は二曲一双の画面形式を好みました。以後、琳派の継承者たちは二曲一双の作品を作るようになります。『風神雷神図屏風』も同じ画面形式ですのでオマージュ的な意味合いで同じ画面形式を選んだのかもしれません。

②なぜ川を派手で目立つ表現にしなかったのか?
もちろん派手にすればもっと良い絵になるわけではありませんが、暗く渋すぎる川の表現だとは言えます。
光琳が描いた別の作品を見てみると、歌留多(かるた)の一枚に中央に川が流れ、もみじの葉が流れています。その絵では川は“青く“表現されています。
なので意図を持って“黒い川”にしている事になります。
なお、黒い水面を描いた技法や材料は新知見が現在進行形で出ています。しかしこの文章では技法や材料には立ち入りません。日本画材の専門家ではありませんし、私の興味は鑑賞方法にありますので、色が黒く暗いことを論述します。

なぜ、わたしが『紅白梅図屏風』に興味を持つようになったのか?
最初に記したように私が好きな光琳作品は『燕子花図屏風』です。
それでも『紅白梅図屏風』には何かが、引っ掛かり続けていました。
 私は先達の著作を読み、度々あらわれる『紅白梅図屏風』についての文章に強く惹きつけられていました。特に惹きつけられたのは
画家岡本太郎・画家中西夏之・画家母袋俊也の三氏の著作です。

『日本の伝統』 岡本太郎著
p102 三 光琳 非情の伝統

『大括弧―緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置』中西夏之著
p82     尾形光琳 二曲一双と対峙する円盤の意識
p103 「紅白梅図屏風」再会の予測
p157 「紅白梅図屏風」享楽と非情

『絵画ヘ 1990−2018美術論集』  母袋俊也著
p10     絵画における信仰性とフォーマート 偶数性と奇数性をめぐって

その文章の魅力から、『紅白梅図屏風』に強い興味がわかなくとも、いつか焦点が合う時が来るだろうと予感してました。
ようやく、ピントが合い、私の光琳解釈を執筆する段階に来ました。

尾形光琳の隠した狙い

それでは結論の“私が考える鑑賞方法“になります。
屏風を立て回すなかで見つけました。

ミニチュア『紅白梅図屏風』配置写真②  撮影:白井忠俊

いかがでしょうか?
ダブレットでご覧になっている方は屏風の中心に入っていくつもりで、画面いっぱいに屏風を拡大してください。
すっきりとした、より奥行きのある表現になると思います。その理由は白梅と紅梅のサイズがより強調されるからになります。白梅は画面からはみ出て、また上部から垂れ下がりまた上昇します。はみ出ることにより手前に大きな白梅があることを暗示してます。
紅梅はおおよその全体像がわかるようにまとまって描かれています。
 右隻左隻は前後に配置され、中央に通り道を作りました。これは前回のテキストで分析した『日月山水図屏風』と同じ考えになります。しかし、
今回は道を通る人物は儀礼を授けられる修行僧ではありません。

 私の予想は舞妓・芸妓さんです。この通り道から現れ、正座で挨拶し、お酌に回っていたのだと思います。


紅白梅図屏風 設置予想図 作成.白井忠俊


川が明るく派手な青だと中央から現れる舞妓・芸妓さんの煌びやかな衣装が相殺されてしまいファーストインプレッションが弱くなってしまいます。
そのため川は黒く表現され、コントラストで衣装を引き立たせる役割があったのだと思います。
黒い川から現れる舞妓・芸妓さんは水の精霊、もしくは流れる花びらに見立てられたかもしれません。
名前が小梅ちゃんなら完璧です。
もっと艶っぽく語るなら、暗闇に儚げで可憐な少女がきらびやかな衣装で上目遣いでこちらを見ていたかもしれませんし、または妖婦(ファムファタル)のような異界からやってきた手練手管の妖しい流し目をした、妙に色気のある年増の女性がいたかもしれません。

 さらに可能性を高める要素がありました。それは右隻左隻に描かれた波のサイズです。
左右を同じ位置で並べると

ミニチュア『紅白梅図屏風』拡大写真部分 撮影:白井忠俊


左側と比べ、右側の波模様が大きく描かれているのがお分かりになるでしょうか?大きく描かれた波模様を後ろに下げると波模様は徐々に小さくなります。


ミニチュア『紅白梅図屏風』拡大写真部分 撮影:白井忠俊

私の見つけた置き方にすると、左右の波サイズがちょうど良くなります。
屏風の置き方によって生み出せる空間表現です。
普通の平面絵画なら一枚の絵に透視図法と空気遠近法、明暗などによって一枚の平面上に空間表現がなされます。
一双(1ペア)の屏風であればアイデアによって無限の“現実立体仮想空間”を生み出すことができます。

