シャニマスしか好きじゃなかったのにアニマス全部見ちゃったわけだけど
いやぁ~~、アニマスかぁ~~。
アニマスね~~、うんうん。
前回の合同ライブの記事で「アニマス見るから許してくれよな!」的なことさえ言わなきゃな~~、見なくても良かったんだけど。
そう、何を隠そう僕は異様にめんどくさがりだ。
なんか国の大事な書類もとりあえず甘いもの食って落ち着いてからでいっか~の精神で生きているし、なんなら甘いもの食ってる内に存在を忘れる。
大好きなアニメですら、のめり込むまでdアニメストアの再生ボタンを押すのも億劫だ。
そんな僕がアニマスを見る羽目になってしまった。こういうの苦手なんだよね、「しなくちゃ」で何か見るみたいなの。
……とまぁ、ここまでの段階で既に伝わっていると思うが、ぶっちゃけこの時点での僕はアニマスをかなり舐めていた。
「名作とか言うけど12年も前のアニメじゃん?」っていう。
僕は今を生きるオタクであるからして、現代的な悩みを持って生きるアイドルマスターシャイニーカラーズのアイドルさんを応援することに大きな意味と喜びがあると思うでござるよ。
って、思ってたんだけど。
自分で書いた合同ライブの記事を見返しながら、どうしても忘れられないアイドルがいた。
天ヶ瀬冬馬。
……わかったよ。冬馬がそう言うなら仕方ねえ。
見てみるか、アニメ「THE IDOLM@STER」を………………
ハジメマシテ、石油王デス
なんでだよ!!!!!!
アニマスの話でいきなり言うことじゃないかもしれないけど、「石油王デス」って名乗る石油王はいないだろどう考えても。
とにかく1クール目は、好きな回はちょこちょこありつつも「なんだこのアニメ……」って引き気味に見てしまうことの方が多かった。
そしてこれも後に溜めておく必要はないのでこの段階で書いてしまうが、この若干引き気味な感じはここから割と長いこと続く。具体的には19話まで。
性格が終わっている僕は、前半見ている最中はアニマスが最後までよくわからん感じだったらゼノグラシアの話でも書いて誤魔化すか……みたいなことを考えながら、もう一つの画面でシャニマスの周回作業をしていた。
ちなみに冬馬は敵である961プロダクションのアイドルとして、なんか常にオセロとか囲碁で遊んでるヘンテコな社長と共に登場する。
この頃のジュピターは強引な手口でプロデュースされてはいるものの実力は本物で、冬馬自身も自分たちのアイドル活動にプライドを持ってぶつかっていく本気の姿勢が垣間見えるといった存在。
冬馬……どうしてそんな男の下で活動を…………と歯痒い思いをしながらちょっとトゲトゲしていた時期の冬馬も可愛いな等と思って見ていた。
ちなみに19話までで一番好きな回は第17話「真、まことの王子様」だ。
この回は真の抱える問題と着地点が意外と現代的で、「へぇ、アニマスもこういうことできるんだ」と結構感心した記憶がある。
まぁ、そういう感想が出ている時点でこの段階の僕はやっぱりこのアニメを舐めていたなと今になってみれば思うわけなのだが。
第20話「約束」
どうした、アニマス……?
いやシリアスな話をするなとか、コメディとの温度差がどうとか言うつもりはないよ?
