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[liminal;marginal;eternal]はシャニマス版名探偵津田なのかもしれない

去る1/11、12の2日間に渡って行われたシャニマスもとい283プロダクション主催のライブ[liminal;marginal;eternal]は、およそ常識破りのライブだったと言っていい。

アイマス全体が数年前から模索しているMRライブの方向に則った、所謂3Dのアイドルキャラクターが録画した映像でライブを行うステージ。
それをシャニマスでもやってみようという施策のほぼ最初のステージだ。

だが、全編に渡って収録で行われる……つまり事故など起きえないこのステージにおいて事故が発生し、収録された”キャラクター”たちは取り乱し、予定されていた(という体の)セットリストは変更を匂わせる内容になっていた

アイマスにおいてはともかく、今のオタク文化においてこうしたバーチャルキャラクターライブというものはおよそ一般化に近いレベルで普及を始めており、そうした観点で言えば今回のライブは常識破りと言えるだろう。

……と、こんな仰々しい書き出しで開始したが、僕が言いたいのはこのライブが常識破りだったわ~みたいな話ではない。


みんな、年末の名探偵津田見た?

ここから先、名探偵津田を見ていない人に理解できる話は何一つない

でもこの記事に関係なく面白いから下品なふざけた番組が大丈夫な人はTVerとかで見てみてね。


2の世界の”プロデューサー”を1の世界の”オタク”に引きずり下ろす

まず名探偵津田を見ている人々は既にご存知の通り、人間はメタフィクションに取り込まれると混乱する生き物だ。

そして(他アイマスのMRライブを知らないのでこの書き方になるが)シャニマスはあろうことか大真面目にそれをやろうとした

現実である2の世界では、アイドルマスターとかいうコンテンツにハマっているオタクは”プロデューサー”としてアイドルたちのいる1の世界へ没入する。それがこのゲームの大まかな基盤だ。

しかし、今回行われたシャニマスの3Dライブではその没入形式すら異なっていた。

今回のライブはシーズとコメティックという2ユニットが合同で行う、1の世界のファンに向けた1の世界のライブだ

つまり、このライブの観客が”なる”のは1の世界のプロデューサーではない。

1の世界の”ファン”になるライブなのだ

考えてみれば当然だろう。
どこの世界にライブ会場を貸し切って「プロデューサーさん、ありがとう!」と言いながらライブをするアイドルがいる?

そんなアイドルいるわけがないのだから、3Dで没入するライブとなれば当然観客席にいる2の世界のオタクはライブの間”ファン”になる。

そう、それは訳が分からなくなって当然の没入体験だ

そんな中、ステージに立っていたアイドル緋田美琴が倒れる。
もう滅茶苦茶だ。
津田だったらそろそろ犯人を捜すために新潟へ旅立っている頃だろう。


1の世界の”プロデューサーさん”は誰?

更にややこしいのが、普段没入している形式が”プロデューサー”というライブ設計にも携わる立場のキャラクターである点。

となれば当然開催されている[liminal;marginal;eternal]の裏側には”プロデューサーさん”がいるはずである

しかし、普段”プロデューサーさん”をしている貴方は今観客席で1の世界の”ファン”になってペンライトを振っている。


……あれれー?なんか変だよね、目暮警部?

要するにこれは、「今貴方はプロデューサーさんではありませんし、貴方がプロデューサーさんでない世界も”プロデューサーさん”はちゃんといますよ」という世界観の提示に等しい。

これを嫌だと思う人間もいるだろう。
がしかし、僕はこれをロールプレイの妙であるとも考える

シャニマスは元より”貴方”=”プロデューサーさん”の形式が比較的薄いタイトルであり、作中のプロデューサーさんは普通に人間の言葉で喋るし、普通に一人の登場人物として話を動かしたり、やたらダンディなイケボで喋る社長とイチャイチャしたりしている(通称:シャニP)。

僕はハッキリ言ってこのシャニPという登場人物が好きだ

故に彼の立場になったり、彼の代わりにアイドルをプロデュースしたいと思ったことはないし、どちらかというと僕は彼にプロデュースされるアイドルになりたい

話を戻すが、今回のライブではいつものライブのように”プロデューサーさん”にはなれない。

[liminal;marginal;eternal]という異例の事態によって、僕らは全員等しく1の世界の”ファン”になってしまったのだ。

1の世界の”ファン”は何を思う?

これに答えはない

「緋田美琴さんが心配」でも、「アイドルのパフォーマンスに感動した!」でも間違いではないし、「ルカ様尊い」でも「ルカ様と組んだあのよもぎ餅みたいなガキ、うざ……」でもいい。

要するにこれはロールプレイなのだから、観客の”ファン”として抱くそれはこのライブに組み込まれた言葉であったに違いないはずだ。

2の世界の”誰か”

が、それはそれとして我々は2の世界に生きる人間である

であるならば、当然このライブ企画そのものに対して2の世界の側から感想を言いたくなるのが常である。

当然ながら1の世界の自分と2の世界の自分、両方がいていい。

しかし、それらが混乱し冷静さを失った状態で伝播するのは好ましいとは言えないだろう

今、貴方は自分が1の世界と2の世界どちらにいて、”誰”の目線から話しているか、答えられるだろうか?

僕は、ここが今回の3Dライブの話題を最もややこしくしている部分だと考えている。

このライブに1の世界と2の世界の出来事を整理整頓して教えてくれる助手のみなみかわはいない

じゃあどないせいっちゅうねん!!!!!