現実立体仮想空間とは私の造語になりますので説明します。
通常の絵画は壁に掛けた平面であることが前提になります。屏風のように折り曲げて立たせることはありません。西洋絵画は絵の中で空間表現を試みます。線遠近法や空気遠近法などを駆使して絵の中に空間を構築します。
 日本美術の屏風は折り曲げて左右に立たせます。ですが、置き方にちょっとした工夫をすれば“現実立体仮想空間”を演出することができます。
 この違いを例えるならば、有名タレントを起用したB1ポスターと販促用等身大パネルだと考えてください。
ポスターがB1サイズなら、その中でデザインします。そして壁に貼ります。
(これは西洋絵画)
等身大パネルならどうでしょう?それらは自立して立つ工夫がしてあります。遠目から見たら某有名タレントがお店で商品をお勧めしているように見えるかもしれません。これが有名観光地に置いてあれば並んで写真を撮るかもしれません。顔の部分に穴が開いていれば、そこに顔を当てはめて記念写真を撮りたくなります。(これが日本美術)
誰もがプリントされた人物写真であることはわかっています。それでも仮想のものを現実の空間に当てはめて遊ぶ楽しさがあります。
 日本美術の屏風はしかめっ面して正面から対峙して凝視する鑑賞だけを狙っているとは思えません。折り曲げて自立する屏風は置き方を探すことができます。一双(1ペア)の屏風なら屏風との間に道を作ることもできます。その道を通れば仮想空間に入り込んだことになります。

でも、
「こんな置き方を当時の人たちがしていたのかは、わからないじゃないか!」と皆さん思われると思います。
実際に伝来していませんから、その通りです。
光琳は置き方を誰にも教えてないかもしれません。
この置き方は私淑する俵屋宗達に向けた返歌(かえしうた)だと私は考えてます。
屏風を注文したクライアント(弘前藩津軽家)を喜ばせるためではなく、宗達に向けているアイデアだと思います。
光琳は“いけずな京都人“です。懇切丁寧に作品について教えるわけがありません。
『紅白梅図屛風』は俵屋宗達『風神雷神図屏風』の素晴らしさに憧れ、乗り越えようとした作品になります。この置き方こそが返歌です。
なぜ、この置き方が俵屋宗達への返歌になるのか?
なぜなら、この置き方には“元ネタ”があるからです。
元ネタとはデジタル復元師小林泰三さんの『風神雷神図屏風』の置き方になります。

『誤解だらけの日本美術ーデジタル復元が解き明かす「わびさび」ー』光文社
著者:小林泰三 

以下に掲載する図版が『風神雷神図屏風』小林バージョンの置き方になります。
通常は上から見るとVとVを合わせてWになるように屏風を置きますが、
下記の場合は内側を一直線に合わせ、3面スクリーンになるように置きます。風神・雷神が実際に向かい合うように屏風を折り曲げています。
私は通常の美術館での展示よりずっとお洒落な置き方だと思います。
 

『風神雷神図屛風』設置監修 小林泰三

この置き方にたどり着くには本家本元の俵屋宗達『風神雷神図屏風』と尾形光琳の模写した『風神雷神図屏風』の違いによって導かれました。
それは“視線”になります。

視線の違い

 光琳は睨みあうように黒目を配置しました。ぱっと見の印象で
風神と雷神が睨みあっていると思うのは当然です。私も睨みあっていると思ってました。しかしオリジナルの俵屋宗達版『風神雷神図屏風』はそんな簡単な考えで黒目を描いてはいませんでした。
雷神は天空を舞っているため、地上の人々を見るように斜め下に黒目が描かれています。次に問題は風神の視線になります。雷神を見ていると思っていたら、黒目がど真ん中に配置されています。
しかし、3面スクリーンで置くと風神の向きが雷神に向いているので正面を見ていれば雷神に向かって飛んでいて、目を寄せなくとも雷神を見ているようになります。
 雲の形も視線とリンクしてます。雷神の雲は上から下へ、風神の雲は雷神に向かって三角形になっています。

『デジタル復元 風神雷神図屛風①』復元監修 小林泰三
風神の視線は雷神へ、雷神の視線は中央下へ

しかも、絵画の中だけで完結した絵ではなく、鑑賞者も取り込んだ視線を意識していたかもしれません。
中世には美術館はありませんから鑑賞するとしたら、建仁寺の和室空間で見ます。和室は立ちっぱなしでいる場所ではありません。
必ず畳か板の間に座ります。
屏風の前にガラスもありませんから、屏風の目の前に座って対峙します。
すると
“視線のトルネード”が起きるのです!