でもついさっきまで響が犬と喧嘩する意味わからんアニメだったじゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
だが、この回は本当に凄い。
この回は、というよりこの回以降のアニマスが、明らかに以前とは違うアニメになっている。
20話はその境界線のような回だ。
自分の弟の死、そこに対する姉としての自責の念、更にその構造を消費しようとする社会。それら全てが抱えきれないものとして、千早に重くのしかかっている。
他のアイドルが経験したことのない問題に、皆が戸惑っている。
もちろん石油王が出てきて解決したりもしない。
この回で僕が特に好きなのは、春香とプロデューサーが千早に語りかける前半のシーン。
「千早、あんまり思い詰めるな。歌の仕事はしばらく休もう」
「また歌えるようになるかもしれないだろ! いや、きっとなるさ!」
上滑りするプロデューサーの言葉は千早には届かず、千早はその場を去ってしまう。
このアニメの定石として、プロデューサーの言葉によってアイドルの悩みを打破するきっかけが生まれたりする展開が所謂「いつものやつ」だ。
プロデューサーは大人で、アイドルは基本的に子供。その構図が19話までのアイドルマスターには敷かれており、プロデューサーは人として一歩前で彼女たちを見守っている……そんなポジショニングがなされている。
だがこの回は違う。プロデューサーの言葉は、千早を救うことなどできない。大人だとか子供だとか、そういったものはこの回では意味をなさない。
僕はこれこそが、19話までと20話以降を分けるポイントなのではないかと思っている。
この回以降、プロデューサーがプロデューサーであるだけで必要とされることは少なくなっていく。なぜなら、彼女たちアイドルが自分で自分を見つけ、プロデュースしていく道に踏み出していくからだ。
如月千早がなぜあのライブ会場に現れたのか、その具体的な理由は僕にはわからない。
ただ、どんな言葉に救われたとかではなく、彼女に手を伸ばそうとする天海春香の姿勢が千早を動かしたのではないかと僕は思っている。
正直言うと、ここは泣いたよね。
天海春香とは、なんなのか
天海春香ってどんな人?と聞かれて、このアニメの視聴者は何と答えるのだろうか。
僕は正直、TV版を最後まで見た段階ではハッキリとは答えられなかったと思う。
情報だけで言えば、彼女は常にアイマスの中心に立っていて、アイマスに詳しくない人間でも見たことがある。要するに看板であり、ポケモンで言えばピカチュウと同じポジションにいるのが天海春香さんなわけだ。
だが、どういうわけかアニメでは終盤まで彼女の存在は他のアイドルに比べて目立たない存在だ。
そして如月千早の物語に一旦の決着をつけた後の最終章とも言うべき場所に、彼女の物語はある。
TV版最終話は765プロ全体の物語としても、22話~24話の計3話+劇場版という一人を中心とした物語としてはあまりに長い尺をかけて、天海春香の物語が始まる。
……始まってしまうわけだが、ここで更にこのアニメの影が濃くなってくるところに前半とのギャップの凄さを感じてしまう。
何度も擦って悪いけど、このアニメ石油王が「石油王デス」って名乗るアニメだったんだよ?
こんだけ前後半で温度差があるアニメは最近見た新世紀エヴァンゲリオンに近いものを感じる。
知らない人もいるかもしれないが、実はエヴァンゲリオンも前半は特に陰鬱とした空気ではなく非常にわかりやすい明朗快活なロボットアニメをやっていた時期がある。
なんか精神的な描写を行おうとすると登場人物がすぐ電車内の空間に移るのが有名な、とっても面白いアニメなので未見の方はぜひ見てみてほしい。
ともあれ、沢山の仕事が舞い込むようになった765プロはいつの間にかスケジュールの調整も一苦労な売れっ子事務所へと変貌を遂げていた。
そんな中、天海春香の大事にしていた事務所の元気溢れる空間はだんだんと寂しい姿になっていく。
皆が売れて忙しくなって、いいことのはずなのにどこか素直に喜びきれない自分への理解の至らなさ、寂しさ、そういった自己への否定。
誰も悪くないはずなのに、天海春香は一人静かに落ち込み続けていく。
そこに大きな変化を与える男が、いた。
冬馬ッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
天ヶ瀬冬馬という男を、僕はもしかしたら過小評価していたのかもしれないと思った。
これは全くもって僕の身勝手な願望だが、アイドルという存在は人を見ようとする人であってほしいと思っている。
いや、アイドルが人を見られるようになったら自分で自分をプロデュースできるし、プロデューサーなんかいらないじゃん?って思うかもしれない。
僕もそう思う。
事実961プロにいた時の冬馬も、なんなら最初の売れる前の時期の765プロですらも、余裕がなく人を見るのがどこかおざなりであったり極端であったりしたように僕は感じていた。
