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なぜ、私たちは思い出の場所へ向かうのか?

あなたは思い出の場所がありますか?
ふと、そこへ行ってみたくなりませんか?
なぜ、私たちは思い出の場所へ向かうのでしょうか?

先日、京都へ桜を見に行った僕は、ふとある場所のことを思い出し、急に強烈にそこへ行きたくなった。何かしら、その場所に呼ばれているような気がした。
僕は出町柳から北大路に向かう方向に、鴨川をのぼって行った。午前9時すぎで、気温はもう16℃まで上昇していた。久々に浴びる太陽の光が熱くて、上着を脱ぎTシャツ1枚になった。久しぶりの半袖は、風を感じて心地良かった。

堤防沿いには桜の木が連なり、青空とのコントラストがよく映えていた。僕は気持ち良くのんびり15分ほど歩き、北大路大橋付近まで来て多分、ここだろうという場所に辿り着いた。

僕はベンチに座り、おぼろげな記憶を辿った。そして周り風景を確認し、「うん、ここだ」と確信した。

今からちょう30年前、1992年4月。大学の入学式を終えた僕はこのベンチに座っていた。実によく晴れていたのと、桜が満開だったのと、霊峰・比叡山が目の前に大きくそびえていたのが記憶に残っている。

当時、僕は希望していた大学に全て落ちてしまい、滑り止めで受かった大学に不本意ながら入学せざるを得なかった。他にどうする選択肢がなかったのだが、なかなかその事実を受け入れるのは、プライドが邪魔して難しかった。

若かりし日の僕は覚えたての煙草をふかし、何かしら「しゃあないなぁ。これはこれで悪くないか」と、どこかあきらめにも似た気持ちを感じていた。

そんな憂鬱な気持ちの青年を、京都の春は優しく迎え入れてくれた。暖かく柔らかな日差しはこわ張った僕の心をほぐし、「けど、何とかなるかもしれへんなあ」と希望の火を灯してくれた。

そうだ、僕はあの時の「けど、何とかなるかもしれへんなあ」を感じに、今日ここに来たのだ。正解のない問題が山積みで心が折れそうだった、そんな僕がまた明日から頑張っていけるように。

あなたの思い出の場所は、どこですか?
私たちは、なぜ思い出の場所へ向かうのでしょう?

それはきっと、過去の自分と再会するためです。
あなたにとって、とても大切なものを思い出すために。
そしてまた、歩き出すために。






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