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「現代俳句」2023年3月号

 ゴールデンウィーク中に4月号まで書ききりたい、という気持ちでぼちぼちやっていきます。2月以上にあっという間に過ぎてしまい、「1月は行く(以下略)」というレベルではなかった3月でした。そんな悠長な話ではなかった(ばくしょう)
 とは言え、俳句はいつでも俳句の中にそれぞれの時間があって落ち着きます。どんなにせわしなく過ごしていようとも、素知らぬ顔でいてくれるので、わたしにはありがたい限りです。まあ、俳句がわたしに干渉してくるようなことがあったらそれはそれで大事件なんですが(ばくしょう)

「翌檜篇」(47)  青年部編

花の雨  内田麻衣子

時計に音がまだある客間日永し
 「まだある」ということは、どこかに「もうない」が存在するのでしょう。客間の時計は動いているけれど、寝室はそうでないかもしれない。人の住んでいない家に(あるいは、今は留守である家に)、住人を思い出させるものがある。電池が切れていないだけではあるものの、春の日永にわずかに期待してしまう。住人に対するさみしさと慈しみの混ざり合った感傷を春の日差しがそっと背中を押すような句。

悪戯  福田望

女子校に魔女のちらほら落葉掃き
 落葉を掃除している女の子たちが、キャッキャと楽しそうに箒に跨っている様子が浮かびました。でも、もしかしたら、彼女たちの中にほんとうの魔女が紛れ込んでいるかもしれません。「ちらほら」という表現が、どことなくそんなファンタジーを立ち上がらせているように思えました。
 もしかしたら、「ちゃんと掃除しなさい」と注意して言った先生だったりして。

根無草なりのトレンチコート  深谷健

縄跳びの最後は春に着地する
 記憶を辿ると、小学生の頃、校庭で縄跳びをしたのは真冬だったように思います。けれども、縄跳びの最後のほうは体はほてり、息は上がり、高揚感に包まれます。その瞬間を「春」とすると、とても粋な表現だと思いました。もちろん、冬が終わり春になる頃の縄跳びの様子というのも、おだやかでかわいらしいですよね。
 転んでも、失敗しても、どこか楽しげな様子があって好きです。大縄跳びでも同じようなあたたかな気配を感じられるので、どちらで解釈してもいいのかな、と思いました。

少年の抜糸  三枝みずほ

夏鳶や足が離れてからの海
 鳶が飛び立った瞬間、まばゆい海の目を奪われた光景と読みました。「や」で切れているので、鳶は空を飛んでいるだけで、「足が離れて」いるのは、堤防かどこかに立っていた人かもしれません。いずれにせよ、目の前に唐突に(とは言え、ずっとそこにあったのですが)広がる海の鮮やかさ、鳶の悠々とした姿は、夏そのものでとても清々しい気持ちになりました。
 「からの」という表現が、日常を非日常に変えるような力を持っていて惹かれました。

 どの作品も、作者がテーマを持って句を並べているのがわかって、作風と言いますか、色と言いますか、とても濃く感じることができて興味深かったです。こうしてぎゅっと凝縮された感じが楽しいですね。
 それでは3月号はこの辺で。最後までお付き合いいただきありがとうございました。また次回。 


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相田 えぬ
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