『デジタル復元 風神雷神図屛風』復元監修 小林泰三
鑑賞者を組み合わせた視線のトルネード

『風神雷神図屛風』は画集の図版で見ても、素晴らしい作品です。
美術館でガラスケースにW型に置かれていても素晴らしい作品です。
しかし、江戸時代の状況で見ると五感で体験するような4Dアトラクションシアターであったのかもしれません。
さらに鑑賞状況を上書きしてみましょう。

行燈と燭台


 行燈は障子が貼られているため光が拡散し、目の前のものを全体的に照らしてくれます。お膳の近くに置かれて食事を照らしたはずです。
 燭台は蝋燭の中心が最も明るく、離れるに従って弱くなります。炎のゆらめきもダイレクトに金屏風にあたり反射します。ゆらめきは屏風鑑賞に劇的効果を発揮します。暗闇で蝋燭によって照らされた金屏風は絵柄が揺れ動き、ちょっとしたアニメーション効果を生み出すのです。
しかし、みなさん勘違いしないでください。
蝋燭の効果はあくまでも鑑賞者の作品に対する没入感により感じられます。
アートラボを鑑賞しているような動きはありませんから、期待しすぎないようにお願いします。
少ない情報量をいくつか掛け合わせて脳内で増幅させる訓練をしましょう。
それが絵画鑑賞であり、日本美術鑑賞の要になります。

 それでは『風神雷神図屛風』ではどのような効果が見込まれるでしょうか?
私は小林泰三さんの講演会で復元『風神雷神図屛風』を暗闇の中で揺らめくLED電球を使って鑑賞体験しました。目の前に置かれた屏風を前に正座で相対峙し、揺らめく灯りで雷神と向かい合いました。すると!

復元『風神雷神図屏風』ゆらめくLED電球の反射

目玉と牙が反射して光ったのです。プライスコレクション展でも驚きましたがこんな面白い鑑賞体験があるとは思いませんでした。
もし『紅白梅図屏風』であれば梅の枝は風で揺れているように感じられ、川の水面は揺れ動き、流れているように見えるかもしれません。

 現代の環境で見ていることは、昔より良い環境で見ていると思い違いを私たちはしているのではないでしょうか?
映画やアニメーションは動くけど絵画は動かないと決めつけてはいないでしょうか?
 視覚情報を脳というアンプで増幅することができるのです。
ジョープライス氏と小林泰三氏の日本美術鑑賞方法が次のレベルに私たちを引き上げてくれます。


宗達を超えた光琳

 尾形光琳は俵屋宗達の凄みをゆっくり噛み締めて咀嚼し我が物にしていったと思います。そのための模写が尾形光琳版『風神雷神図屏風』であったはずです。
文献を読むと光琳の模写は、宗達を理解できなかった証拠のように細かなダメ出しをされますが、あの模写により多くの理解が進んだと思います。
模写は描いた後のモヤモヤがあります。なぜ見たまま描いているのに微妙に違うのだろう?という違和感に向き合い、ふとしたきっかけで腑に落ちます。そして、自作に活かすのです。
 それが『紅白梅図屏風』になります。
 光琳版の模写では雷神の光背と風神の風をはらんだ白い布が画面におさまり過ぎて、宗達と比べ迫力が足りないとも言われます。宗達版は画面から少しはみ出ています。
これに関して光琳は白梅が画面からはみ出て、また画面に戻ってくる枝ぶりによって迫力ある大きさをイメージさせる手法を取り入れています。

 『紅白梅図屏風』の置き方もギザギザのW型に屏風を置くというセオリーから離れて、3面スクリーンで置く『風神雷神図屏風』の置き方にならいつつ、それに加え右隻左隻を前後にずらして通り道を作りました。このアイデアは宗達を超えています。

 水流の紋様も右隻左隻でサイズを変え、前後にずらしてサイズが合うようにしています。このアイデアは宗達でさえ思いつかなかったことです。

光琳は宗達を超えることを達成しています。


いけず光琳

ではなぜ、分かりにくい仕掛けが織り込まれているのでしょう?
光琳の人物像を知るには「光琳笹」というエピソードがあります。
都の友人たちと山海の珍味を持ち寄って雅な花見をすることになりました。
当日は嵐山に集まり、友人たちは自慢のお重を持ち寄りました。
そんな中、花見をしていると光琳は竹の皮包みからおにぎりを取り出し、むしゃむしゃ食べました。
友人たちは集まりの主旨とは違う光琳を嘲笑しました。
しかし、よく見ると竹の皮の裏には金箔が貼られ、蒔絵が施されていました。
食べおわった光琳は惜しげもなく竹の皮を大堰川に捨てました。

 都会育ちの嫌味なほどセンスのいい光琳が伝わるでしょうか?
炭火焼きを楽しむのに霜降り牛肉を持ってくるお金持ちはある意味“野暮“なのです。秋刀魚と大根と酢橘をセットで持ってきたり、人気の厚揚げと畳鰯を持ってくるのもイイかもしれません。でも光琳のセンスはずっと上になります。
このような“粋(すい)“の文化が元禄時代の上方にありました。これはのちに江戸で“粋(いき)“の文化になり華開きました。
ぱっと見では分からない、隠されたお洒落を競い合っていたのだと思います。
 描かれた絵だけを見ていても光琳の謎かけは見つかりません。
屏風を立て回し、我が物として遊び尽くしたその先に、
いけず光琳の遊び心が見つかるのです。

