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映画『PERFECT DAYS』 高崎卓馬 ゲストトーク

前置き

日時:2024/11/04 16:20〜17:00
場所:川崎市アートセンター

「KAWASAKIしんゆり映画祭2024」でのゲストトークで高崎卓馬さんが語った内容のまとめです。参考資料として高崎卓馬『ヴィム・ヴェンダース パーフェクト・デイズ ダイアリーズ 逆光』を使いました(ものすごくいい本です)。

トイレをめぐる想い

THE TOKYO TOILET(TTT)はユニクロの柳井康治さんが個人で企画・出資したプロジェクト(日本財団が協力)。安藤忠雄さんや隈研吾さんのような16名の世界的な建築家にデザインしてもらい、暗い汚い怖いというイメージの公衆トイレを改装した(建築家もボランティアとのこと)。
しかし世界の安藤忠雄が作っても、タバコの吸殻でゴミ箱が燃えたり、酔っぱらいに汚されたりした。柳井さんが悩んで広告で解決できないか高崎さんに相談したが、広告というのは出している間しか影響力がない。そのまま半年くらい折に触れて雑談をして、アートプロジェクトならどうかという話になった。アートならば深くにまで影響を与えるのではないか、と。それで短編映画を作ることになった。
高崎さんはヴィム・ヴェンダース監督の映画に感動して、映画サークルで自主制作に明け暮れていた。そんなとき触れたヴィム監督の映画は衝撃的だった。バイト代をすべてフィルムに費やして撮影に打ち込んだけれど、映画監督にはなれそうもなかった。
広告を仕事にすればいつか監督になれるかもしれない。そう思った業界で30年が過ぎた。そこに柳井さんから映画はどうだと言われたのだった。ためらいは大いにあった。しかし二人ともが大好きなヴィム監督に依頼するのはどうか、という話になったときにはもう止まらなくなっていた。監督の連絡先も知らないのに(だから監督のメールアドレスを知ってる人をまず探した)。
トイレは17個あるけれど、プロモーションじゃないんだから全部を出すのは変だ。4つのトイレで4つの短編を作ろうということにした。一貫性を持たせるため、清掃員を主人公にするといい。誰に依頼するか。日本一の俳優、役所広司がいい。
世界で最高の組み合わせだが、どちらにまず話をするか。距離的に近い役所さんにさいた。しかし企画や脚本がないとオファーできないし、こちらがそれを決めてしまってはヴェンダース監督がうんといわない気がする……。どうするか悩んで、まずはトイレ清掃を一日やらせてもらった。東京サニテイションの江田(こうだ)さんの仕事ぶりを眺め、自分でも体を動かす。
トイレ清掃はマイナスをゼロに戻す仕事だった。やって当たり前で、不足があると責められる。通りすがりの女子高生に舌打ちをされたりしながら、ていねいに一日三回、三百六十五日やっている。その無駄のない仕事ぶりを見ていたら修行僧(モンク)に見えてきた。千日会合してる阿闍梨のようだ、と。
そんなことを話すと、役所さんはこのアートプロジェクトをとても面白がってくれた。トイレ清掃員が主役なんて映画はふつう企画が通らない。そしてそれをヴェンダース監督でなんて断る俳優がいるわけがない、と
その言葉に導かれて柳井さんと高崎さんでヴェンダース監督に手紙を書いた。ベルリンからの返事は思ったよりずっと早く、クリスマスに来た。物語のような洒落た言い回しで I'm in(やります)と。彼は日本が好きで、建築が好きで、KOJI YAKUSHOが大好きだった。トイレは年収や文化に関係なく使う、人間にとっての聖域かもしれない。そう言っていた。