無論、それは当たり前だ。一般的に余裕というものを持てるのは立場や資産、勝利を得た者だけで、そうでない彼らが人を見る余裕がないのは全く不自然なことではない。
(シャニマスでは、この話を七草にちか・緋田美琴の両二名を通して徹底的に描いているように感じる)
だからこそ、24話で冬馬がそれを得ていたことに僕はなんだか言いようのない感動を覚えたのだと思う。
961プロを辞めて前よりも苦しくなった部分もあるだろうに、天ヶ瀬冬馬という男は以前よりもずっと目の前の人を、天海春香の存在をしっかりと見据えていたように感じた。
このシーンを見ながら思い出すのは勿論、合同ライブでGO MY WAY!!を二人が披露したあの瞬間。
一番大好きな自分になるために961プロを辞めて自分の道を歩み始めた彼が、自分の道を見失った彼女の背中を押す。
いや、泣くに決まってるやん。
そしてこの後のシーンも凄い。
どこか765プロに似た幼稚園児を見ながら、自身を振り返る天海春香。
春香はなぜアイドルを目指したのだろうか。
どんなアイドルでいたかったのだろうか。
それを問い直すために、どんな空間が彼女に必要なのだろうか。
そう、電車である。
過去の自分と共に誰も乗っていない電車に乗り、その足で東京ドームへと向かっていく。
石油王とはまた180度違う、アニメならではの「ウソ」の空間なのだ。
そうして天海春香は自分と、自分の帰るべき765プロを見つけ出す。
でもごめん、この辺の話は正直僕にはよくわからんかった。
だから間髪入れずに劇場版の天海春香さんの話をしよう。
「この劇場版は貴音の見せ場が牡蠣食ってるシーンしか無くてさぁ……」と言っていた友人と全国の貴音ファンには申し訳ないが、この映画は天海春香さんのための映画だと思っているので僕には「ワッハッハ」と返すことしかできない。
具体的には僕はこの劇場版を、天海春香というアイドルの再定義の物語だと思っている。
「後ろの席までちゃんと見えてるからね」と、ステージに立ったアイドル天海春香は叫ぶ。
天海春香さんというアイドルは、TV版を通してもずっと「みんなのことをよく見ている人」として描かれてきた。
とはいえただ「みんなのことをよく見ている人」と言われても、正直特徴としてはピンと来ないのではないだろうか。
少なくとも僕はそう。
そんな僕が劇場版を好きだと思ったのは、その特徴をアイドルとしての姿勢として改めて天海春香を定義付けたからだ。
天海春香を指して「みんなをよく見ている人」とした時の「みんな」とは、一体誰のことなのだろう?
それこそが、彼女の言う「後ろの席」なのではないだろうか。
天海春香というアイドルが見ている世界には、事務所のみんなだけでなくもっと遠くの、後ろの席の人もいる。
いや勿論、肉眼で本当に見えるわけではない。ただ、それでも後ろの席まで見ようとする姿勢こそが、天海春香というアイドルの本質を形作っている。
それこそが、「輝きの向こう側へ」で描いているものなのだと僕は思う。
この映画での矢吹可奈というアイドルは、その「後ろの席」代表と言ってもいい存在だ。
彼女は同期のアイドル志望生と自分を比べて劣っていることにショックを受けたり、憧れを前に失敗を恐れたりと、本当に普通の女の子でしかない。
劇場版では彼女を諦めてステージをより良いものにするか、それとも時間を犠牲にしてまで彼女を拾い上げるのか、といった選択をリーダーになった天海春香さんは強いられるわけだけど、天海春香というアイドルなら前者は選ばない。
そうして、この映画を観た誰もが記憶に残しているであろうライブシーン、M@STERPIECEへと辿り着くのである。
僕はこの映画を観て、遅まきながら「ああ、天海春香というアイドルは今、始まったんだなぁ」なんて、そんなことを思っていた。
決して良いことだけではないのかもしれないが、アイドルマスターというシリーズ・ブランドの全ての始まりがこの映画と天海春香にあると、僕は感じずにいられなかったのだ。
シャニマスしか好きじゃないオタクが語っても説得力がないかもしれないが、アイドルマスターの根幹には「誰も見捨てずに輝きを掴みに行こう」という意志を感じる瞬間がある。
シャニマスでは「お前は本当に誰も見捨てないのか?それは建前じゃないのか?」という性格の悪い問いかけを、SHHisという一歩間違えれば本当に人死にが出るような物語を通して現在進行形で描かれているように思うし、僕はこのゲームにはそうであってほしいとも思う。
そういった根源的な方向性を、2時間まるまるかけて描き出した挑戦的過ぎる映画がこの劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』なのではないかと僕は思っている。
…………それはそうとミリオンライブの皆さん、せっかく顔出しに来てくれてるのにこの扱いで本当にいいの?
