創作小説『ルナの鍵人』#13方舟
私と彼は街から少し離れた人気のない山へ来ていた。彼はまだ意識がないまま地面に横たわっている。
「血が…」
彼の首からまだ少し血が出ている。私は自分の服の一部を千切って首に当てた。
「…君は?」
「っ!」
彼が突然目を覚ました。それにしても、首を刺されているのに生きているとは…。
「あの、大丈夫ですか!まだ首から血が…」
ああ、と彼は自分の首を押さえた。
「大丈夫、時期に治る。それより…」
彼は私をじっと見つめた。なんだろう。
私が戸惑っていると、彼は何度か頷いて「やっぱり」と言った。
「どこかで君に会ったことがある気がする」
…?そりゃつい最近会ったし…。
「結構最近に会いましたよ?」
「えっ」
彼は固まって照れたそぶりを見せた。
「ああ、まぁ、そうだね。…僕の名前はアルバルト。本当の名前は今は言えない、身元を隠しているんだ。」
彼がよく分からない素ぶりを見せたのに疑問を抱いたが、特に気に留めることはなかった。
「あっ、私ルナです」
青年は少し驚いた表情を見せた。
さっきからなんなんだろう。
ああ、そうか。と彼は呟いた。
そして立ち上がって優しくユニコーンをさすり、鯨に視線を向けた。
「君が取り出したの?」
私はうなずく。
「まさか…何故⁈」
急に大きな声を上げたのでびっくりした。
「いやっ、なんで出来たのかは自分でもよく分からないんですけど…」
私は頭を掻く。焦った時にやってしまう癖だ。
「あのっ、でもさっき、その鯨を使って人を気絶させちゃって…」
恐る恐るそういうと、一瞬アルバルトの目つきが変わった。妙な時間が流れた。
「それは…誰だ?」
威圧感に思わずビビってしまう。私はそれを隠すように目線をそらした。
「髭を、生やした男です…。」
「…は?」
アルバルトは驚いた表情を見せた。
「彼を…気絶させた?」
私は頷く。
彼は自分の口に手をあて、しばらく何かを考えた後私の方を向いた。
「怖かっただろう。鯨を蘇らせてくれて…勇敢に戦ってくれて本当にありがとう。感謝しきれないよ。」
そう言って私の後ろを見た。海のある方向だった。
「果たさなければいけないことがあるんだ。それは人々と動物を方舟に乗せることだ。」
「方、舟…?」
アルバルトが空を見上げる。
悲しそうなのに、どこか情熱を秘めたような、そんな眼差し。
その瞳は無数の星の輝きで満ちていた。
何故だかわからない。けれど、きっとこの輝きを私は二度と忘れないだろうと思った。
「今から大洪水が起こる」
「っ」
それを聞いた瞬間思った。
ああ、あの有名な大洪水のことだ。
そうか…私はあの時代に来たんだ。
「そこに鯨も乗せよう、そうすれば未来にも受け継いで行けるかもしれない。」
彼はこちらをチラリと見て続けた。
「誰かが僕に教えてくれたんだよ。方舟に乗った者は助かるって。…きっと目には見えない、計り知れないはどのパワーをもった大きな存在。僕はそれを、神様だって思ってる。」
神…様。
「信じてもらうことはできるかな?」
彼が私の顔を覗き込む。
涼しい風が吹いた。
私は頷く。
「信じます」
私たちはその後、彼が長年かけて作りあげた方舟の元に向かった。
今、最後の調節を行なっていて、舟の下に一人の男性がいた。
「ユニコーン。ここまでよく頑張って走ってくれた。ありがとう。最後に君に頼みたいことがあるんだ。」
青年に撫でられたユニコーンは尻尾を振っていた。嬉しいのだろう、私の時と反応が違う。
「動物達を呼んできてくれ」
彼女は鼻を鳴らして駆け走っていった。その後、多くの動物達がやってきた。それらを舟に乗せ、最後に鯨も乗せたところで私は聞いた。
「あの…民をどうやってここに呼ぶの?」
ハヤリヤエやベラクの顔が浮かぶ。
すると私たち脳裏に誰かの声が響き渡った。
「真実を見るもの、ここに来る」
その瞬間、鯨がとても大きな声をあげて鳴いた。高い声が響き渡り、木々が揺れ、風が吹いた。
すると驚くことに何人かの民が方舟のところにやってきた。
その中にはベラクもいた。
彼らの前には小さい鯨がいた。
どうやら民は鯨に連れられてここに来たようだ。
それを見てアルバルトが驚き、そっか、と微笑む。
「民の心の奥底にも、鯨はちゃんといたんだね」
ああ、みんな見えなくなっていただけなんだ…。
そうか、と納得するも私はある事に気づいた。
「ちょっと待って」
「どうした?」
私は周囲を見渡す。どこにもハヤリヤエの姿が見当たらなかった。