平山という男

脚本は極めて特殊な作り方をしている。ある実在するトイレ清掃員の男がいて、彼の生活を追うドキュメンタリーとして作ったのだ。
監督からは最初にまずその男についてたくさん質問を受けた。どこに住んでいて、年収はいくらで、結婚はしているのか。実在するわけではないので困りながらも、ひとつずつ答えていった。酒は飲むのか、朝何時に起きるのか、部屋にテレビはあるのか、子どもはいるのか。
ひとしきり質問してから監督は言った。これからこの男の家を見に行こう。3日間のロケハンの始まりだった。押上を歩きながら「ここはどうか」「ここは違う」と繰り返す。ふいに何の変哲もないアパートで、ここの二階にあの男は住んでいる、と監督が言った。
まったく違いがわからない。そういって尋ねると、脇に生えている木が見えるかと監督。あの木の枝が風に揺れて窓をこする。ほんの小さな音だ。部屋のなかに寝転んでその音をただ聞いている男の顔が見える、と。
ヴェンダース監督はこの家を絶対に借りろと言った。しかし借りれなかった(すごく気難しいひとが住んでいて、ぜんぜん話を聞いてくれなかった)。しょうがないので、さんざん苦労をしていまの家を見つけた(このあたりの経緯は空想ラジオに詳しい)。
脚本はベルリンに行って二人で作った。日本で考えてきた60くらいのエピソードから20くらいが選ばれ、それを並び替えて男の過ごす二週間を考えていく(参考)。3日ほどかけて骨格ができたときに監督は言った。そろそろこの男の名前を僕たちは知って知っていい頃だと思う、と(ヴェンダースはいつもこういう素敵な言い回しをする)。
夜、部屋に戻って考えた。東京でシナリオハンティングしてもらった場所には対抗するもの、相反するものが多かった。スカイツリーと古いアパート。大都会のなかの木々。矛盾を内包するような、そんな名前がいい。それで平らな山、平山(ひらやま)と名付けた。ヴィムもそれはいいと言った。
この話には後日談がある。東京に戻って『東京物語』を見返していたとき、珍しくスタッフロールまで眺めていたら主人公の名前が平山だったのだ。興奮して監督にショートメッセージを送ったら、監督からは「ふふふ」と返事があった。

ドキュメンタリー映画として撮る

手持ちカメラを多用したドキュメンタリーのような本作。カメラマンはドイツ人、監督といつもペアを組んでいるフランツ・ルスティグだ。監督はインカムをつけてドイツ語の小声でずっと話しかけている。もっと寄ろう、もっと。そう、そこだ。そして平山を待って……そこだ、その背中を撮すんだ、という風に。
阿吽の呼吸で撮影をこなすカメラマンが、コージは何者なんだとあるとき尋ねてきた。役所さんは自分の気持ちを読んだように動いてくれる。狭い部屋でもうこれ以上は下がれない。でももう少し下がりたい……と思った瞬間に役所さんがすっと体を動かす。撮りたかった横顔がしぜんに入ってくる。そんなことがしばしばあった。こんな俳優は見たことがない、怖いぐらいだ、とつぶやく。
そうして撮影が始まって数日すると、撮影前のテストが要らなくなった。役所さんが平山そのものになっているので、ただ最高の瞬間を逃さないようにすればいい。ドキュメンタリーでは今のいい表情だったからもう一度やってくださいなんて絶対に言わないが、まさにそんな風にして撮っていた。圧倒的な才能を持つミュージシャンのセッションのようだった。

木漏れ日が核になった

東京でのシナリオハンティングの最終前夜、すごく面白い一週間だったと高崎さんが話すと、監督は低い声でシナリオはどこにもないと言った。そういえば映画の中身については一言も話していない。監督が確信を持てない状態でドイツに帰れば、日本チームはなにも準備できないだろう。
帰っても眠れずパソコンを開いた。書いては消し、を繰り返すうちに空が明るくなっていく。朝焼けを見ながら思い出した。東京をあちこち巡ったとき監督が立ち止まったところにはいつも木があった。
平山は木に似ている。木はいつもそこにあるけれど少しずつ大きくなる。風が吹けば枝が揺れ、光に照らされて木漏れ日をつくる。
小津監督や黒澤監督が捉えようとしていたもののあわれ。ヴェンダース監督が見つめているのも同じではないか。そう考えて日本語にしかない木漏れ日についてのメモを書き上げた。翌日、監督にそれを渡すと喜んでもらえて、それが映画全体の核になった。
ところでカメラマンのフランツは壁に映る光を見るとなんでも「KOMOREBI」と叫んでいた。車のライトが照らしているのを「MEGA KOMOREBI!」と言ったりもしていた。

ラストシーンの長回し

日々のルーティンワークで孤独や不安を抑え込めていたと平山は思っていた。しかしそうではなかった。コントロールし、とおに忘れていたはずの感情がニーナ・シモンの歌に合わせて溢れ出てきてしまう。そんな風に脚本には書いていた。でもあんなアップと尺で撮るとは思ってもいなかった。
他にもいくつか撮っていたが、正面からの撮影をあれだけ長く使わせたのはひとえに役所さんのパワー。映画を見た田中民さんは「顔で踊ってる」と表現していた。ほんとうにそう思う。

