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First Step #6 専業主婦後、あなたはどう生きる、シンシアのグッドモーニング with 福田若菜さん(Silicon Valley Japan College) 44歳で、アメリカに親子留学。日本にいながらアメリカのNPO法人で、完全リモートワークで働く report by Yoko Ukai and Mai Todagishi

【First Step】プロジェクトでは、
ブランク期間を経た専業主婦が、どのように再就職できるのか?
人生100年時代をどう生きるか?

をキーワードに、カムバックキャリア事例や外部ゲストをお迎えする企画などを発信しています。

2020年7月26日(日本時間)にオンラインで開催された、First Stepを主催する薄井シンシアさんのグッドモーニング。そしてこの ’First Step’ の運営主催者でもある福田若菜さんは、アメリカにあるNPO法人Silicon Valley Japan Collegeに在籍し、日本に住みながらバリバリと週7日、リモートワークで働いておられます。

まずは、今回のトークセッションの締めくくりに、シンシアさんが参加者に呼びかけたメッセージをお伝えしたいと思います。それは、シンシアさんとこのFirst Stepを立ち上げた若菜さんの想いでもあります。
【’First Step’ は、参加するだけでなく、活用していただくために作りました。
参加者同士、この場を通じて横につながり、情報交換・共有をしていきたい。だから、毎回のゲストに直接連絡し、仕事内容を聞いたり相談してくださってOKです。参加者同士で、情報交換をしてくださるのも大歓迎です。お互いに、’First Step’で貴重な情報を提供し合い、共有し、復職のためのチャンスを分かち合いたいと思います。】

この言葉の通り、今リポートをお届けしている私(Mai Todagishi)自身も、活用を続けた先に、今の私があります。

若菜さんの大きな転機となったのは、6年前2014年の子ども二人を連れての親子留学。猛勉強してMBAを取得し、そのまま現地採用されて今に至っているとのことです。
「自由気ままな専業主婦だった」彼女が、ここに至るまでの道のりは? そしてこの先見つめているものは? 今回のリポートを通して、そのリアルな姿から変化への一歩になればと思います。

シンシアさん若菜さん

●First Stepがスタートしたキッカケは?

アメリカに留学中、若菜さんがシンシアさんの著書専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと」を読んで感銘し、シンシアさんのFacebookにメッセージを送ったのが、第一歩。
その後、電話やオンラインで交流のみで、超行動派の二人は意気投合し、準備もそこそこに’First Step’をスタートさせたそうです。
その当時を振り返りつつ、
「専業主婦時代はブランクじゃない、というシンシアさんの考え方に共鳴しました。私たちは、ちゃんとスキルを持っている。復職してもやっていける人間力がある。この’First Step’ を通じて、そのポテンシャルを社会に認めてもらい、復職の道を拓いていきたいんです。」
そうおっしゃる若菜さんは、専業主婦時代のスキルからの復職を証明した、確かな一人と言えますね。

●自由気ままな気持ちをスイッチさせた一言

 大学卒業時、バブル崩壊の直撃を受けた若菜さん。難関を突破して銀行に就職。営業職のコツを掴み、さあ、バリバリ働くぞ! と意気込んでいた矢先、結婚が決まり、1年10ヶ月で離職。
その後は、二人の子どもに恵まれて、『子育ては人生最大のプロジェクトだ!』と子育てに専念。子供達と一緒に外遊びや工場見学など、活動的な毎日を過ごした日々は、若菜さん曰く「自由気ままな専業主婦」を謳歌されたそうです。
ご主人の転勤を機に東京で暮らした30代は、「PTA活動に力を入れる傍ら、代官山や六本木でお茶やランチ、各種習い事……と遊びにも精力的な日々でした(笑)」と振り返っておられました。
 その生活から40代に入り、お婆さまが倒れたことがきっかけで、その後の人生に思いを馳せるようになり、「働こうか……。」そう思い求人広告を見ながら、いきなりの正社員ではなく、まずは近所で働こうと見つけたのがケーキ屋さんのパート勤務で、時給は950円だったそうです。

当時の若菜さんが感じた
久しぶりの仕事に自分は適応できるのか? 
家庭はうまく回せていけるか? 
自分の今の力を確認しよう!

との気持ちは、多くの方が抱く気持ちかと思います。

それでもチャレンジのつもりで始めてみると、これが意外にも面白かったそうで、その後、クッキー屋さんに誘われ職場を変えた後、契約期間が終わったのでいよいよ本格的な就職活動へと歩みを進め、再度受験し直したTOIECの高得点が自信となり、古巣とも言える銀行で契約社員として働き始められたそうです。

 ところが、そんなある日、青天の霹靂となる出来事が起こります。高校進学を目前にした娘さんからの爆弾宣言があったのです。
「アメリカの高校に行きたいので、お母さんが大学生になって連れて行ってくれない?」驚きつつも、絶対反対すると思っていたご主人も「ええんちゃう?」との言葉。親子留学は、こうして意外な形で決まったそうです。しかも、中学2の息子も加えての3人で、若菜さん44歳の時の出来事です。

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●今、目の前の仕事を全力で!