最低な今日

ここで突然だが僕の立場と感想を手短に書いておこう。

まず僕は資本主義というものを尊重する思想を持たないため、延いては貨幣の価値を語る術を持たない。

であるからして、この記事を開いた人が期待するかもしれない「自分は客で、金を払った立場なのに」という感情に対して触れることはできないし、期待しないでほしい。

その上で1の世界の住人……すなわち”ファン”(4公演とも配信で参加した)としては、トラブルもあったけれど滅茶苦茶カッコいいライブだったと思う

僕はシーズの七草にちかさんのファンで、彼女がとても頑張り屋さんであることをその言動に垣間見て応援している。

そんな身としては、もう涙が出るくらい嬉しかった。公式に発表があったわけではないけれど、七草にちかさんが美琴さんのため、そして僕らのためにいつ中断してもおかしくなかったライブに一人でステージに立つ覚悟を決めてくれたことは、彼女の普段の姿やMCでの語り口からある程度想像できるからだ。

そして、2の世界でただシャニマスの”オタク”をやっている僕はこうも思う。

現実で苦しい思いをしていた昔の僕のために、このような仕掛けを施してくれてありがとう、と。

人間は不完全な生き物である。

どれだけ練習を重ねようが、どれだけの才能があろうが、程度の大小はあれど失敗を犯す。

たとえそれが失敗の許されないステージであっても、である。

自慢ではないが僕は人生においてもうとにかく失敗と恥だけを積み重ねてきた人間であるため、人間の不完全さを語ることだけは得意だ。

どんなに完璧に見える人間も生活のどこかではミスをするし、永遠に不朽だと言われた人格者が言葉の扱い一つで人を傷つけてしまうことを知っている。

そして、七草にちかの目線では完璧超人に見えた緋田美琴も単純なミスを犯す。

皮肉にも、それは”プロデューサー”の目線だからこそ垣間見える「過労」という人間らしい理由によって。

その失敗を緋田美琴自身がどれだけ悔しく感じているか、彼女のシナリオを全て読んだ程度の人生しか知らない僕には想像もつかない。

だが、その痛みに共感することはできる。

僕も成人してから「失敗してはいけない場所」で失敗したことがある。

まぁまぁ大きな仕事で、自分の拘りを優先させた結果……詳細は書けないがかなり仕事を遅らせた挙句、先輩に巻き取ってもらうという形で情けない終わりを迎えたことがあった。

その時は必死に「次は頑張ります!」と答えたが、結論から言うと”次”は二度となかった

多分、緋田美琴という人間がステージで失敗を乗り越えたように見えたあの最後の挨拶でも、彼女の胸中には「次はないかもしれない」という気持ちが渦巻いていたであろうことは容易に想像できる。

それは辛いなんてものではない。陽の光の下に這い出たと思った奈落の底に、また突き落とされているのと同じだ。

しかし、それでも彼女はアイドルとして形の変わったステージに立ち続ける。彼女にはまだ、やらなければならないことがあるのだから。

そして、それは僕も同じだ。

僕は幸運にも、失敗と恥を積み重ねてきたおかげで人生においてやるべきことだけは見えている人間なのだ。

そして緋田美琴という人間はこのライブを通して、やるべきことのためもう一度”次”に向かって歩み出した。

であるなら、僕自身もそうしない理由はない。

少なくとも僕がそう思えただけで、このライブには素晴らしい価値があった。


「最低な今日────誰か一人くらい救えたかよ」

犯人は貴方だ

真面目な話をしたのでバランスを取るために名探偵津田の話をするが、僕がこの企画で一番好きなパートはみなみかわがパーティに加わって急に推理が進み出すところである。

シャニマスのライブにはみなみかわが現れなかったので、ライブの内容に対しての推理は参加したオタク一人一人に託される。



もっとも、シーズのシナリオで語られているようにアイドルという存在の価値比重は失敗を避けられない人間である以上結果よりも過程という名のドラマに寄っている部分が大きく、そうした観点がシャイニーカラーズの根本にある以上過程ではなくただの録画した結果である失敗の存在しないステージを見せることにアイドルの舞台として大きな意味合いを持つことはないのではないかという問いかけが開演前から存在していたことは明白であり、であるが故に演者として失敗の危険性を常に抱えた不完全なモノが完璧・永遠を目指す“ドラマ”が生まれ中心に座す構造になって当然であるということは、今回のライブ4公演を経験した者なら推理するまでもないことではある。

……いやぁ、コメティックのパフォーマンスも滅茶苦茶よかったよな!


という余談はさておき、僕がこの記事を書くに至ったのは今回のライブにおける犯人捜しをするためではない。

実際のところ(おそらく制作側の意図を超えて)混乱する内容になってしまっていた部分があり、そのせいでこのライブが描いた主旨が錯綜した情報の中で埋もれてしまうのを危惧したため、僕は今こうしてライブ明けの夜に徹夜して書いている。

そして無論、僕という人間の抱いた感想や意識がおおよそマジョリティの側でないことも理解しているつもりではある。

今回のライブには(感じ方に差はあれど)ショッキングな描写が含まれているのは事実だし、そうした表現が介入することを1の世界でも2の世界でも嫌だと感じるのは普通であり多数派の意見だと思う。

だからこそあえて言うが、このライブは誰が何を言おうと普遍的で痛快なライブだった

シーズが多くの共感を蹴落としながらも原初の夢を語ったように、コメティックが正義や倫理で救われない者のために歌ったように、それらを伴って[liminal;marginal;eternal]は現出した。

それを痛快と言わずしてなんと言うのだろう?

僕は今日、この”ふざけた”ライブのおかげで滅茶苦茶気持ちいいんだわ。

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