『君だけがいない夏』 考察
主な登場人物
そら (男の子)
ひまり (女の子 白猫)
その他 登場人物
父親 母親 (汚い大人)
クラスメイト
先生
『ひまり』の名前の由来
名付け親はそらくんだと思われます。
ひまりちゃんは捨てられた子猫であったことから名前は無かったと考えられます。
そらくんのセリフで
「不思議と君と一緒にいるとひだまりのようなあったかい気持ちになれる 〈旧譜歌詞ブックより引用〉
というものがあり、そのことから『ひまり』と名付けたのかもしれません。
曲の時系列
曲を時系列順に並べました。横の数字は月日です。
シャリューゲ 7.20
並んだ影法師 9.05
サマーフレーム 8.31
晴ればれアンサー 7.23
徒然ファクター 7.28
霞む夏の灯 8.05
8.32 8.32
エテルノーブ
さよならの朝 8.42
泡沫の夢 9.01
僕らの夏はまた巡って 7.20
私だけがいない夏
となります。日付も重要になってきますが、後ほど説明します。
時系列順に考察していきます。
シャリューゲ
曲名の意味は『猫と噓つき』です。(*Lunaさん回答)
これは嘘つきになった少年と捨てられた子猫が出会う話です。
この曲にはMVがあり、動画に登場するセリフや歌詞が重要になってきます。
注目すべき点は
そらくんに向かって吹き出しに表示される文字
そらくんから出た吹き出しに表示される文字
白文字
赤文字
の4つとなります。それぞれの意味は以下の通りです
1 そらくんガ耳を塞ぎたくなるような言葉
2.3 そらくんの言葉、本音
4 汚い本音
となります。
それぞれが何番にあたるかは必要な所だけ説明するので気になる方は曲を聴きましょう!
以下 曲の冒頭に表示されるセリフです。
順番に考察していきます。
「落ちた順位、やっと戻ったのね、ほんと心配させないで」
これは母親のセリフです。この心配というのは本来親が持つべき『心配』とはかけ離れたものです。
彼女が心配しているのは子ではなく順位なのです。
「全く、今は大事な時期なんだ、他のことに現を抜かすな」
父親のセリフです。
シャリューゲのイラストでは服装、体系からそらくんは小学生だと思われます。
大事な時期ということから中学受験付近であると考えられ、小学校6年生だと推測できます。
「もうすぐ夏休みだからって気を抜かないようにしなさいね」
「お前にはお父さんも期待してるんだ、この調子で頑張れよ」
嘘に殺される僕
この『嘘』というのは母親の『心配』と父親の『期待』のことだと僕は考えました。
以上のセリフの後、歌い出しです。
頭の腐った大人とは父親、母親のことです。
ここの間奏でクラスメイト、先生のセリフが表示されます。
そらくんは学校にも家に居場所がありませんでした。
彼らが吐く嘘で自分を殺して生きているからです。
そらくんは彼らが持つ汚い本音を知っていながらも気づかないふりをして生きています。
2番目からはそらくんが周りと上手くやるために嘘をつくようになります。
そらくんはこうはなるまいと線引きしながらも、彼等と同じように笑い『それはそれはすごいね』と思ってもいない嘘を重ねます。
同じように嘘をついているうちに、彼等のもっと深い本音がそらくんには見えていきます。
《並んだ影法師》では『弱い物をいじめるのは』という歌詞がありこの学校でもいじめのようなものがあったのかもしれません。
『どいつもこいつも面の下は真っ青』
『自分だけを必死に守る嘘を吐いて』
誰もが弱い自分を守るために嘘を吐いていたのです。またそれはそらくんも同じでした。
『虚しいなあ』 このセリフだけそらくんの胸に表示されていることからそらくんの本音だと考えられます。
その後、周りから向けられるだけだった吹き出しが初めてそらくんから出てCメロに入ります。
『君と一緒で独りぼっちだな』
そらくんは嘘をつくようになってクラスメイトとも一緒に笑ったりお世辞を言うような『友達』のような関係になれています。
だけどそらくんが自分を独りぼっちだと言うのは、そんな関係を友達とは認識していないのだと思います。
『君はきっと何もわるくないよ』
きっと自分勝手で嘘つきの人間に捨てられたであろう子猫に言います。それが白猫、ひまりちゃんとの出会いでした。
嘘をつき続けていたそらくんは、いつからか心の声がノイズにまみれて聞こえなくなってしまします。
これは『自分を見失った』ということです。
何のために自分が笑っていたのかもわからなくなってしまいます。
