円筒絵画をめぐって
2010
想像してもらいたい。
例えば、長大な画巻である横山大観「生成流転」そしてやまと絵の名品「日月山水図屏風」を描かれた内容のみを重視し、絵画形式をゼロベースに設定してみる。例えば、矩形であること、絵巻物であること、屏風であることをゼロにしてみる。
「生成流転」を始まりと終わりを繋ぎ合わせ円筒状態に展示する。
「日月山水図屏風」を蛇腹折りではなく、12面体の円筒にして展示する。
どうだろうか?円筒の状態であるほうが自然ではないだろうか。
なぜならどちらにも東洋哲学が持つ、循環や輪廻が作品内容に含まれているからではないか。
人類の歴史において円筒に絵を描くことは奇をてらった行為だろうか。
自然界に平らな壁など存在はしない。ならば、縄文土器の円筒面は表現の場ではなかったか。
いつの時代も人々は終末思想・末法思想に心ひかれる。
“円筒絵画”は循環する時間軸を発生させ、「終わらない」ことを実感させる。
私たちが「終わり」に囚われることから自由になれるかもしれない。
白井忠俊