落款から探る

落款(サイン)の謎を読み解きます。
右隻左隻には別の落款が書かれています。
紅梅には「青々光琳」、白梅には「法橋光琳」です。なぜでしょうか?
一般的な屏風の置き方は左右に立ってます。
そのため右隻も左隻もイーブン(対等)な関係です。ですので同じ落款が書かれることが普通です。
 私の考えでは『紅白梅図屏風』の置き方は違います。特殊な置き方です。
尾形光琳には“ある思い“を込めて落款したように思えます。
それは今までの研究者の方々が語ってきたように、俵屋宗達『風神雷神図屛風』への私淑だと思います。
絵師としての自信と師への感謝が込めれれているように感じます。
描かれた紅梅白梅と落款を組み合わせて意味を探ります。

絵柄   落款      意味
紅梅・・・青々光琳 ⇒  青二才、サイコロの1は赤、赤ちゃん 若輩者

白梅・・・法橋光琳 ⇒  白い雷神、白髪         成熟・老練

青二才の私(青々光琳)でしたが、俵屋宗達先生を私淑し、師が賜っていた法橋を私も(法橋光琳)賜ることができました。
これが私の読み解きになります。

ここからさらに、紅梅の描かれ方も見てみましょう。
この屏風は擬人化されたような部分が多く見受けられます。
この読み解きは美術史家 小林太一郎(1901~63)の説が有名です。
私が初めて読んだときはセクシャルすぎて衝撃でした。
画面中央の川は女体を表し、梅の木は男性を表すという大胆な説です。
そんなバカなと思いますが、紅梅に関しては本当に人体の一部であるかのような形態が確認できます。ですので小林説をすべて鵜呑みにはしませんが、私なりに紅梅の分析を試みます。

ミニチュア屏風部分 紅梅

上記が紅梅の全体図になります。人によって気になるポイントは変わりますが
私は2ヶ所が気になります。一つは根元になります。私にはどうしても斜め後ろから見た“人の足“にしか見えません。梅は幹の中心が枯れても皮部分が生きていれば問題なく育つ樹木なので中心が空洞になっていたりします。なので梅の幹の特徴は確かに捉えていますが、でも足に見えます。
 私の見立ては画面中央に対して背を向けているように見えます。絵師になることや真面目に世の中で働くことに対して背を向けて、遊び呆けていた若い頃の光琳を表していると考えます。
 皆さんにはどのように見えるでしょうか?

ミニチュア屏風部分 根本

 次に私の気になるポイントは“合掌”しているような枝です。画面中央に向けて手を合わせているように見えます。この私の見立ては俵屋宗達への憧れと感謝になります。放蕩三昧の生活から絵師の道に進み、進むべき道標となった宗達の画風に対する感謝を表すように見えます。

ミニチュア屏風部分 

どちらの見立ても個人的であり恣意的に解釈しています。自信を持って言えるような内容ではありません。ですが
私の場合、描いた絵画すべてが個人的でオリジナルに生み出せたと考えていません。先人や師と仰ぐ画家の影響もあり、生み出せたと考えてます。
個人的に鑑賞者にバレないようにオマージュを隠して入れたくなる気持ちがわかります。尾形光琳は意外と謙虚な方だと思います。


月夜の晩

私はこの作品に尾形光琳の満足感や絵師としての充実を落款から感じています。二つの落款は自らの成長を表すことは確かです。
 納得できる作品が完成した時にどんなシチュエーションで光琳は見ていたでしょうか?先述したように私は室内で屏風中央から舞妓・芸妓が現れるシチュエーションを予想しましたが、まさに絵所で完成したばかりの時にはどうだったでしょう。別の角度から鑑賞状況を考えます。

 最初に、完成直後は絵の印象がちょっと違っていたようです。
波の銀色はもっと輝いていたようです。現在の渋すぎる印象は一度イメージから外すべきだと思います。
参考にしたのは日本画家森山知己さんのホームページに掲載されている復元『紅白梅図屏風』になります。
光琳波の特殊な技法も掲載されていて勉強になりました。光琳波は現在よりも銀が輝いていました。300年の時間経過により、銀の酸化が進んでしまったようです。森山さんの復元作品により、私の作品解釈の解像度が上がりました。

 次に鑑賞した場所になりますが、光琳の自宅だと考えます。
光琳は晩年に江戸から京都に戻り、自らが設計した屋敷を建てました。
屋敷の図面が残っていて“光琳屋敷“としてMOA美術館の敷地内に復元されています。この建物の中に画室があり、このスペースで描かれたと考えられています。

 ここから私の妄想なのですが光琳は完成した時に弟の乾山を呼んだと思います。意図の通じ合う兄弟二人で完璧なシチュエーションで祝杯を挙げたと想像します。
 そのシチュエーションですが、画室ではなく庭に屏風を置いたと思います。
しかも満月の夜に庭に置き、月明かりを屏風に当てて鑑賞していたのではないかと想像します。
 このイメージには写真家杉本博司の『月下紅白梅図』を参考にしました。モノクロで露出アンダー、コントラストを上げた原寸大の屏風になります。おそらく月夜の明るさならば、このように見えると思います。
これらを総合してイメージしてゆきます。

