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小説・映画『ティファニーで朝食を』〜原作と映画を比較する〜
「ティファニーで朝食を」と言えば、オードリー・ヘップバーン主演の不朽の名作映画であり、トルーマン・カポーティによる海外文学の名作小説でもあります。
今年の「午前10時の映画祭」にて上映されるとのことで、劇場へ足を運んで観に行って参りました。
私の場合は先に新潮文庫から出ている、村上春樹さん翻訳の小説を読んでから映画を観に行ったのですが、まず率直な印象として
「小説と映画全然違うじゃん!」
って感じました。
よく原作を映像化する際に改変して良いものが仕上がらなくなってしまうパターンがありますが、この作品の場合は特にそうは感じず、両方の特色がハッキリとしていて、それぞれの楽しみ方ができるようになっています。
まず小説を読んだ感想としては、村上春樹色が非常に強く、ご本人の小説なのではないかと感じてしまうぐらいでした。違う方の訳を読まれた方はそちらのほうの印象もぜひ教えていただきたいのですが、女性の喋り口調がモロ村上春樹口調でしたね。
そしてどうも社会の暗部が映し出されたような話で、オチが綺麗さっぱりなところに迎えるわけではないこともあり、非常にドロドロとしてえげつない話だなと感じました。決してライト目なラブコメではありません。むしろそれとは対極にあるような話です。
ここで早速映画と原作との違いについて触れるのですが、
重要なネタバレ部分にも触れることになると思うので注意して目を通していただきたいです。
まず原作に出てくる登場人物の「ホリー・ゴライトリー」ですが、
全く以て褒められた人間ではありません。
言葉を選ばずに言うと社会に適合できない女性であり、この女性に同情や愛着がわくかと言えば全くそんなことはなく何もかも理解できかねるような破滅的な思想の持ち主です。
登場人物の周りの男性たちはこの女性をある種の可哀想な人、本気で心配になる人として扱っており、恋愛的な感情のみで振り回されている感じではないように見えます。
一方、映画ではオードリー・ヘップバーンという美人の女性が演じてることもあってか、どこか憎めず男の気持ちをもてあそぶのが好きな天使かつ小悪魔的女子、それに振り回される多少情けのない男たちの話になっています。
谷崎潤一郎の「痴人の愛」に出てくるナオミのようなキャラクターなわけです。
また、原作と映画の違いはそのオチに尤も表れているといえます。
社会に馴染めずフラフラ歩き回り、理想の男性(というよりはホリーにとってどんな望みもかなえてくれるような都合の良い男性)を探しながら、気持ちが揺れ動かされ、結局誰の下につくのかというのが話の大きな流れですが、映画では見事男性の語り手視点である登場人物の「ポール」の下に居場所を見つけ落ち着きます。
最後抱擁するシーンもラブコメ映画としてはお決まりの展開で、あまりに爽やかに締めくくりすぎではないかという気がしそうですが、個人的な意見として映画で小説のようなドロドロした終わり方は嫌だと思っていたのでこれで良かったと思います。
少し述べましたが、小説のほうでは結局誰のもとにも落ち着かず今もどこかで彷徨っているのではないかと語り手のポールたちが頭を悩ます展開で、しかもどこへ行ったか行方が分からないというものでした。
非常に闇を感じる作品ですよね。そもそも小説の導入の部分がこの最後にあたる部分なのです。今はどこで何をしているのかと一つの手がかりになりそうな写真を見ながら回想をするところから始まります。だからそもそも決着がつかない話だと最初から分かっている訳です。
でも映画のポスターの漢字や主演がオードリーヘップバーンだという時点でこんな展開にはならないよなって何となく感づきます。上手くホリーという人物の要素を取り出して恋愛映画の方向へもっていくだろうと予想は付きました。
映画はハッピーエンドだったし、ラストで猫ちゃんが戻ってくるシーンは映画的とは言えすごく微笑ましくて良いです。
そんな感じで、印象の全く異なる両作品ですが、両方楽しめる作品になっているので是非両方に触れていただきたいです。