(どうしよう…)
私が焦っていると、民の誰かが悲鳴をあげた。
「なんだあの雲は⁈」
後ろを振り返ると、巨大な雨雲が近づいてきていた。風も徐々に強くなっていく。
「もう時間がない!みんな方舟に乗り込め!!」
民は訳がわからない、という顔をしたものの慌てて方舟に乗り込んだ。
青年も舟の方へ歩きだした。
「ルナ!何してるんだ!」
「待って、ハヤリヤエがいないの!!」
「っ?誰だそれは⁈」
青年に強引に腕を引っ張られた。
「もう時間がないんだ」
(待って、お願い…待ってよ)
私が泣きそうになっているとキラリとしたものが自分の手のひらに光った。
タネルの笛のペンダントだ。
私はそれを口に咥えて思いっきり吹いた。
とても、美しい音だった。
その行動にアルバルトは戸惑ったが、ほんの少しだけ私に時間をくれた。
すると向こうの方から1人の女性が駆け走ってくるのが見えた。
「ハヤリヤエ!!」
「っ!ルナ…!」
私たちは互いに抱き合い大粒の涙を流した。そしてアルバルトと共に舟に乗り込んだ。
ゆっくりと扉を閉める。
「よし、みんないるな。ここからは長期間この舟の中で過ごす。食料は……」
その時彼はふらついた。
「アルバルト⁈」
私は彼の体を支える。
「すまない……」
そう言った彼の目には隈が出来ていた。
そうか……確か彼は徹夜までして方舟を作り続けたんだっけ…。
「お疲れ様」
私が彼を見つめて微笑むと、彼は照れくさそうに笑った。
外では激しい雨が降り注いでいる。
しかし舟の中は嘘みたいに平和だった。
そして舟の中で生き残った民としばらく同じ時を過ごし、今までの思い出を語り合った。
それぞれの人がそれぞれの人生を、いろんな出会いを繰り返して、数えきれないほどの経験や感動を味わって生きている。
そう強く感じた。
昨日まで知らなかった、関わって来なかった人たち。
そんな彼らと語り合い笑い合っている奇跡のような時間。
これまでにない、不思議な気持ちになった。
強い絆を感じた。
そしてその中には、あの燃え盛る街で険しい顔をして暴れていた男もいた。
彼はずっと黙って私の近くに座っていたが、
みんなが楽しそうに会話していたせいか、しばらく経ってから口を開いた。
「俺は…守りたいものがあったんだ」
彼の方を見ると手や足に火傷を覆っていた。きっと放火に加担した人なんだろう。少し怖かったが私は彼の話に耳を傾けた。
「だから間違ったことはしてないと思ってる。だが…」
彼の目から光るものが落ちた。その後彼は苦しそうに呼吸して、何言わないまま呆然とどこかを見つめた。
とても険しい顔。それでも、彼の目はどこか透き通っていた。
何か本当に大事なことに気づいたのかもしれない。
私はそう思い、特に何も言わず彼にパンを渡した。
その時、足元に眩しい光が差し込んだ。
(あれ…雨、止んだ?)
横を見るとアルバルトも同じように外を見て、頬を赤らめていた。おそらく興奮しているせいだ。
外には青空が広がり、朝日が私達を照らした。
そして美しい虹が私達の目に映った。
すると彼は突然立ち上がり、動物達のいる場所へ駆け込んだ。
「鳩は、鳩はいないか!」
そう叫ぶと一羽の白い鳩がひょこっと前に出てきた。
それを優しく包み込み、窓の外へ放った。
「外が安全か、見てきてくれ」
しばらく経った後、鳩が無事戻ってきた。
どうやら外に安全な場所があるようだ。ようやく……この舟から出られる。
私は近くにいたハヤリヤエとベラクと一緒に、目に涙を浮かべて喜んだ。
(ああ…ここにタネルもいて欲しかった)
そう思ったが口には出さなかった。それはきっと、ハヤリヤエが1番思っていることだろうから。
アルバルトは一人、外の景色を眺めていた。
横に行くと彼は微笑みつぶやいた。
「僕はこの先、一生君を忘れないだろうな…何百年も、何千年も」
「っ?」
その言葉に驚いて振り向くと彼はいたずらに笑ってこそっと耳打ちをした。
「僕は不死身なんだ。」
「え…ええ⁈…揶揄ってるでしょ」
「ほんとだって笑。これからも姿形を変えて生き続けていく。」
(ほんとか…?)
まだ怪しんでいると、彼の首にかかったものに目がいった。
「ああ、これ。ただの鍵じゃないよ、時を越える力がこもっているんだ」
そう言って大事そうに撫でた、その瞬間だった。
突然、時空が歪んだような感覚になって私は頭を抱えた。
なんだ…。
ふわふわと意識が遠のく。
私はそのまま、その場に倒れた。