最後の白文字の「誰か」 では背景が黒く塗りつぶされてます。
ただ文字と同時に白く残っていたのは白猫でした。
助けを求めた誰かが白猫だったということを示唆していると思われます。
実際次の曲では、そらくんは白猫、つまりひまりちゃんの前では本音を出せるようになっています。
ひまりちゃんのことだけは信じることができた、ということだと思います。
猫に裏表なんてないですからね。
並んだ影法師
曲名は猫と少年の並んだ影を差しています。
その影は何度も伸びては消えて、少しずつ大きくなっていきます。
『いつか』というのが何を差しているのかは、はっきりとはわかりません。ここは曲を聴いた人がそれぞれ逃げた過去を当てはめるところなのかもしれないですね。
ただ憶測を述べるとすれば、この曲ではそらくんとひまりちゃんがのんびりと夏休みを過ごすことが出来ています。
中学受験はほとんどの場合冬に行われます。
母親も言っていましたが受験も控える忙しい時期に、そんなふうに夏休みを過ごせるとは思えません。
きっと親や先生にも色々言われるだろうと思います。
勉強をすること、
言う通りのいい子であること、
そういったものから逃げ出した日が『いつか』であり今も『逃げ続けて、進めないまま閉じこもってる』ということなのかもしれません。
そんなことができるのもまた、ひまりちゃんが傍にいたからなのだと思います。
《シャリューゲ》では人の汚い表裏が強調されています。
それらは、そらくんが耳を塞ぎたくなるような言葉ばかりでした。
猫であるひまりちゃんには言葉もなく、愛想笑いもない、ただ傍にいてくれるだけ。
だからこそ安心して一緒にいられたのだと思います。
この『見えてきたもの』については旧譜のサマーフレームの歌詞ブックに繋がっていると思われます。
そらくんはひまりちゃんと出会い、自分がどうするべきか見え始めてきました。しかし、突然に別れがやってきます。
ひまりちゃんと出会い、変わりかけていたそらくんですが、ひまりちゃんがいなくなったことで元に戻ってしまいます。
ひまりちゃんとの別れの後、推測ですが、そらくんは部屋に閉じこもるようになります。
学校などには行っているかもしれませんが、少なくとも夏休みの間は外には出ないようになったのは確かです。
何故なら、夏には人の姿になったひまりちゃんがそらくんを探して一人町を歩いているからです。
部屋にこもって幾度か夏が過ぎ、ある夏、そらくんが『ただ、なんとなく』外に出ることで物語は動き出します。
それが《晴ればれアンサー》の場面となりますが、その前にひまりちゃん目線の曲である《サマーフレーム》があります。
サマーフレーム
曲名の意味はそのままだと思います。
『伝えたい言葉』というのは『自分を見失わないで』か『夏を嫌いにならないで』『ありがとう』かなと思います。
ひまりちゃんの姿について
ひまりちゃんは白いワンピースの女の子に姿を変えていますが、これはひまりちゃんが願った結果、起きたことです。
『願い』はこの作品で重要なものとなっていて、この作品における不思議な現象は全てそらくんとひまりちゃんの『願い』と重なります。
『神様的な何か』によってそれは起きているのかもしれないですね。
ここで重要となってくるのが『君だけがいない夏』のAlbum XFDとコンセプトライブのセリフです。
『過ぎた願い』というのは猫であるひまりちゃんはいずれ先に死んでしまうためずっと傍にいることはできない、ということだと思います。
コンセプトライブの言葉についてはうろ覚えなので、こんなニュアンスの言葉だったんだな、程度に見てください。
といった風の言葉の後に白猫が少女に姿を変えました。
鳥井もありますし、なんかこう『神様的な何か』の不思議な力が作用したんだと思います。
サマーフレームの日付は8.31
そらくんとひまりちゃんが過ごした夏は7月から8月
なのでサマーフレームはそらくんと再会する前の独りで過ごした夏の話です。
余談ですが麦わら帽子は誰かの忘れ物らしいです。
ここからは旧譜と新譜で歌詞が異なります。
旧譜
新譜
皆さんはどっちが好きですか?僕は両方です。
子守歌に関しては、コンセプトライブでわかばやしさんが鼻歌を歌う所から8.32の『ウォーオオ、ウォーオオ、オオオ』だと思います。
《サマーフレーム》はひまりちゃんがそらくんを探す話ですが、注目すべき点は夏が終わっていくのを悔やんでいることです。
まるで夏にしかそらくんに出会えないかの様です。