月夜の晩、庭に屏風を設え、月明かりを写し込むように位置を定め、
屏風の正面に縁台を置き、座ります。
月の弱い光源が金箔と銀の波にあたり、薄ぼんやり浮き上がり、
瀟酒な位置に配された梅の花があります。
“暗香“(闇の中でどこからともなく漂ってくる梅の花の香り)も感じていたかもしれません。

それもそのはず、画面の裏からお香が焚かれ、香りが屏風中央の川の流れに沿って漂ってきます。

“梅と香と夜“はセットになります。香りは重要な要素です。
古今和歌集から二選を掲載します。

いろよりも
かこそあはれと
おもほゆれ
たがそでふれし
やどのうめぞも

色よりも
香こそあはれと
思ほゆれ
誰が袖ふれし
宿の梅ぞも

花の色よりも香りがすばらしく思われる。だれの袖を触れてその着物の移り香が残ったのだろうか、この家の梅の花よ。


はるのよの
やみはあやなし
うめのはな
いろこそみえね
かやはかくるる

春の夜の
闇はあやなし
梅の花
色こそ見えね
香やは隠るる

春の夜の闇はどうも筋の通らないことをするものだ。闇で梅の花を隠そうとしても、色こそ見えないが香気は隠れようか、いや隠れるどころか、馥郁(ふくいく)と薫っているではないか。

古語林 古典文学事典・名歌名句事典

文学の素養を持ち、屏風のアイデアを理解できるのは弟の乾山しかいないと思います。
 この鑑賞は一分の隙も無いのですが、よく考えるとすべてが本物ではなくイミテーションになります。本物の梅ではありませんし、本物の梅の香りでもありません。

描かれた梅
描かれた川
太陽の光を反射した月明り
月明りを反射した金と銀
梅ヶ香という名のお香

すべて嘘とも言えるし仮想とも言えます。しかし、本物でなければ、
すべては偽物でしょうか?二番煎じでしょうか?
現代の私たちはすでにそのことを知っています。
本物でなくてもいいのです。仮想と仮想を組み合わせ続ければ、
それは超現実にもなるのです。
本物や現実とは別物の鑑賞状況が生み出されます。

それを“真空の絵画鑑賞“と名付けましょう。

岡本太郎と中西夏之

 尾形光琳作『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』は画家からの賛辞が多くあります。私が特に影響を受けたのが岡本太郎と中西夏之の文章です。改めて読み直しましたが決して読みやすい・わかりやすい文章ではありません。
ほとんどの方は何故たいそうな表現で書いているのか悩むかもしれません。
そのどちらの文章にも”非情”という言葉が書かれています。
先行するのは岡本太郎の「非情の伝統」ですので光琳作品を形容する言葉として使ったのは岡本太郎が先のようです。
中西夏之「非情と享楽」は岡本太郎の文章を受けて書かれたものだと思います。

しかしながら、尾形光琳の作風は現代の日本では大量消費されたイメージになります。和風デザインに光琳の文様を使うことはよくある事です。
言ってみれば安心の和風イメージです。
その光琳に対して“非情”という言葉が似合うでしょうか?

それでは岡本太郎の『日本の伝統』1956 光文社文庫に収められた
「光琳 ー 非情の伝統」を読み解きましょう。
日本の古典や芸術に対して辛辣な批評をしていた岡本太郎です。

「法隆寺は焼けてけっこう」p50
「自分が法隆寺になればよいのです」p51

『日本の伝統』岡本太郎

この本の全てを表す言葉です。クリエイターを鼓舞する素晴らしいフレーズです。伝統主義者がひっくり返るような文章になります。
そのような文章が書かれている本ですが「縄文土器」と「尾形光琳」には大きな賞賛を書いているのです。
パリに旅立つ前の岡本太郎は日本文化に対して不信と絶望しかありませんでした。
弱々しい・暗い・繊細・装飾的で平べったい・あきらめの味・
侘び・渋み などです。
若き日の岡本太郎は芸術の中心地パリでアヴァンギャルドの抽象芸術運動に参加していました。
そのパリで本屋のショーウィンドウに置かれた光琳の『紅白梅図屏風』に衝撃的な出会いをします。

「グイと、それは私の全身をひっとらえて、こっちに飛んできました」p102

『日本の伝統』岡本太郎

ここから屏風への賛辞は止みません。

「はげしく、たくましく、単純でするどい」p103
「正面からぶつかり、ギリギリ押してくる」p103
「世界芸術のもっとも新しい課題である、抽象画の造型性の問題と、みごとに合致」p104
「ドライな構図でありながら、おどろくほど迫ってくる」p106
「重厚絢爛で威圧的な気配」p108

『日本の伝統』岡本太郎

岡本太郎は日本の伝統文化に否定と反撥を感じていましたが、一概に全てを否定できないと突きつけてきたのが『紅白梅図屏風』でした。

非情と真空

岡本太郎にとって“非情“とはどんな意味になるでしょう?
それは俵屋宗達と尾形光琳との比較から始まります。

宗達は“情的”であり、
柔らかい抒情・優美でデリケートな諧調・風流・ほのぼの・ノスタルジア
となります。

「今までの日本の教養人になんか情的にふれてくるきずながある」p108
「画面の向こう側に、それをささえている世界があるような心地」p110

『日本の伝統』岡本太郎

とまで書かれています。これに対して

光琳の“非情“は

「シンと冴えて、すべてを拒否しています」p110
「鑑賞者は夢みることも許されない」p110
「あらゆる幻想も思い出も拒否される。画面以外になにものもない世界」p111

