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このまちは誰かの喜びでできている
2024年12月11日(水)朝の6:00になりました。
今日も今日とて、書き終わったら走ります。
どうも、高倉大希です。
知人が家を建てたというので、さっそくお邪魔してきました。
新築の香りが漂う、とても綺麗な家でした。
何よりも、家主が嬉しそう。
そうだよな、ずっと前から楽しみにしていたもんな。
そんな日の帰り道、まちの見え方がほんの少しだけ変わっていました。
このまちだって、誰かの喜びでできている。
人生には気持ちよく希望を語る瞬間があっていい。うそぶくこともまた、人生の醍醐味だ。もしかしてその希望を掲げることで、思ってもみなかった場所にまで、流れ着くことだってあると思う。
あの空き家も、あの廃れたビルも、誰かの喜びでできています。
家を建てた知人と似た喜びが、建物の数だけ生まれたはずです。
そう考えると、ひとりひとりの人間だって同じです。
あの人も、あの人も、誰かの喜びでできています。
当たり前と言ってしまえば、それまでの話ではあるけれど。
ちょっといいなと、思ったわけです。
思春期の頃、人との会話を通して最も僕が快楽を感じるのは、知らないことに気付けた瞬間であり、誰かから新しい価値観や視点を与えられる瞬間だった。
いつになく、ハートフルな内容になりました。
ただ、「喜び」を「憎しみ」に変えても同じことが言えるような気がします。
このまちは、誰かの憎しみでできている。
あの人も、あの人も、誰かの憎しみでできている。
実際のところは、「喜び」なのか「憎しみ」なのか。
そんな議論をはじめたところで、唯一の結論には至りません。
すでに船は目的地(豊かな社会)に着いた。「ぼく」や「君」は別の小さな舟に乗って、それぞれの目的地(幸せ)に向かって航海を始めた。目的地は「ぼく」と「君」とで違う。自身が決めるしかない。
「真の発見の旅とは新しい景色を探すことではない、新しい目で見ることなのだ」
マルセル・プルーストは、こう言いました。
「人間はなにも創造しない。ただ、発見するのみである」
アントニ・ガウディは、こう言いました。
知人のおかげで、まちの見え方がすこし変わった。
ただ、それだけの話です。
2024年12月10日(火)朝の6:00になりました。#柿の種 #読みたいことを書けばいいhttps://t.co/jWSEDBZjDj
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) December 9, 2024
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