キャスティング

シナリオを書きながら同時並行でキャスティングと音楽を決めていった。
寡黙な役所広司と対照的になるチャラいけど憎めない男。いい加減な男といえば柄本時生だ、とか。その場で検索して見せていったた。
監督は、こいつだ……こいつがたかしだ。絶対にこいつにしろ。スケジュールが合わない? どうにかしろ、という塩梅だった。
公園のOL(長井短)など、キャスティングはもう本当にこの人でないといけないというレベルで選んでいった。そうすることで書かずにすむことがたくさんできた。
公園で野良猫を撫でている女性(ほんとうにいる)は好きに決めていいと言われて、高崎さんが研ナオコさんに頼んだ。

平山の感情表現

質問1:シフトに穴が空いて平山に怒っているシーンにびっくりしたが、どんな意図があったのか。
あのシーンで役所さんははじめ抑えた演技をしたが、監督はもっと怒れと指示を出した。役所さんも「こんなキャラだっけ」と心配していたが、通しで見てみると最後のシーンに繋がる納得感がある。
日本人はつい感情を抑え込んでしまうが、平山にはきちんと感情が通っている。

平山の食生活

質問2:平山は外食すれば飲んでいるし、家ではカップラーメンしか食べてなくて心配だ。
この映画は平山の24時間を描いているわけではない。食事に関して省いているところはたくさんある。たぶん平山はカレーライスを食べているし、町中華のチャーハンも食べている。
監督とふたりでシーンを絞り込んだときにはファンタジー感を出そうと相談していた。食事や排泄を省き、東京という森の中でひっそりと暮らしている天使・妖精として平山を描きたかった。

監督との次回作

質問3:『逆光』はすごくいい本だった。監督との次回作は企画しているか。
まだアイデアを交換している段階だが、次の企画も考えている。
監督の奥さん、ドナタさんには「あなたとヴィムはこれからも一緒にやるといいと思う」と言ってもらえた(奥さんは厳しい人で監督と自分は撮影中に禁酒を命じられた。その方がよい作品になると思う、と)。

トイレの選び方

質問4:短編映画のとき4つのトイレはどうやって選んだのか。
17のトイレをヴェンダース監督に見てもらって、もっともインスパイアされたものを選んでもらう予定だった。
なお、映画本編には17のトイレがすべて写っている。

世界の共通言語

映画は90カ国で公開され、ヴェンダース映画史上、最大のヒットになった。
監督に依頼するからにはキャリアに残る最高傑作にしようと全力で作った。奇跡的にうまくいったが、もう二度とはできない気がする。
世界中の映画祭に参加して、いろんな質問を受けた。そこでは映画が共通言語になっていた。映画を作って世界を巡るとこんなに豊かな経験をできるのだと思った。世界中のひとと同じものを見て話をできるのはとても幸せで、これからもその周辺で生きていく。
いまは分断の時代、敵ばかり増える時代。国やコミュニティの枠がつぎつぎに壊れていく時代。それを修復するのは文化、文学だと思っている。同じものを体験することが人と人をつなげる。こういう風に映画祭で見ることにもすごく意味がある。100人で集まって見るのと、ひとりで家で見るのとは違う。
これからも自分が作ったものや、見るべきと思ったものを紹介していきたい。共通言語を作っていく仕事をやっていきたい。

ともだちの木といっしょに

平山が若木を持ってかえった楓の巨木を、ニコはともだちの木と呼んだ。
ヴェンダース監督は私にともだちの木はいるか、と聞いた。じぶんにはベルリンの田舎に、古くて立派ななともだちの木がいる、と。
シナリオを書くとき監督はその木を紹介してくれた。それでまたヴェンダース監督をほんとうに好きになった。
ともだちの木を持つ、というのはすごくいいこと。世界中のひとが一本ずつともだちの木を持ったら世界はすこし良くなるんじゃないか。ともだちの木を持っていたら、ほんとうに悪いやつにはなれない気がする。
そんな風に話して監督の企画をもとに高崎さんが書いて、で『ともだちの木』という絵本を作った。12月に発売予定。
そのときにInstagramあたりでともだちの木を紹介するキャンペーンを始めるので、そのときはぜひ参加してください。