『日本の伝統』岡本太郎

などと称えられ、非情美の傑作となります。

誰もが美しいと感じる『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』ですが、その美しさの根源を見つけると、確かに甘ったるい可憐さもなければ、装飾過多なゴージャスもありません。
シンと冴えてすべてを拒否しているのです。
ではミニマリズムに近いでしょうか?それとも違うと言えます。造形の問題を手放し、ミニマリズムのためのミニマリズムの作品はコンテキストという、それを支えている世界に寄りかかっているのです。見た目ほど非情ではありません。
 光琳の作品は形態が描かれつつもシンプルかつ圧倒的です。
花が描かれているのに抽象絵画より切れがいいと言えば伝わるでしょうか。
非情美を説明するために、岡本太郎はさらに突き詰めた表現で書いています。
それは“真空“です。

「光琳の紅白梅や燕子花は、自然をみごとに描ききってしかもみじんも自然に堕していない。空気も水もない、この真空の世界にこそ、すさまじい緊張とともに、非情の空間が現出します」p112
「空気のただよっている空間などというものは、自然主義の感傷的で通俗なごまかしにすぎない」p112
「芸術における空間とは、まったく空気を抜いた絶望的な真空、虚であるか、
でなければ、ぎっしりとみじんの隙もなくつまったものである、と私は信じます」p112

『日本の伝統』岡本太郎

いかがでしょうか?私たちが何気なく“良い“と感じる絵画の良さを岡本太郎は緊張感のある言葉で説明しています。

「紅白梅はまことにきびしい。烈々たる精魂の緊張が梅の木の枝の一本一本の尖端までとおり、張って、貴族的な荘厳でするどい高調子、能楽のリズムが高だかと鳴り響いているかのようだ」p128

『日本の伝統』岡本太郎

 ここまで岡本太郎の非情と真空を要約しましたが
私は岡本太郎を※“へっぽこ絵描き”という認識でいます。
はっきり言えば尾形光琳のような都会的でセンス抜群な“非情“な絵を描くことはできなかった画家だと思ってます。
尾形光琳の非情を自作に活かすことはできませんでした。
しかし、光琳芸術の核心に迫る定義“非情“を生み出しました。
安心の和風デザインで片付ける絵師ではなく、
尾形光琳は画家に勇気を与えてくれる、時代を超えた芸術家であることを教えてくれました。
 岡本太郎著『日本の伝統』はクリエイターの方々には是非ご一読していただきたい、おすすめの本になります。

※へっぽこ絵描き岡本太郎p188

『岡本太郎宣言』山下裕二


中西夏之 二曲一双と対峙する円盤の意識

 画家中西夏之は”狭い山頂”や“船の上”、”弓形の縁“を自らの立つ場所だと設定しました。大陸の安定した大地とはちがう“場”に立って描いている自分を想像しました。
中西夏之は絵画を描くために様々な計測器を編み出しました。

絵画を平面だと単純に捉えずに、絵画の有り様を正確にするため

大きな弧と一点が接地するのが平面であり、絵画である事を

『弓型が触れて』のシリーズで展開しました

無限遠点から長い筆を使い遠隔操作を試みました。

絵は近くにあるように見えて遥か遠くにあるのです。

世界各地にある湖の水平面の位置をイメージし、想像的水平面を定義しました。

想像的水平面は東日本大震災により明らかになりました。津波による水平面の位置は軽々と人の営みを日常と非日常を分けることになりました。

およそ“日本的なるもの“とは関係のない非情な計測器で中西夏之は絵画を測り続けていたのです。

中西夏之の絵画は“非情“であり、理知的で人を寄せ付けない
真空の白い絵です。
中西絵画は紫のイメージがありますが、私はご本人との会話の中で
「僕のことを皆さんは紫の画家だというけれど、僕は白の画家だと思うんだよね。」と仰っているのを覚えています。

1989年に唯一の著作
『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房
が出版されました。
錬金術師の書物のような、秘密めいた画家の文章になります。
その中に『紅白梅図屛風』について書かれた文章が3本掲載されているのです。
「尾形光琳 二曲一双と対峙する円盤の意識」
「紅白梅図屛風 再会の予測」
「紅白梅図屛風 享楽と非情」