 目標を見つけると120%の力で取り組むのが若菜さん。
留学生活では、朝5時半起床、お弁当を準備して、子どもたちをサポートする傍ら、自らも勉強漬けの毎日を過ごされたとのこと。
2年の留学予定は同じく生活する子供達の要望により4年に延び、結果、みごとに大学院を卒業してMBAも取得されました。
「その間、ご主人はどうしていたの?」とシンシアさんからの問いかけへの、
「夫は、戦友みたいなものです。離れているので、金銭的にも生活面でもお互いが我慢しなければいけないけれど、子ども二人を育てるために一緒に戦っているんだという絆は深まりました」との言葉はとても魅力的です。

 とはいえ、さすがに卒業後の進路では悩まれたそうです。その理由として、通っていた大学からH-1でフル採用のオファーがあったものの、夫と離れ離れの生活が、さらに延びてしまうという点が懸念であり、それは避けたいと思われたそうです。
そこで、それまでボランティアで関わってきたNPO法人(アメリカに日本の大学を創る組織)に自分で交渉の上、フルタイム採用となった。ビザが切れる前に、日本でリモートワークで働くという条件で雇用契約を結び、2018年に日本へ帰国。現在に至っておられます。

 現在、若菜さんはNPOで働く一方で、プロジェクトベースで副業的な仕事も請け負っておられます。
シンシアさんの、「これからはどうするの?」という問いかけには「模索中!(笑)何ができるのか、まだ十分に分かっていない。これまでの経験を掛け算している途中なんです」。ただ、やりたい事はある。
専業主婦の再就職の支援は、その一つ。英語ができなくて、海外に行くのを諦めている人も支援したい。若菜さんには、アメリカ留学時代に獲得した最先端のITスキルとビジネスセンスがある。それをフルに使って、困っている人をサポートしたいとの想いを話されました。

 そんな若菜さんにシンシアさんが、たたみかけるように言った。「会社のような組織に入って、上を目指さないの? あなたなら、その力は十分にあると思うよ」。
そのコメントに、苦笑いをしながら若菜さんは
「私は、何が何でも上を目指したいという思いはないんです。それに、会社に入ってフリーな時間が制約されるのは、いまの私には無理ですね。施設に入っている母の側に行ける環境でいたいんです。人それぞれ、家庭環境も違えばモチベーションも違う。最初から上を目指す人もいれば、私のように、一つひとつ小さなステップを踏みながら、次を探るという柔軟な復職モデルがあってもいい。ただ、それでも、いま取り組んでいる仕事は全力で!(笑)。これが、私のモットーです」
という自分の想いも大切にする若菜さんの言葉は、大切なことへの気付きとなるかと思います。

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●シンシアさんからの問題提起

シンシアさんからの女性の組織内におけるキャリアアップについてのコメントや、若菜さんとのクロストークは、それぞれのリアルな気持ちがあふれる、印象的なポイントがいくつかありました。そのトークの様子をご紹介します。

シンシア : 女性にはサポート役をしたいという人が多いですね。ただ、現実をいうと、実は女性に与えられているのはサポート役ばかり。とくに専業主婦から復職するために何を起こせるかは、女性が組織で力のある立場や採用側に、私たちのような思いを持っている人がいないと何も進まないんです。力ある人には、もう少し前に、上に行って欲しい。上に行かないと何も変わらないと思います。参加者のみなさんは、組織に入って上に行きたいとは思わない?

参加者 : (挙手した人は0)

若菜 : いわゆるミレニアム世代は、上に行くのが正しいかどうか? と疑問に思っていると感じますね。昭和世代は、確かに上へ上へでしたが、今の若い人たちには「上」という感覚はない。元専業主婦のロールモデルがシンシアさんだとしても、私みたいなのがいてもいいんじゃないかと思います。みんな違ってみんないいという一つのモデルを示せたらいいかなと思っています。

シンシア : その気持ちはわかります。私も、最初はまず、お給料を上げることが目標で、時給から月給、そして年俸へと金銭的な階段を上げていった。専業主婦時代がブランクだというジンクスのようなものを、仕事の実績で覆したかったのね。それを達成して、じゃあ次はポストだということになったとき、管理職って仕事として案外つまらない(笑)。でも、一方で、上に行かないと力は得られず、変化は起こせないというジレンマもあるのね。

若菜 : 私は、今のような雇用状態以外には、銀行という巨大組織にしかいなかったので、その良さも分かりますし、そこで上に上がって行く責任とかありますね。でも、私のような立場からも女性の労働条件を変えていくことはできるのではないでしょうか? いま、私は自分の雇用交渉は自分でやっています。毎年同じ契約ではなく、条件を上げてもらう交渉をしている。だからこそ、今やってることを完璧にやり切らないと、交渉する土俵に上がれない。他にも、ボランティアで翻訳、通訳させていただいていますが、この段階を経た先に、どこかの組織からぜひうちにと言われるように、人脈作りも含めて今、一生懸命やっているところです。

シンシア : 私は組織にいただけに、個々一人一人でやってると立場が弱いということを実感しています。私も復職時にそのままフリーランスでやっていたら、ここまで来れなかったと思う。就職するということは、自分のできることだけで勝負するのではなく、組織のリソースを全部使って、自分を前に進ませることができる。それが就職することのメリットなんです。

このやり取りから、皆さんは何を感じられるでしょう。

●今ここから考えられるものは?

世界経済フォーラムが発表した「ジェンダー・ギャップ指数2020」では、日本は過去最低の121位でした。そして「管理職ポジションに就いている男女の人数の差」が世界で131位
この現実をどう受け止めるかは、自分自身のキャリアにおけると相関しているだろう。私たちの目の前にある現実と、この順位が示す社会の現実の間にあるもの、それは何なのでしょう? シンシアさんからの問題提起の根底は、そこにあるようです。ぜひ一緒に考えていきましょう。

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