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3,193mから見た景色


2024年4月27日-29日、兄と残雪期北岳に登った時のことを記憶が鮮明なうちに書き記したいと思います。

夏に海外赴任を控えていた私は、暇さえあれば山に登っている兄をSNSで見ては羨ましく思い機会をうかがっていたところ、実現の兆しが。

北岳は日本で2番目の高さを誇る南アルプスの山。残雪期は山小屋も開いておらず、岩場の難易度も高いと言われているだけあって兄に指示される必要な装備も並大抵ではありませんでした。

山小屋が開いていないので水分を含む食料やテント、寝袋もすべて持って上がらなければいけません。「これは俺がおまえの分も持つから」と前日に合流してテキパキ荷物を仕分けてくれた兄。兄の忖度のおかげで大分軽量化されたはずの私のザックですが、それでも背負った時は絶望的な重さでした。

さて、いよいよ明日朝から入山です。

兄と、更に登山プロの同行者と3人で入山。iPhoneユーザーの私だけすぐに電波が皆無で携帯は封印。「ね。登山にはAndroid一択っしょ^^」と嘲笑われました。

1日目は森の中をひたすらに歩き続け山小屋まで。既に私のHPは0。持っている水分量が限られているので飲みたいだけ水を飲めないことが何よりしんどかったのを覚えています。

毎年のように死者が出る北岳。絶対に無理はしないということを掲げて登り始めましたが、山小屋に着くまでに既に私の脳内は「「いつ引き返したいって言おう」」とネガティブ思考で埋め尽くされていました。兄が後ろからかけてくれる言葉に返事すらできず、自らの体力の無さに絶望感しかありませんでした。

やっとの思いで山小屋(開いていないので単なる広場ですが)に到着し、兄が作ってくれた袋麺を食べて爆睡。登頂するなら下山の時間も考慮して明日のお昼頃までには登りたい。北岳の姿すら見ることのできない山の中をひたすら歩いた1日目。「さすがに登頂できずとも北岳見たいでしょ。」と兄。やれるところまでやるしかないと心を決めて計画通り2日目早朝から行動開始します。


目標すら見えない樹林帯は徐々に私のモチベーションを欠落させていきましたが、休みなく言葉をかけ続けてくれる兄に本当に救われました。無心で登り続けてようやく隙間から見えた雪の残る山を見て「北岳見えた!!」と笑う私に「あれじゃないよ」と兄。泣きたくなりました。

その後樹林帯を抜けて本物の北岳がようやく姿を現し、同時に富士山も見えてメンタルが超回復。天気にも恵まれて最高な景色でした。(その素晴らしい景色に意識が集中してしまい、貴重な飲み水500mlロストするなどの失態もありました)

場所を見てアイゼンを装着し、その時点で軽量化のためザックは置き去りに。(軽食、微量の水は兄にお任せ)

体温低下と腹痛の原因などになるため山の雪を煮沸せずに食すのはあまり推奨されていませんが、表面を削った内側の雪を食べながら歩いたりもしました。客観的に見たらなかなか滑稽だったことでしょう。美味しかったです。

そして現れた八本歯のコル。掴む岩を間違えたら落ちる、人生で初めて死を本気で覚悟した瞬間でした。ここまでは心身ともに疲労感が支配していましたが、ここから先はその恐怖に緊張し、ただただ集中を極めていました。(もはやあまり覚えていません)

樹林帯を抜けてからもずっとキツくて半泣きだったことに変わりはなく、登頂できたら泣くかもなと都度妄想していましたが、登頂したとき、実際に泣いていたのは隣にいた兄でした。

1日目の自他ともに認める私の絶望的な姿を見て、登頂できると思っていなかったとのこと。自分のことを想い、涙を流してくれる人がいるこれ以上の幸せはないなと実感しました。

頂上でコーラを飲み、山小屋付近の汚水で作ったカップヌードルを食し、3,193mからの景色を堪能。

下山にもテクニックが必要な山なので、気を抜かずにひとつひとつ確実に足を動かしました。来た道帰りとはいえ、樹林帯はルートが難しく、ピンクテープや登山者の足跡を参考に進みますが少々迷ったり、滑って数メートル滑落したりしていたので計画より少々遅く山小屋に到着。ただの袋麺とか、コンビニのモツ煮とか、汚水ココアとか、すべてが美味しくて体中に染みました。


3日目早朝からテントを片付けて行動開始。ちなみにこの時点で水は0でした。数時間歩いたところに沢の水があるからそこまで耐えようと一致団結して下山。途中足首が痛いと喚く私に兄が野外オペ(テーピング)をしてくれて、なんとか沢の水のその場所へ。ただの水ですがされど水。人間が生きるには絶対に水が必要なんだと痛感すると同時に22年間生きてきた中で一番美味しい飲料でした。

無事そのまま下界へ戻ることができ、温泉へ直行。幸せとはこのこと。


今回の登山は私にとって何にも代え難い経験です。それはこの山が北岳であったこと、3,193mであったことにさほど意味はなく、尊敬する兄と励まし合いながら((励まされながら))登頂し、その景色、経験を共有できたこと自体が幸せでした。

ゴールが見えない樹林帯や、頂上を目指しているのに登るだけではない登山道、登った人にしかわかり得ないあの景色を含めて山はまるで人生で、危ない山を登り続ける登山家の気持ちを少しだけ理解できた気がします。


兄は私が一番尊敬する人で、きっとこの先何年生きてもそれは変わりません。


彼の好奇心とそれを実現させる行動力、そのために惜しまない努力、そして人を想う心。22年間を振り返り、いつだって心躍ることを教えてくれて、私に素晴らしい機会を与えてくれて、私の勇気が必要な一歩のために力強く背中を押してくれるのは兄だったなと思うのです。

最高な兄と、危なっかしい兄妹を暖かく見守ってくれる両親に心から感謝しています。


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