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映画 『PERFECT DAYS』 役所広司 ゲストトーク
前置き
日時:2024/10/26 12:50〜13:30
場所:川崎市アートセンター
「KAWASAKIしんゆり映画祭2024」でのゲストトークで役所広司さんが語った内容まとめです。インタビュアーの発言を省いているのと、順序を入れ替えたり補足したりしているところがあるので参考程度にしてください。
プロジェクトの始まり
始めに柳井浩二さんに会ったときはまだなにも決まってなかった。公衆トイレの清掃員の短編映画と写真集を作るという案があっただけ。
舞台になる「THE TOKYO TOILET」は柳井さんが私費で建てた公衆トイレ。東京オリンピックで皆をおもてなしなししたいという気持ちで作られ、メンテナンスや清掃も私費でやってきた(注:2024年6月に渋谷区へ移管)。
監督を誰にするか、というときに柳井さんたちの敬愛する巨匠ヴィム・ヴェンダースにお願いしたら快諾してもらえた上に、短編ではなく長編でないと表現できないと言ってもらえた。監督は家族でクリスマスに映画を見る習慣があって、『Shall we ダンス?』はそこで何度も見てきたとのこと。
短編映画を作ろうと言っていたときには映画館にかかるような作品になるとは思ってなかった。いまはあのとき受けて良かったと思っている。
エグゼクティブ・プロデューサーとは
何をやっているのかわからない職業のひとつ、エグゼクティブ・プロデューサー。出資したわけでも、撮影中になにかしたわけでもなく、海外にいる監督に代わってあちこちで宣伝をいっしょうけんめいやる役割だった。
映画が上映される頃には俳優はだいたい次の現場に入っている。これまでは宣伝なんかにほとんど関わらなかった。
今回も撮影は17日間で終わったけれど、ありがたいことに評価されて日比谷シャンテではロングラン上映がもうすぐ一年。90カ国で上映されたたから、エグゼクティブ・プロデューサーとして本当にいろんな国に行った。
演じるにあたって
高崎卓馬さんとヴェンダース監督で書いた脚本は詩的で美しいけれど、ト書きや心情は書かれてない。そこを想像していくのが役者としての仕事だった。
そして役所広司なんて知らない外国の人たちに、ほんものの清掃員を雇って映画を作ったんだなと思ってもらえるよう精一杯やろうと思った。だから「THE TOKYO TOILET」の清掃員の方に2日間トレーニングしてもらい、撮影中もずっとついてもらった。彼らの仕事は滑らかで淀むところがない。毎日やってるというのはそういうこと。
撮影が終わる頃には「もういつでもシフトに入れるね」と言ってもらえた。
平山の過去
平山の過去について台本にはなにも書いてない。プロデューサーが監督に尋ねるたび、そんなことを知る必要はないと突っぱねられていた。
あるときそれを聞いた監督の妻ドナータさん(写真家で平山の夢の映像作品も担当している)が「昨夜していた話をすればいいじゃない」と言ってくれた。監督は「余計なことを言うな」と怒ったのだけど、次の日に「平山メモ」が配られた。そこには平山の過去について書いてあった。
映画で描かないことを説明しない方がいいと言っていた監督もしだいにインタビューなどで平山について語るようになった(たとえばロング・インタビュー)。
平山は死のうと思った時期がある。裕福で有能で仕事もうまくいっていたにもかかわらず、そんな生活が嫌になって酒浸りになり、もう終わっていいとさえ思うぎりぎりで過ごしていたある日、彼は記憶を失って安宿で目覚めた。虚ろな眼差しで眺めた壁の木漏れ日。それにこころを射抜かれる。これはいまここにしかなく、自分にしか見えていないもの。いまの苦しい生活で見逃してきたのはこれだと気づき、生き方を変えてすべてのものに感謝していこうと思った。
映画のラストで説明されるように、「木漏れ日」というのは日本にしかない言葉。映画を撮ってから自分でもふと眺めるようになった。いまここで自分にしか見れない景色なんだなと思うと感謝が湧いてくる。見た人がそうやって眺めてくれるようになったなら映画としては成功。
圧巻のラストシーン
各カットは時系列順に撮っていて、あのシーンは期間的にもラストに撮った。だからそれまでのシーンの積み重ねがある。
親族との再会で蘇った平山の過去。解決したものと思っていたけれど、そうではなかった。そんな風に想像して演じた。
ラストシーンはツーカット撮った。採用されなかったのは運転中の表情を横から撮影し、家の駐車場に着いて出るところまでを撮影したもの。
映画『ストレイト・ストーリー』
1999年のデビット・リンチ監督『ストレイト・ストーリー』が好き。73歳の老人が芝刈り機に乗って350マイル先まで旅をしながら若者たちと会話する、本当にいい映画。
歳を取った自分がするのはこういう役がいい。
BOSSのカフェオレ
BOSSなのは自分がイメージキャラクターをやっているから。他の飲料は出せない代わりにサントリーには協力してもらった。カフェオレなのは監督に「何が飲みたい。これは平山の朝ご飯だ」と言われて、それならカフェオレだろうと答えたから。
映画『うなぎ』
柄本明さんとすごい立ち回りの喧嘩シーンが印象深い。室内から外まで行く長いシーンだが、監督がなかなかOKを出さなかった。柄本さんは腰が痛いのに何度も撮り直して、それなのに今村監督は寝てたりした。
苦労して撮り終えたが、編集の段階で外での喧嘩シーンはカットされていた。監督にどういう意図があったかはわからない……
柄本さんは水中から飛び出すシーンでぎっくり腰になって大変だった。
合宿みたいな撮影で、夜な夜な床屋の裏の小屋に集まってお酒を飲んだ。
映画俳優になった経緯
最初は漠然と舞台俳優になりたいと思っていた(それで仲代達矢の「無名塾」に入った)。
舞台やテレビ、映画などに出るなかで、低予算映画の手作り感はすごくいいと思った。翻訳ものの役を避けていたら舞台は遠ざかって、映画への出演が増えていった。
フィルム時代の映画は予算もなく働き詰めで、でもスタッフみんなが本当に映画が好きで、スタッフも監督の生徒だったりした。撮影はまるで合宿みたいで楽しかった。いまはもうデジタルの時代でずいぶん変わった。心意気で映画を作っていたあの時代は懐かしい。
白鳥あかねさん
しんゆり映画祭の代表を長らく務めた白鳥あかねさん(スクリプター、脚本家)に招かれて、ゲストトークをするのはこれが3回目になる。
仕事としては根岸吉太郎監督「絆」で初めて会った。あかねさんとはよく飲んだ。酔いつぶれたあかねさんを背負って運んだこともある。
映画『八犬伝』
滝沢馬琴を演じる。史実として滝沢馬琴と葛飾北斎はすごく仲が良い。
滝沢馬琴の作品の虚の世界はアクション満載。若手のイケメン俳優がたくさん出て目の保養になる。それを見守る実の世界の爺さんふたり(役所広司と内野聖陽)。
この映画では滝沢馬琴の40歳から80歳までを演じた。特殊メイクは三時間かかる。内野さんとふたり並んでメイクしてもらい、二人で歳を取ったなと喜んでいた。
いい映画なので楽しんでもらえたら幸い。