著作では中西夏之独特の言い回しが続きます。
川を見ているならば、

「水が河自身の形を水平に修正しようと次々にせめてくる」p84 

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

グラスで水を飲むならば、

「一口一口と器の縁から薄い円型の被膜を呑みとることによって、
円型の水面の水位を下げてゆくのである。何層もの円を呑みとってゆくのである」p89 

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

多摩川と樹林帯がある公園を歩き、丸いテーブルがあれば、

「水平化を測定する計器のように一本脚で浮いてる円盤」p86 

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

最初に読むと意表を突かれますが、繰り返し読むと日常感覚から離れ、
物のありようを別の表現で説明すれば、たしかにその通りであることを
納得できます。
独特ではありますが支離滅裂ではありません。読み込むと腑に落ちていくのです。そのような文章ですから、何か予言めいたフレーズが続き、
私の中に深く沈潜していました。

中西夏之は『紅白梅図屛風』と出会う前に下記のような先入観を持っていました。

「日本の抒情、その元凶」
「精神の弛緩」
「私は宗達・光琳派の絵を自分から無意識に、あるときは積極的に遠ざけていた」p86

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

若き岡本太郎と同じように日本美術を斥けていました。

美術館での最初の出会いでは無感動を装うつもりでいましたが、
何かが引っかかったようなのです。
何かをつかめたような気もしましたが、わからず
しかたなくそのまま画面からあとずさりしました。

振り向いて踵を返すと、展示室中央にガラスケースがありました。
その中には端正な器がありました。

黒釉金彩瑞花文碗 口径19.1㎝ 北宋時代 MOA美術館所蔵

漆黒で口造りが薄く、外側に放射するように広がり持ち、
姿形から浮いているようにも見える。端正な器です。

「何か非情なものを感じた。」p89
「流石中国だ!」p158

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

先ほどは手ぶらで作品と対面していましたが、
中西はこの円盤を計測器として心に持ち、もう一度『紅白梅図屏風』と対峙するのです。
この円盤の色彩は白であるべきだと思いましたが、徐々にほかの色彩でなければならぬと感じてきました。黒でもない、“真紅”であるべきだと。

「私は後ろを振り返り、もう一度あの美しい絵を見た。美しい絵、絵の美しさ、美しさの秘密を見るために振り返ったのではない」
「今はこの絵との最初の出会いと違って円盤を持っている。そのために私はあの絵の元にある、すなわち絵を支えている“絵の形“を見ようと努めることができるのである」p89

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

私たちはこの気持ちをどのように読み解けばいいでしょうか?わたしは読んだときに戸惑いを覚えました。なぜ絵と対峙するのに器が必要なのか?

ですが、昔と違い中西夏之が見た端正な器は検索すれば、すぐに見ることができます。以前の私は文章だけを読み、腑に落ちずにいました。
まずは器をご覧ください。本に書かれている通りの端正な器です。
私なりの解釈をします。

 絵を擬人化したならば、日本伝統文化の大物に会うわけです。でも日本文化に失望している者にとっては、たとえ大物であろうともリスペクトをしていません。
しかし、彼の芸のさわりを見たときに最初の予想とは違ったのです。
そのときに、もう一度対面するならば身なりを整え、予習もすると思います。
自分の気持ちを上げて再度対峙し、芸のすごさを分析するための
アップグレードアイテムが黒釉金彩瑞花文碗になります。
この端正な器は大陸の文化がもっとも高度に発達した宋時代のものです。
私は大陸文化の頂点は宋時代だと認識しています。
宋時代の端正な器と光琳の紅白梅図をぶつける面白さが私にはわかります。
美術史家矢代幸雄は著書『日本美術の再検討』ぺりかん社 において、
中国で開催した光琳展で中国人は光琳をどううけとるのかを文章にしています。
中国文化に光琳芸術をぶつけたらどんな反応があるだろうかという考えになります。光琳芸術はそれだけの独自性と強靭さがあるということです。

以上のことから、端正な宋時代の器を計測器として心に持ち、『紅白梅図屏風』に再び対峙した中西夏之の分析を読んでいきます。

三人の光琳

「光琳は紅梅図、白梅図を個々独立して描き、光琳波の川によって左半双・右半双を合体させたと想像する。人はこの手順に反論するだろう。まずこの図柄を一つの大画面として仕上げた後、二曲一双形式に自動的にあてはめ左右に分断したのだと」p104
「左・白梅の光琳と 右・紅梅の光琳そして左右両隻を合体させるもう一人の光琳」p105

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

紅白梅図は本に掲載されると横長一枚作品として観ることになります。折れ曲がった屏風形式で掲載されることもありますが、ほぼペタンコ横長画面です。
そのことに最初の違和感を持ち、さらに全てが独立しているように見えた分析は最初だと思います。
 左隻の白梅図は独立して鑑賞可能な屏風になります。
 右隻の紅梅図はちょっと物足りない構図になります。
 両隻の落款は別々の表記になります。