当然そらくんは秋も冬もいます。
このことからひまりちゃんは夏の間しか存在できないと考えられます。
夏が終わればより『不確かなもの』になるのだと思います。
そして、恐らく8.31日がひまりちゃんが現世にいることができる夏の最後の日となっています。
晴ればれアンサー
ひまりちゃんにとっては再開であり、そらくんにとっては何故か何処か懐かしい少女との出会いの話です。
《アンサー》というのはその出会いが偶然か必然かどちらかを《アンサー》を求めるということだと思います。
前述しましたが、そらくんは白猫のひまりちゃんと別れた後部屋に閉じこもるようになります。
ただ『いつかの夏』を浮かべたことで外に出ます。
『いつかの夏』というのは白猫と過ごした夏のことを差しています。
その後『でも』と打消しの言葉が続いたのは猫のことを思い出して外に出たのにまったく別の少女に目を奪われてしまったからです。
子猫と出会ったのは、自分を見失い不甲斐ない時でした。
この夏でもまた自分を見失っていて、そんな夏には白猫を思い出してしまいます。
あの時白猫と過ごした夏をいまだに忘れられずそれはまだ覚めない夢の中にいるようでした。
そんなとき、海で出会った少女に一目惚れをしてしまいます。
彼女に目が惹かれてしまうのは偶然ではなく彼女のことをどこか懐かしく感じることも要因となっています。
そらくんは少女の正体には気づかないものの、どこかで白猫の存在を感じ取っていました。
そしてもう一つ、そらくんがひまりちゃんを魅力的に感じたのは理由があります。
『不確かなものはいつだってどうしようもなく僕を惹きつけて離さない』
そらくんはひまりちゃんの存在の『不確かさ』を感じていたのかもしれません。
『繋がれた世界』というのはそらくんが生きる現実の世界とひまりちゃんがいる不確かな世界との繋がりをさしていると考えました。
そらくんがひまりちゃんの手をとったことにより、世界は繋がりました。
この『手を繋ぐ』という行為には大きな意味があり、今後も出てくるので覚えておいていただきたいです。
ひまりちゃんの方はすぐに少年がそらくんであると分かっていたと思います。
ただ正体を明かすわけにはいかず嘘をついてそらくんとまた夏を過ごしていきます。
《シャリューゲ》でわかるようにそらくんは自分を含め『嘘つき』が嫌いです。
そのことを知ってかひまりちゃんはそらくんに嘘をつくことに酷い罪悪感をかかえている事が《霞む夏の灯》ではわかります。
そうまでしてそらくんに嘘をついたのは何か理由があるのかもしれません。それは《霞む夏の灯》で語らせていただきます。
徒然ファクター
これは《晴ればれアンサー》のひまりちゃん目線とその後の話です。
重要な歌詞が多くあり今後の展開に大きく関わってきます。
『きっと君はもう覚えていないだとうけど』『これでいいんだ』
の所は、自分のことを思い出してほしいけど、正体を話すわけにはいかないという葛藤だと僕は考えました。
『それでも君にしかこの手は繋げない』
どうしてそらくんに限定されているのか。それはひまりちゃんが人になった『願い』にそらくんが含まれているからです。
そらくんの傍にいてそらくんと話をしたい、そらくんの力になりたいという願いが『神様的な何か』によって掬われ、ひまりちゃんは人の姿になりました。
『君と過ごす時間が ずっとこのまま続いたらいいな ほんとはだめだってわかってた』
ずっと続いてはいけないのは
『自分はいずれ消えてしまうから』
『自分と一緒にいると連れていってしまうから』
だと思います。
後者については《さよならの朝》でより詳しく書かれます。
これは白猫のひまりちゃんの事を思い出しているのだと思います。
ひまりちゃんと一緒にいるとどうしても白猫の面影が見えてしまうのだと思います。
懐かしく思い、笑みがこぼれるけれど同時に泣きそうにもなってしまうのだと思います。
『決められた必然的な何かに逆らってしまったとしても』
君夏だけでなく色んな作品で多いのが、不思議な存在には世界の修正力が加わるというものです。過去を変えようとしても、色んな要因で防がれたり元に戻ったり。
ひまりちゃんの様に『死者が現世に現れた場合』には、その者はいずれ消え、記憶や記録が消されてしまう、という作品が多くあります。
『君だけがいない夏』にもおそらく世界の修正力、つまり『決められた必然的な何か』があり
『君の未来だってきっと変えられる』