夏映画に顔出してくれた次の仮面ライダーが普通にその場でボコボコにされてるみたいなこと、あっていいんだ。
ヒカリのdestination
合同ライブで天海春香・如月千早・星井美希の3人が歌ったシャニマスのヒカリのdestinationという楽曲がある。
合同ライブ当日は「わぁ、シャニマスの信号機ユニットの楽曲をレジェンド側の信号機ユニットで歌ってくれるのか……!」と純粋にサービス的な受け取り方をしていたが、劇場版を経てその見方も少し変わってきた。
「輝きの向こう側へ!」の、まさにタイトル回収と呼べる例のシーンを覚えているだろうか。
「光の先には、何が見えるのかしら」
「光の先……素敵なところだといいなぁ」
アイドルとして各々の夢を追いかけること、その意味合いの全てがこのシーンで語られている。
……えっ、ヒカリのdestination(行き先)じゃん!!!!!!!
この楽曲は特に、イルミネーションスターズにとって初期作ながらも今なお語り継がれる非常に重要なイベントシナリオ『Catch the shiny tail』で283プロのセンターという重要なポジションに悩む内気な櫻木真乃さんが一歩先へ踏み出す瞬間の印象的な挿入歌として使われ、僕が「シャニマスって面白いのかもしれねえな……」と思うに至った個人的にも大切な一曲だ。
こういったところも、僕がこの劇場版にアイドルマスターの始まりを感じている一端だったりするのかもしれない。
それはそれとして、冷静になってくるとこのファン待望とも言える劇場版が天海春香さんメインに絞ったアイドルマスターの根源的ストーリーに迫る内容なのいくらなんでも攻めすぎだろって気持ちが湧いてくるな……
おっさんの飲み会みたいなアニメ
うん、まぁ、12年も前のアニメだからね。
とにかく体育会系の理屈で進んでいくというか、理屈よりも優先される何かで動いているシーンも少なくない。
TV版中盤で弱音を吐いた雪歩をガン詰めしてくる四条貴音はなんかもう何考えてるかわかんないところも含めて滅茶苦茶怖かった。
色々褒めた後に裏切るようで悪いが、僕はこのアニメがそんなロジカルなストーリー作りになっているとは思っていない。
いや勿論ロジカルではあるのだが、盛り上がる部分では理屈が割と謎のまま進んでいく瞬間が多い。
しかし、そもそも理屈が通っていなければアニメは全て悪いものになってしまうのだろうか?
アニマスは一言で言えば、「滅茶苦茶デカいシリーズの看板作品のくせにアーティスティックすぎるアニメ」だと思う。良い悪いではなくね。
雑に石油王が出てきたと思ったら繊細で難解な描写もあるし、ストーリーの強引な部分を演出のパワーで黙らせてきたりもする。
アイマスとしてどうとか以前に、ひたすらに「凄まじいアニメ」なのは間違いない作品で、アニマスと比べるべきは他のアイドルアニメじゃなくてエヴァンゲリオンとかトップをねらえとか、その辺のアーティスティックで攻めたタイプのアニメなんじゃないかと思う。
そういう、なんかアーティスティックな方向性で凄かった時代のアニメっぽさ、前時代的で意味わからん理屈の下動いてる感じを総合すると「おっさんの飲み会みたいなアニメだ……」みたいな感想になる。
僕はシャニマスしか好きじゃないオタクなので最初は「ウチのシャニマスが一番攻めた作品なんだが???」みたいなツラをしていたが、そもそも原点のアニマスも違う方向で滅茶苦茶攻めていたのでそういう血の気の強さみたいなのはシリーズの特色だったのかもね。
ちょっとだけ真面目な話。
当然ながらアニマスは当時の世相や風当たりのようなものがそのまま出されているアニメなので、今見るとどうしても作品にのめり込むというよりは昔の教材を見るような視点が混ざるのは許してほしい。
そんでもって、例えば奴隷として人が酷使される場面や洗脳目的で作られたプロパガンダなどの昔の映像を教材として見た時、笑いながら見る人間は(基本的には)いないだろう。
アニマスはそれと同じように千早の胸が小さいことを弄る暗黙の流れとか、やよいの家が貧しいことを揶揄するシーンとか、そういう部分はもう普通にドン引きしながら見ていた。
人の外見的特徴が笑われるだとか、貧困を背負っていることを人から蔑まされるだとか、そういうことのない世界がいつか訪れるといいなと思う。
好きになった子、気になる子
大変勝手だが、最後にアニマスで特に好きになったアイドルを部門別で紹介して終わりにしようと思う。
一緒にお茶したい部門
先に少しだけ触れたが、17話の真回が好きだ。
真は面倒見も良いし、親切だし、イベントに対してもノリが良い。
要するに、765プロの中でも「ちょうど良い」距離感の存在だ。
一緒にお茶してちょっとハズれた話をしながら美味しいケーキとか食べたいし、変なコンカフェとか一緒に行きたい。
こういう一番ラフな接し方してくれる子がなんだかんだで一番いいんだよな、みんなはわかってないかもしれないけどさ…………
一緒に街を歩きたい部門
そりゃあずささんでしょ。
街を歩いてるだけで変なイベントに巻き込まれる人と一緒に街歩きたくない?
