入管面会を通して感じること

ご無沙汰しております…! 時間が空いてしまいましたが、今回は、私が約2年間入管面会を続けて感じたことを書いてみようと思います。

実は7月ごろから、少なくとも月数回は続けてきた入管面会にあまり行けていませんでした。行けないというか、行かなくなったというか、、7月~9月は月に1回ずつのみ行きましたが、10月からは行っていません。
理由としては、入管面会を続ける中で少しずつあったもやもやが、言語化できないくらいに大きくなってしまったことにあると自分では感じています。そのもやもやについて少し時間をおいて少し整理した考えを書いてみます。

もやもやの一個目として、私がやってきた面会活動は、安全な立場から、自分がやりたいような範囲で関わって、自己満足しているだけなのではないか、というものがあります。
以前は、多い時で週一回継続して面会に行っているときがありました(正直私自身もお話を聞くことで精神的なダメージがあったのですが、中にいる人はもっとつらい思いをしているのだから、と思って自分が一番できる頻度として週一回行っていました。)
しかし、月一回であろうが週一回であろうが、結局自分の都合がいい時に面会に行っていることには変わらないなと思います。私には、当たり前に日本国籍があって、いわば面会をする相手は他人で、、安全な特権的な立場から、無責任に関わっているのではないか、それは相手にとってどうなんだろう、どのように関わったらいいのだろう、というもやもやがあります。

一方で、もう一点特に最近感じていることは、入管に収容されている人=つらい思いをしている人、かわいそうな人、支援すべき人、というようにレッテルを貼ってしまっているという点です。
そういうラベルを貼ることで、その人自身が見えなくなってしまうなと思います。また、そのように思いながらする支援ってどうなんだろう、、と思います。知らず知らずのうちにそういう思い込みをしたり、自分の中にある差別意識はこの入管問題に限らず多分にあるなと思うので、気を付けたいと思っています。

そして、最後になりますが、
今この瞬間も入管にいる人がいる、中でつらいを思いをしている人がいる、ということには変わりはありません。そして、私がいつでもそのことから逃れられることも、、この点も、もやもやとしてあります。
細くてもいいから長く、という関わり方も一つにはあるのはわかっているけど、今、目の前で、苦しんでいる人がいる、と思うと、すぐに変わらないこの状況と、自分にできることの限界を踏まえて、どうしようもない気持ちになってしまって、絶望的な気持ちになってしまったことがありました。
今も正直未来に希望を持てているかと言われると微妙なところはありますが、
今できることをやっていくこと、今周りにいる人、関わっている人から大切にしていく、そこから少しずつよい社会を体現していく、というような考えを持っています。
こうやって気持ちを文字にすることや、どうしたらいいんだろう、と考えることもきっと大事なことだな、と思います。

まとまってないかもしれないですが、、今回も読んで下さってありがとうございました!
他の記事では、入管のルールや面会の方法など、手続きや設備などの面について書いているので、そちらもぜひ読んでいただけるとうれしいです!


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