自己紹介等

はじめまして。
私のストレスの発散方法の一つとして文章を書き殴ることがあります。見返すと読むに堪えないような文なんですが、それでも書かずにはいられない。そんな拙文を少しばかり垂れ流してみようと思います。もしよろしければこの記事とこれからの記録を変なことやってるな~くらいに見ていってください。

自己紹介(前職のこと)

私は名前の通り高卒社会人です。低偏差値の高校を出て、最初の会社で3年半、そこから転職したり、フリーターになったり、病んで引きこもってみたり。全部書いたら長くなるのでいつか小分けにして少しづつ書いていこうと思います。
職種は基本的に飲食。トータル5年以上続けて気が付いたのは向いていないという事実でした。
私をシンプルに現すなら「マニュアル通りならそこそこな奴」です。
具体的に言えば 1,完成形を見せて 2,指示を出して 3,時間を指定すれば イレギュラーがない限りそこそこのクオリティのものを持ってくるという人間です。なんだかChatGPTへの指示出しみたい。
問題なのはイレギュラーへの対応能力が低いこと。「飲食はなまもの」なんて言ってるのを聞いたことがありますがこれがまさしくその通りで。人と料理の状態は刻一刻と変化するわけですから常にイレギュラーみたいなものです。
この対応が上手い人が仕事のできる人なんですが、当然私はその対極です。イレギュラーがおこるとすぐに頭が真っ白になって体も動かなくなります。例えるなら夢の中で走ろうとする感覚かな。体は思ったように動かないし、平衡感覚はぐちゃぐちゃだし、頭は頭で思考がずっとまとまらずに零れ落ちていく、そんな感じ。
要は私はお荷物でした。悲しいことに。料理、大好きだったんだけどな。

ついつい長くなってしまいました。高校でてからのことはひとまずこの辺で。
これもいつか詳しく書けたら。

何で今更大学か

本題はここですよね。なんでそこから大学目指すのか。(とかいいながら本題に触れませんでした、許してください。読み飛ばしてもらって構わないです。by添削中の筆者)
私は中学3年生の夏まで大学に行くつもりでした。実力に関しても、私学の特待生やら県内トップの公立高校やらを担任に強く勧められていたのでまあそれなりにあったのだと思います。ただ家庭内での不幸なすれ違いが原因で
その選択はなくなりました。中学3年生の夏にして、高卒社会人になる覚悟を決めたのです。
不幸なすれ違いが何なのか、今はざっくりとしか書きませんが親子お互いの発言の意図の汲みとれなかったこと、加えて金銭的なことが大体の原因でした。これに関しては昨年やっと互いに認識のずれを知ったくらい複雑なものでした。
正直に言えば高校に入ってすぐに半年と少し前の選択を悔やむことになります。
知性が、無い。
授業で最初にクラスメイトに感じたことです。今でもあの衝撃は覚えています。元の志望校と20とちょっと偏差値が離れるだけでこれなのかと。
ただ、結果的に言えばこの感想も後悔の種になります。
頭良い人も全然いましたし、尊敬できる人、感謝している人なんかいっぱいいます。低いのは偏差値じゃなくて私の精神年齢だったわけですね。
いつか彼、彼女らのことも書けたら。

今度こそ本題

ずれましたね、本題から。今度こそ書くためにまずは結論を。
大学に、研究に未練があります。
小学生のころの私の夢は魚類の研究者でした。その当時はしょっちゅう近くの川にも通っていました。図鑑もボロボロになるまで読み返しました。
大好きでした、魚が、川が、海が、水生生物が、人以外の生き物が。
そんな私でしたが中学校に入ってから加入必須、(実質)退部禁止の部活の中でブラック部活を選んでしまいます。
ここで一気に魚から離れ、また近づくこともできなくなり、次第に熱意も冷めていきます。そして進路を決めるときのトラブルがついに研究者としての道との決別を決定的にします。
そこからの高校生活は別なものに熱意を注ぎそして就職。それからは慌ただしく日々が過ぎ去っていきました。仕事に関して無能ではあったものの熱意をもって真剣に取り組んでいたので脇目を振る暇はありませんでした。
ただ、たまに思い出して(特にお前は高卒だから勉強できないんだろなんて言われた日には)、「選ばなかった方の人生」を想像しては発泡酒と一緒に飲み込むこともありました。
そんなこんなで合わない仕事を無理して続けたせいで病みました。医者からはひどく同情されて半年の出勤禁止を言い渡されました。その時期のことはあまりにも辛すぎてもはやほとんど思い出せないのですが、真剣に話を聞いてくれた、あの表情は思い出せます。ちなみにそこでグレーゾーンの診断もされました。薄々気が付いてはいたけどショック、でも言い訳できるようになったという情けない安心感もいくらか。
その後退職してからひきこもるようになり大いに悩みます。それまで私をつき動かしてきた仕事には戻れません。戻ったとてただの繰り返しです。
そもそも当然のことですが、うつ状態の人間が人生の岐路立った時にまともな判断を下せるはずもありません。実家に戻って天井のシミを泣きながら数えて心が余裕を取り戻すのを待つしかないのです。
数か月の間、実家でゆっくりと過ごしそして自分が何が好きだったのか思い出しました。
魚です。
そうだ、死ぬ前に魚をもっと知りたい。これだけはそのままにして死ねない。そう思いました。
これがこの歳にして(何歳かは明かしてないけど)大学進学を選んだ理由です。
そこからは速く、大学を調べ、縁あって大学教授に話を聞きに行き、入るための手段を考え始めました。
まずは聴講生。違う、もっともっと広く深く知りたいんだ。ならば学士になるしかありません。
目についたのは社会人入試での入学。しかしあいにく第一志望の学科は対象ではありません。そもそも高校の授業をまともに受けていないので評価の対象となる調査書はぼろぼろですし、Sinθが何なのかも知らないので運良く入れても授業についていくことができません。
最終的に選んだのは共通テスト+二次、つまり初学者が一般選抜で国立大学理系を狙うということです。
まあ、そこそこ無謀です。いくら中学校まではうんたらかんたら地頭は~、なんて並べても現役生の方が積み上げてきた努力からはかけ離れています。それでも私は進みたい。
そんな挑戦の日々の息抜きとして日記代わりにつけれたらなと思います。
長々と呼んでいただきありがとうございました。


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