あずささんと自由ヶ丘歩いたら最終的にはデカいフルーツサンドとオシャレな家具に追い回される体験ができそうな気がする。
あと、シンプルに話が深刻になればなるほど彼女のマイペースさが場の空気を緩和したり、入りづらい場面にスルッと入っていったりする力強さにもなっていた気がする。
そういう人がいる現場ってありがたいぜ、マジで。
事務所に放火してほしい部門
アイマスシリーズに触れている時、常に「この中だったら誰が事務所に放火しそうかな、してほしいかな」と考えている。
283プロだったら七草にちかさんに火を放ってほしいが、765プロならまぁこの人でしょ、萩原雪歩さん。
事務所に穴を掘れる度胸がある人なら、火を放つまであと1、2歩ではないだろうか。いや、そうに違いない。
萩原雪歩さん、ネガティブで引っ込み思案なだけじゃなく根っこの部分に思いきりの良さがあるところも割と好きだ。劇場版クレヨンしんちゃんだったらトラックのハンドル握ると人格変わる枠はこの人だろうなと容易に想像できるのが良い。
僕は社会というものが嫌いなので、アイドルの皆さんには是非とも破壊活動を行ってほしいと思っている。さぁ、火を放て!
俺の冬馬部門
俺の冬馬…………………………
冬馬というかJupiterの話になってしまうけれど、自分ではどうしようもない立場・社会の軋轢によって自分自身が押し殺されてしまう、そういった出来事を前に仲間と共に再び立ち上がり、乗り越える彼らの強さが僕には本当に輝いて見える。
これだけの道のりを歩んできた冬馬が、合同ライブで放課後クライマックスガールズさんや芹沢あさひとあれだけ楽しそうにスパイスパラダイスを歌ってくれていたという事実を、今一度噛みしめなければならないなと思う。
本当にありがとうな、冬馬……………………
あともう一人だけ語りたい人がいる
文字数もなんだかちょうどいいしそろそろ記事の〆に向かおうと思っているんだけど、(ここまでずっと語りたかったけれど)敢えて触れなかった人について少しだけ。
音無小鳥さんについて。
僕はニコニコ動画でずっと東方の動画ばっか見ていた世代の人間だが、彼女について事前に知っていた知識がある。
津軽レインボーだ!!!津軽レインボーだこれ!!!!!!
第21話、突然事務員とは異なる歌い手としての顔を見せた彼女が一体何者なのか。僕の意識はそっちに引っ張られまくっていた。
あと津軽レインボーとか言ってごめん、『空』滅茶苦茶いい曲です。
えっ、そんな音無小鳥さんの過去を描いた物語が漫画になっている?
…………わかった、わかったよ。
こうなったら全部見せてもらおうじゃねえか、765プロ設立までのドラマをさ……………………
なんて書いているが、実はこれを書いている段階で『朝焼けは黄金色』を既に読み終わっている。
だって面白すぎたから…………
ということで、朝焼けは黄金色の話を別途に書こうと思う。
あと少しだけこの駄文にお付き合いいただけたら嬉しいです。もうちょっとだけ続くんじゃ。
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