山猫とガリレオ、そしてノーベル賞
日本出身真鍋氏
ドイツ人ハッセルマン氏
と共にノーベル物理学賞を受賞した
パリージ氏はイタリア人。
一昨日(10月8日)、《ノーベル物理学賞の受賞者に捧げて…》というタイトルで投稿した記事の中で「ガリレオの後輩(?)が、ノーベル賞をとりました。続きは明日。」とだけ書いておきました。
で、遅ればせながら、いざ、続きを!
真鍋教授の受賞が日本で話題沸騰したように、イタリアで大きな反響を生んだ受賞者は、ジュリオ・パリージ教授。
彼は、米国科学アカデミーに所属する3人のイタリア人会員のうちの1人であると同時に、イタリアのアッカデミア・デイ・リンチェイ(山猫学会)の前会長、現副会長でもあります。
ここで、パリージ教授が属する組織のイタリア語名称の解説と日本語での呼び方に関して説明してみます。
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一般的に、日本語では
アッカデミア・デイ・リンチェイ
とか
山猫学会
と訳されています。
原語のイタリア語では
Accedemia dei Lincei
Accademia (アッカデミア) =アカデミー、学会。イタリア語では《アッカデミア》と発音しますが、日本人には《アカデミア》の方が言い易いからでしょう、フィレンツェにある「アカデミア美術館」のように《アカデミア》と
記載されている場合もあります。
dei (デイ)=di:前置詞 + i:定冠詞男性形複数 (「dii」→「dei」と変化)
英語でいうと”of the”が”ofthe”となってしまうようなもの。
Lincei (リンチェイ)=Lince (オオヤマネコ)の複数形。オオヤマネコから山猫に転じて、この学会の場合《リンチェイ》または《山猫》という呼称が当てはめられているようです。
パリージ教授が副会長でもあるアッカデミア・デイ・リンチェイ(山猫学会)は、今から400年前に創設された学会です。
簡単にストーリーを。
1603年、自然科学、特に植物学を熱心に研究していた若干18歳!の青年貴族フェデリコ・チェージが仲の良かった3人の学者仲間たちと一緒にローマにアッカデミアを創設。
学識があり、また、際だった視力を誇るネコ科の動物リンチェイ(オオヤマネコ、転じて、山猫)のように鋭く物事の本質を探る眼のある者たちが集う場にしたいとこのアッカデミアをリンチェイと名付けました。
既にルネッサンス期、文化が非常に発達したイタリアでは、1400年代以降、アッカデミアが盛んに創立されてきました。
結果、この4人の若者たちが生きた1600年代のイタリアには多くのアッカデミアがひしめいたいたのですが、大半が文学的な学会であり、討論好きの集まりのようなものばかり。
そんな時代背景の中、青年チェージは当時の文科系一辺倒の潮流から外れた実験科学を基本とする研究者の学会にすることを目指しました。
当時の学問の主流とは?
大昔のアリストテレス(紀元前4世紀!)とプトレマイオス(2世紀)の思想に絶対的規範であったキリスト教の教えを何とかうまく当てはめて、地球のありようや森羅万象を理解しようというもの。
例えば
宇宙の中心は地球であり、太陽や月、星が地球の周囲を回っている…
つまり「天動説」。
そして、
こうした地球を中心とした宇宙の始まりや人間、動物の誕生は神の御業。
天地創造、アダムとイブ、エデンの園…つまり旧約聖書に語られていること。
といった教えを元に全てを解釈しようというわけで、これに反する意見を主張する者は、平穏な世界の成り立ちを破壊する危険な思想を振りかざす過激派とみなされました。
そのために従来の規範から外れた説を声高に唱えようものなら、いわゆる「宗教裁判」にかけられ、自説を過ちだったと公言し許しを乞うか、或いは主張を貫き禁錮形などの重罰を受けるか…
はたまた火炙りの刑に処される場合も…
そんな時代にも関わらず、リンチェイの学会員は伝統的な学派を尊重しながらも旧来型の思考に拘らず、これを超えて物事を追及しようとしたのです。
1911年、急進的なリンチェイ学会員達が諸手を挙げて迎えたのが、1609年に望遠鏡を発明した(というと若干語弊がありますが)数学者、科学者ガリレオ・ガリレイです。
というわけで、ガリレオと今年のノーベル物理学賞受賞者のパリージ教授は同じ学会の先輩・後輩というわけですが、この学会、ガリレオ同様、苦難の道を歩みます。
そして、この話はまた次回に続きます。
今回は、
アッカデミア・デイ・リンチェイのWebサイト
を参考にしつつ、自分の見聞を交えて記事を書きました。
表紙画像は今回の内容に合うなと思いフォトギャラリーから選ばせていただきました。ありがとうございます。