本来存在しないはずのひまりちゃんがそらくんの未来を変えることがそれに逆らうことなのだと考えます。
霞む夏の灯
夏の灯とは花火や提灯、夏祭りにある灯をさしていると考えられます。
それが霞むのは彼女がそれよりもずっと美しかったから、秘密を打ち明けられた衝撃か。
あるいはひまりちゃんから見た涙で霞んでしまった世界のことをさしているのか。
これはそらくんがひまりちゃんと夏祭りに行く話です。
新譜と旧譜ではひまりちゃんのセリフが変わっています。
新譜
人多いのが苦手なのは猫がそう、というのもあるのかもしれませんが何より『それでも君にしかこの手は 繋げないことを 隠してたんだ』から分かるように空くん以外はひまりちゃんに触れることができません。
もしかすると見ることもできないのかもしれません。
祭りでは大勢の人とすれ違うことになるため、それがばれてしまうリスクがあります。
旧譜
そらくんはひまりちゃんに告白をされるのかと勘違いしていたようです。夏祭りに真剣な表情で「聞いてほしいことがある」と言われたらそうなるのも無理はないですね。
『君と過ごす日々がとれも好きだった』
これが過去形なのは、一緒にいる今ではなく猫だった頃のことをさしているのだと考えられます。
『なのにどうしてかな 遠い 遠い』
なのには打消しであり、本来は好きだった時間ほど近くにあるものいうことが分かります。
この近い、遠いとは鮮明に思い出せるものを『近い』そうでないものを『遠い』と表しているのかと考えます。
憶測ですが、ひまりちゃんは少しずつ昔の記憶を失っていっている可能性もあります。
それが必然的な何かに逆らった代償か、ひまりちゃんの存在自体消えかけているのかもしれません。
新譜
旧譜
前述しましたが、謝っているひまりちゃんの悲痛な声からも、そらくんに嘘をついたことをひまりちゃんを酷く悔いています。
それでもひまりちゃんが自分の正体を明かしていなかったのには何か理由があると考えました。
それは
正体を明かすとそらくんと一緒にいられなくなってしまうから
だと考えました。
そらくんと出会い世界が繋がったように『不確かな存在』は認識されることによって明瞭になっていきます。
それは 見る 触れる といった行為をさします。
ただひまりちゃんの正体を知るという行為は、ひまりちゃんが本来は『存在しないはずのもの』と認識することでもあります。
それはひまりちゃんをより『不確かな存在』にしてしまう行為です。
それでもいつかは話さないといけないのはひまりちゃんは夏が終わると消えてしまうからです。
そらくんはひまりちゃんの秘密を知ってしまいます。
同時に、ずっと一緒にはいられないことも分かってしまいました。
8.32
《霞む夏の灯》から次の《8.32》までは約1ヵ月も空いています。
そこで何があったかは正確にはわかりません。
『君を隠したもやもやも』
ひまりちゃんを『存在しないはずのもの』と認識したことにより、もやがかかったようにひまりちゃんを認識できなくなったのかもしれません。
ただ『隠した』とあるようにそこにまだひまりちゃんがいることは分かりました。
《8.32》ではひまりちゃんに会うためにもっと一緒にいるために『終わらない夏の夢』に深く堕ちて溺れていく話です。
8.32は本来存在しない日付であり、これは間違いなく本来存在しないはずのひまりちゃんが影響しています。
そらくんの『僕は君と共に行く』とひまりちゃんの『共に行く』はまったく別の意味を持っています。前者は『生者に死者がついていくこと』であり後者は『生者が死者についていくこと』です。
*******には7文字入ります。フォロワーさんがこれだ!という意見を出してくださったので掲載させて頂きます。
『この世にいない』
皆さんもこれだっていうのがあれば是非教えてください。
『覗いたものは すべて輝いていつか 消えそうに ゆらゆら揺れて』
これは夏の思い出のことをさしているのかと考えています。
この後の歌詞にありますが、ひまりちゃんと出会うまでのそらくんが見ていた世界は灰色でした。輝いているのはやはりひまりちゃんと過ごした日々なのだと思います。
それが今は消えそうに揺らいでいる。それは本来存在してはいない日々であるからです。
『触れたものは すべて透き通って繋ぎ 留めたくて くらくらしてた』
そらくんが触れたものには、ひまりちゃんの手が含まれます。それは今は透き通って今にも消えそうになっている。
そらくんはそれを繋ぎ止めたかった。しかしそれをしようとするとくらくらと眩暈がする。
