ピアノピアノ-Piano piano ゆっくりね
9月27日に帰国した私は二週間の自主隔離期間が今週の月曜日に終わって、火曜日から動き始めています。
もうここ10年以上、毎年少なくとも年に2回は帰国していましたが、コロナ禍が世界中を巻き込んだ2020年、ぎりぎり1月に帰国して以降、今年に入ってからもずっと帰国できずにいました。
その間、会うこともできないままに最愛の母を失いました。
日本に居ないながらも母の後見をしていただいた司法書士とその奥様、母が入居していた介護付き老人ホームの施設長とスタッフ、母の甥っ子(私の従兄)夫婦などなど色んな人たちに助けてもらい、火葬や荷物の整理、納骨まで済ませていました。
こう書くと何だかあっさりと全て人に頼んで済んてしまったように思われるかもしれませんが、実際には、いざという時のために前もって色々調べ、具体的な準備をしていました。現場にはいませんでしたが、具体的に指示を出して、日本にいる関係者にお手伝いをしていただきました。
10年以上前からアルツハイマーを患っていた母の病状は、かなり長いこと緩やかに進んでいましたが、90歳頃から嚥下機能が低下し始め、どんどん、坂道を転がるように老化、悪化の一途を辿りました。
それでも私は母が愛おしくてたまらず、最後の数年間は無理矢理長生きをさせてしまったのかもしれません。もうだめなのではということが何度かあったのですが、最後の数年は、命を救ってもらう道を選択し、結局、状態が悪化する一方の母を見ては、気の毒になり、後悔の混じった複雑な気持ちを抱えるようになりました。
そのため、いざという時の実務的な準備もしてはあったのです。
とは言え、具体的な葬儀や納骨についての用意はしていても母を失う心の準備はとうとうできないままでした。
結局、母の死に目にも会えず、亡くなって半年以上経ち、コロナ感染状況も落ち着いてきたらしいし、と、ようやく重い腰をあげました。
様々な手続きや、老人ホームからトランクルームに移してもらった荷物の整理をするために、ようやく戻ってきました。
二週間の隔離期間が丁度良い巣ごもり期間だったのかもしれません。
今週の火曜日から、親戚や後見人への挨拶、役所や銀行での手続きなど精力的に動き始めることができました。
でも、時々、ふと動けなくなります。
そんな時は、ピアノピアノというイタリア語を思い浮かべます。
この言葉はイタリアに来て、外国人のためのイタリア語学校に通っていた時に先生たちにしばしば言われた言葉でもありました。
実際にはピアノという言葉には色々な意味があり、また、名詞、形容詞、副詞として使われます。
例えば、楽器のピアノはイタリア語でピアノフォルテと呼ばれます。
17世紀に登場したこの楽器はイタリア人バルトロメオ・クリストーフォリが発明しました。当時イタリアを始めヨーロッパの上流階級で人気だったチェンバロはやがてピアノに取って代わられていくことになりますが、鍵盤へのタッチが強くても弱くても音が変わらないチェンバロとは違い、鍵盤を叩く力の強弱に従って音にも強弱がでることから、初めのうちはフォルテピアノと呼ばれました。
フォルテは強い、ピアノは弱い。つまり音の強弱が出る楽器というわけです。
ここでは、ピアノは「弱い」と訳されるのですが、実際には、「弱い」というよりは「やさしい」というニュアンスです。
大分寄り道をしましたが、今日のテーマ、ピアノピアノに出てくる「ピアノ」の意味はゆっくり。
イタリア語の文法はある程度学んできたものの、実践力が圧倒的にないわたし、言いたいことの半分も言えず、焦ってしまいがちでしたが、そんな時語学学校の先生がよく言ってくれた言葉がこの「ゆっくりね」に当たる
「ピアノピアーノ」
でした。
そう、二つ目のピアノはピアーノと心持ちアーと伸ばした感じで言ってもらうと本当にのんびりしていいんだな、焦ることないよね、と思わせてくれます。
そして、今、いつもなら、帰国したら真っ先に会いに行くはずの母がいないことをひしひしと感じつつ、自分の来た道、これから行く道を考えて、これでよかったのかな?これからどうするの?もっとちゃんとしなきゃ!がんばんなきゃ!と焦ってしまう自分に「ピアノピアーノ、お母さんもきっとそう言ってくれるよ」とそんな独り言をみなさまに披露してしまいました。