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創価学会員の不思議な日常 ②

前回で創価学会のことをざっくり書きました。物心つく前からそういう考え方の人で構成された家庭で育ったわけです。
早く書きたいことや愚痴が山ほどありますが、ここは整理するために時系列に沿って書いていこうと思います。

一番最初に創価学会であることを意識したことはなんだったでしょうか?僕は学会3世なので、当然幼い頃から両親が「なんみょーなんみょー」と声をあげて毎晩30分も仏壇を拝むのを見て、信者の会合に連れていかれ、100人を越す信者が「なんみょーなんみょー」と大合唱し終わるのを待つ。それが日常でした。

あるあるだと思いますが、最初のきっかけは創価学会が他の宗教を毛嫌いしているがゆえに起こる問題です。僕も小学生あたりで初めてこの問題に直面して、まわりの家庭と違うことを意識したしました。

まず、鳥居をくぐってはいけません。邪教だからです。

田舎の小学校だったので、遠足で山にある神社に行くことはけっこうあります。前日によく親に言われたものでした。参拝の時も拝んじゃダメだとも。当時は意味が分からず、皆と違う行動をとるのも恥ずかしかったので無視してました。

同じような出来事ですが、悲しかったことがあります。
僕の住んでいた地域では年に一度神社のお祭りがあり、こども神輿が出るのです。小学生が神社に祀られている神輿を担いで各家庭を回るというものなのですが、その際にちょっとしたおこづかいをもらえるのでした。

そしてその日だけ、参加する児童は給食後に早上がりしていいのです。当然それも参加させてもらえませんでした。お神輿担ぐなんてのは学会員からしたらとんでもないことだったのでしょう。
「なんで今日お神輿あるのに君だけ帰らないの?」と同級生に尋ねられた時は返答に困りました。まさか「あの行事は邪教だから」なんて言えるわけもないですから。

昭和の時代、さらに田舎でのことなので今は多少緩和されてるらしいですが、実際そのころの創価学会は勧誘などももっと苛烈な集団だったようです。こういう地域密着の行事などに参加できない、戸惑う、変な目で見られるというのはこの頃からありました。ただ、当時の僕にとってはまだ小さな違和感でした。

一番問題だったのは、本来であれば幼少時に全幅の信頼を置くべき両親、家族が宗教に傾倒していて、それが世間一般の常識とは異なっているということです。まわりの一般家庭と僕の家族が根本的に違っているということです。この二律背反に精神的に未熟な子どもが直面する。これは僕の人格形成に多分に影響していると思います。

宗教絡みの家族問題はだいたい、ここに集約されるのではないでしょうか?
血縁のある家族だからこそ、ということです。

お神輿やりたかったなあ……。


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