ひまりちゃんに触れようとしても雲をつかむようで出来ない。ひまりちゃんに触れるにはもっと溺れる必要がありました。
ここで『願い』について説明しておきます。
前述しましたが、この作品では『願い』が重要になってきます。そして特に注目してほしいのは『二人の願いが重なったもの』です。
ひまりちゃんが人の姿となり現れたのは、二人の願いでもありました。そらくんもひまりちゃんも、互いに『話したい』と願っています。
これから二人の願いが何なのか、それが重なる時に注目してみていただきたいです。
ひまりちゃんに会うためそらくんはより深く沈んでいきます。
そしてもうそこが本当は存在しない場所であることも知っていました。
それでもそらくんはもう置いていかれるのは嫌でした。
稚拙な願いと知りながら、置いていくなら「僕ごと全部連れて行ってくれ」と願います。
時間は狂っていき、君だけがいる夏へと堕ちていきます
深く溺れていったそらくんはついにひまりちゃんを見つけ出します。
『眩しい日差しを背に君は笑っていた』
このシーンがまさに8.32のイラストのシーンだと考えています。
『僕の影に凭れ 霞んでいく』
ここではもうそらくんの影に触れられるほどの距離にいます。ひまりちゃんは水面の上ですが、深く堕ちたそらくんも不確かな存在となり水面の上を歩いていけたのかもしれません。
そして水面に映ったそらくんの影に凭れひまりちゃんは消えていく。
水面なので溺れていくようにも見えたかもしれません。
堕ちていくひまりちゃんを抱きしめたそらくんは、ひまりちゃんと共に堕ちていきます。
夏の終わりとともにひまりちゃんは消えるはずでした。
実際に消えたのかもしれません。
イラストでは曲の終わりに女の子は消えました。それは現実ではない『終わらない夏の夢』の世界にいったのだと考えられます。そらくんもまたひまりちゃんと共に行ったのだと考えられます。
《さよならの朝》は8.42です。次の《エテルノーブ》という曲はその存在しない8.32から8.42までの10日間を過ごした話となります。
エテルノーブ
意味 永遠の夜明け 君夏検定1級 試験問題
《終わらない夏の夢》の世界では時間が止まっています。空の雲は動くことはなく、咲いた花も枯れることがありません。
空に咲いた花ですら消えることはありません。
未来を失った二人というのは本当にそのままの意味で、二人にはもう本来の未来はこないということだと思います。ただ永遠にとまった夏の世界で過ごし続けるということです。
『願い』の話に戻りますが、この夏が永遠に続いてほしいという願いは二人が持っていた願いだと考えます。この永遠の夏はその願いが重なったことによって作られたのかもしれません。
永遠が終わるとすれば二人の願いに違いが生まれた時、なのかもしれません。
ひまりちゃんは8.32日に一人で消えていくつもりでした。
何故ならこれ以上一緒にいるとそらくんが戻れなくなってしまうからです。その点は《さよならの朝》で詳しく書かれます。
8.32に笑顔で消えていこうとしたひまりちゃんをそらくんが稚拙な願いで引きずり込んみました。
優しいひまりちゃんはその願いを断れなかったのだと思います。またひまりちゃんもそらくんとずっと一緒にいたいと願っていたのだと思います。
エテルノーブではひまりちゃんが何をしたのか、どんな表情なのかという描写がほとんどありません。全体的にそらくんがひまりちゃんに語り掛けるような歌詞になっています。
ずっと続くと思っていた永遠の夏は突然に終わります。それはひまりちゃんの選択でした。
さよならの朝
エテルノーブ 永遠の夜明けから、さよならの朝へと向かっていきます。
存在しない日々を生きるのは罪であり、時間がたつほどその罪は深くなっていきます。罪には代償がつきものです。『僕らの罪』と言うのは二人で罪を背負う、ずっと二人でいようといった意味かもしれません。
でもそれをひまりちゃんは望んではいませんでした。
『このまま堕ちていけたら』ということはまだ今なら間に合うことになります。
『堕ちていったら』ではないのはひまりちゃんもまた一緒に堕ちていきたいという思いが少なからずあるからだと思います。
それでも、ひまりちゃんはそらくんに生きてほしいと思い別れを告げます。だけどまたそらくんが繋ぎ止めようとひまりちゃんの手を握ります。
ひまりちゃんと出会った時もそらくんは彼女を見失わないようにと手を握りました。