 分断された川の中央の空虚に何かしらの意図を中西夏之は感じていたのかもしれません。

二人の光琳ではなく、三人の光琳なのです。

 私の設置方法ならば右隻左隻の隙間は“人が通ること“もできるし、“香りを漂わせること”もできるのです。
それはもう一人の光琳です。

二曲一双形式はこの絵のためにのみある

上記の文章が書かれているのですが、次に
「二曲一双形式を、光琳は絶対的なものとしたと思う」とも書かれています。
しかしそれ以上、詳しくは書かれていません。私には予言的でした。
私の見つけた設置方法をご覧になった方ならば、二曲一双形式をとことん追求した光琳のアイデアに納得していただけると思います。
『紅白梅図屏風』は設置の仕方によりインタラクティブ絵画インスタレーションになるのです。
二曲一双は『紅白梅図屏風』と『風神雷神図屏風』の独自形式です。
二曲一双は俵屋宗達から始まり、琳派の絵師たちが好んだ形式になります。

中心にある静謐

「両隻の逢着部を意識しながらこの二曲一双の前に佇んでいると、次第に身動きできなくさせられる。(略)見る者の視線の動きをゆっくり静止させるのである。ある大きな全体を真正面からいつまでも眺めていなくてはならなくさせてゆくのだ。静謐ということである」p91
「人は絵の前に足を運ぶ。それは日々の営みの続きなのだが絵の前でその連続は断たれる。これはたんなる中断ではなく自身の歩行に沿って流れる時間に横に流れる時間に直角に対したのである。この中断の中で、すなわち時間の直進を受けて、(略)ささやかな出来事が起こるだろうと期待しても良いではないか」p105

『大括弧 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む装置』筑摩書房

 紅白梅図の前に立つと、川の流れを受け止めることになります。もちろん水圧は感じません。音もしません。静謐です。
身動きできなくなるのは時間の直進を受けているのかもしれません。

 ささやかな出来事は“暗香“(闇の中でどこからともなく漂ってくる梅の花の香り)を感じ取ることかもしれません。

正面から対峙する状況とは“鑑賞“であり、
正面にあるものは“緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置”になります。

絵の前に立つこと
映画館で座ること
建物の前で見上げること
海の波と水平線を眺めること

私たちは正面から何を浴びているのでしょうか?
日常感覚から離れ、別の定義ができるかもしれません。

真紅の円盤

中西夏之が計測のために必要だった真紅の円盤を尾形光琳・乾山兄弟の鑑賞に
取り入れます。これが最後の読みときになります。

お銚子から真紅の盃に注いだ御酒が水平面を作り出し、
深くなった夜に月は頭頂の遥か上で輝き、
止水明鏡の水面は鏡の水盤となり、
月を映した二つの盃
光り輝く水平面を飲み干す

淡い月あかりに照らされた絵画と水平面を前に、現実世界ではない、夢うつつのまぼろしを生み出す真空の絵画に溶け込み、まどろんでいる元禄時代を体現した兄弟の祝杯

そんな尾形兄弟の姿が思い浮かびます。


あとがき

 これらの鑑賞は再現しても理解されることは少ないと思ってます。
多くの批判を予想します。
月夜の晩に照らされた → 暗くて見えないよ!
蝋燭に照らされた → 燃えたらどうすんだ!
中央に通り道を作った置き方 → 正確な屏風の置き方じゃない!
香りが漂う → 絵の内容で勝負するべし!香りを使うなど卑怯
中央から舞妓・芸妓が現れる → 絵画は舞台の書き割りじゃない!
などなどでしょうか・・・
経験上、辛辣に言われるものです。
“いけず光琳“と書きましたが、ルールが厳しい徳川の世です。官僚組織の前例主義が跋扈しているようなものだと思います。安土・桃山時代のような進取の気風を生み出す劇的な価値転換の時代とは違います。
光琳の考えた鑑賞は当時でも多くの人に理解されるものではなかったと思います。現代も、この見立てが話題になることはないでしょう。
近代美術館制度による鑑賞方法が私たちに染みついています。
人は慣れに安心します。

それでも光琳LOVEな方々に届けるためnoteに掲載しました。
尾形光琳は天才です。積層された先人たちの創意工夫を吸収し、真面目に絵に向き合い、狩野派には成し得ない洗練された絵画とデザインを達成しました。

 最後までお読みくださった皆さん、ぜひミニチュア屏風と梅ヶ香を準備して、光琳・乾山になったつもりで月夜に盃で乾杯してください!


                           令和6年8月30日

                              白井忠俊


協力
小林美術科学

参考文献
日本美術絵画全集第17巻 尾形光琳 執筆 河野元昭 集英社
別冊太陽 天才的!尾形光琳 河野元昭 平凡社
誤解だらけの日本美術 小林泰三著 光文社新書
プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展 東京国立博物館
尾形光琳 江戸の天才絵師 飛鳥井頼道著 ウェッジ
ひらがな日本美術史4  橋本治著 新潮社
芸術新潮 2005 10月号 光琳の七不思議
マンガでわかる「日本絵画」のテーマ 監修 矢島新 誠文堂新光社
日本の伝統 岡本太郎 光文社知恵の森文庫
大括弧 緩やかにいつまでも佇む装置 中西夏之 筑摩書房
日本美術の再検討 矢代幸雄 ぺりかん社
岡本太郎宣言 山下裕二著 平凡社

Website
森山知己のホームページ
MOA美術館


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