手を握るという行為は大きな役割をもっていて、ひまりちゃんが消えかけている今、それは彼女を繋ぎ止めるものではなく彼女に引っ張られてしまうものとなっています。
このシーンでは時計の音が鳴り出していて時間が動き出したことを示唆しています。
溢れたら、そらくんを奪ってしまう思い。それは恋心なのではないかと僕は思っています。
そらくんはひまりちゃんと出会う前、猫であったひまりちゃんのいなくなった夏を受け入れることができていませんでした。そして夏を好きにはなれませんでした。
《サマーフレーム》であった伝えたかった言葉はやはり『ありがとう』『夏を嫌いにならないで』『自分を見失わないで』ではないでしょうか。
泡沫の夢
9.01という日付からそらくんが元の世界に戻ってきた事が分かります。
しかし、そこにはもうひまりちゃんはいませんでした。そしてまた自分を見失ってしまします。
再びひまりちゃんの声が聞こえ、その言葉でそらくんは前を向いて歩き出します。
そらくんにはもうひまりちゃんがくれた思い出と言葉があったからです。
僕らの夏はまた巡って
イラストでは大きくなったそらくんの隣にひまりちゃんの影が寄り添っています。この曲は、自分を見失わず夏を好きになったそらくんが書かれています。
それはひまりちゃんがずっと望んでいた事です。
ここまでが旧譜の『君だけがいない夏』の物語です。
新譜とコンセプトライブではその後が語られています。
まず一番重要なのは、そらくんがひまりちゃんのことを忘れてしまうということです。
以下 コンセプトライブで出た言葉 うろ覚えです。
―だけがいない夏
という文字に関してはうろ覚えではなくはっきりと覚えています。大人になったそらくんはひまりちゃんと過ごした夏のことをすべて忘れてしまいました。
その点も踏まえて《私だけがいない夏》を聴いていただきたいです。
私だけがいない夏
『あの日隠した想い』は個人的には恋心だと考えています。
それを表に出してしまってはよりそらくんを居るべきではない場所に引きずり込んでしまうからだと考えます。
あるいはそらくんと離れるという決断が揺らいでしまわぬように自分に嘘をついて『自分から』隠したという見方もできます。
ここで注目してほしいのは『街』という漢字です
サマーフレーム、霞む夏の灯では『町』でした。これはそらくんが大人になり生まれ育った『町』をでて別の『街』に行ったところにひまりちゃんが着いていったのだと考えられます。
またサマーフレームではサンダルを履いて歩きまわっていたのいたのに対して《私だけがいない夏》では飛び回っていると書かれています。
これはひまりちゃんがより現実とはかけ離れた存在になったということです。
ずっと永遠の夏にいること、本来は人ではないこと、死んでしまっていること
どれが要因かはわかりませんがイラストからも分かるようにひまりちゃんの姿はずっと変わりません。
大人になっていく つまり 生きている そらくんが少し羨ましいということだと思います。
『そう決めたから』
という言葉からもそらくんが現実に戻ったのはひまりちゃんの選択であったということが分かります。
前述したように、そらくんはひまりちゃんのことを忘れてしまいます。
それでも、そらくんが笑って生きていけるのはひまりちゃんと過ごした夏があったからだと思います。
ひまりちゃんの言葉が何度もそらくんの背中を押してくれて、未来に繋がっているのです。
いつしか見守られているという感覚も消えてしまいます。
それはひまりちゃんが本当に世界から消えてしまったのか、あるいはそらくんが認知できなくなったのかはわかりません。
ただそらくんはもう、ひまりちゃんがいなくても生きていけるということです。凄く寂しいことのように思えますが、それこそがあの夏にひまりちゃんがいた証なのだと思います。
もしいつかまたひまりちゃん巡り合えた時、そらくんはきっと笑えていると思います。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
最後に
この美しい物語と音楽を作って下さった*Lunaさんには感謝しかありません。
僕もまた、ひまりちゃんの言葉に何度も救われてきました。そらくんに何度も勇気をもらいました。
本当にありがとうございました。
余談
ここからはただひたすら『君夏』愛を語るだけなので正直読む必要はないです。投稿後にちょくちょく書いていきます。
僕が初めに出会ったのは8.32という曲でした。