よんもじ vol.8 一句感想
みなさん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
わたしは、このnoteを病室で書いています。二度目の入院生活は、前回の経験を活かし(言い方)、より快適に、より周りに気を遣わせないよう心がけています。とはいえ、不測の事態も想定し無理のない範囲で、ということは忘れずに。
体調不良だったりいつもとおかしいなと思ったことを伝えるのって、案外難しいよなぁと思う今日この頃です。
近況報告はこの辺にして。一年目の冬号はよんもじメンバーゆかりの久留島さんをゲストにお招きしました。今回は、若林哲哉さんをお招きしております。表面、全部若林さんです。雑詠7句どころか鑑賞文までお願いしてしまいましたが、快諾いただき一同感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りてお礼を。ご寄稿いただきありがとうございました。今後とも「よんもじ」をどうぞごひいきに……(誰)
ゲスト:若林哲哉さん
冬晴にあなたシュヴァイネハクセと笑む
シュヴァイネハクセとは、ドイツ料理のひとつでローストした豚足のことだそうです。一瞬、くしゃみでもしたのかと思いませんか。わたしは音読して思いました。「笑む」とあるので、「あなた」は二度言ったかもしれません。一度聞き取れなくて、なんて? と問い返すと、笑いながら「シュヴァイネハクセ」と微笑まれるわけです。「冬晴」が一層この光景をささやかなドラマに仕立て、日差しと相まって「あなた」がとても魅力的に思えます。
若林さんの句は、字面や音感はかたく感じるのですが、どこか淡さやあたたかさを感じられる句だと思います。タイトルにある「花屋の花」の句も、季節の移ろいをそっと残しているようでとても惹かれました。
鑑賞の感想
鑑賞文では、今までの句をどさっとお送りさせていただき(連絡は火尖さんに丸投げしました。おふたりとも迅速にご対応いただきありがとうございました!)、その中から鑑賞をお願いしました。が、蓋を開けたらあらびっくり。一同唖然の情報量。語彙力をなくしたわたしは思わず「それな!」と言ってしまいましたが、日頃思っているけれどもうまく言葉にできないことを、若林さんが的確に鑑賞してくださっているなぁ、と思いました。あ、わたしの句の鑑賞はわたしを超えていきました。そりゃもうあざやかに。ありがたいことです。句も喜んでいることと思います(誰)
貴重な鑑賞、本当にうれしいです。心が折れそうになったら読み返そうと思います。
一句感想
冬虹や暮らしが見殺しを強いる 西川火尖
「不可避」のタイトルどおり、どれも逃げ道のない情景が綴られています。火尖さんは日常の息苦しさを明け透けに句にしていて、一緒に「しんどいね」って溜息を吐いてくれているような、寄り添ってくれるようなあたたかさを感じます。
いじけたり、ふてくされたりするのはかんたんだけど、そうしない姿勢というものが句から伝わってきます。「不可避」だってわかって、真正面から受け止めるって結構かっこいい。
「見殺し」という現実に失望しつつも、「冬虹」のうつくしさを感じる。やりきれないなかで絶望し尽くさない心持ちがあって好きな句です。
歌留多とる子は堂々とお手つきす 藤田亜未
何故なんでしょう。お手つきのあの勢いは。むしろ、正解の札を手にするときよりも堂々と潔い気がするのですが。その堂々たる過ちの、後にあるのは笑いです。緊張感がふっと抜けて、場が一瞬にして和む。笑い声は描かれていませんが、やさしく想像できるところが好きな句です。
若林さんの鑑賞にもある「一句一章」。亜未さんの句は本当に、こういう光景が今まさに目の前にあるように感じられ、心があたたかくなります。わたしが見過ごしているあれやこれやを、アルバムにして見せてもらっているような、ゆったりした時間をもらえます。
名作を倍速で視る年の暮 諸星千綾
タイムパフォーマンス、通称タイパが取り沙汰される中、わたしの母も中国ドラマを倍速で観ています。字幕だからこれくらいでええねん、とのことですが、家事一切を母に任せている身としては少し申し訳ない気持ちもあります。
せっかくの年末休みすら「名作を倍速で」とは落ち着きがありません。それでもなんとか観ようとする気概に感心しつつ、大事にしたいことすらままならない世の中になってしまったのかな、とも思います。
<ニセモノが一番きれいクリスマス>の句は惜しくも(?)クリスマスカードから漏れましたが、メンバーのイチオシ句でもあります。クリスマスカードは毒っ気のある句にしたらおもしろいかな、と思っていましたが、この句も充分シニカルなことに気づきました。千綾さんのそういう鋭いまなざしが大好きです。
余談
私情てんこ盛りの余談です。年末にわたしのとってかなり大きな衝撃があり、しかし句を作らねばならんと思い(なんせ締め切りがあるのです)、泣きながら作ったのが「リスタート」でした。いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、恨み節になりそうになったり、空元気みたいになったりと、悪戦苦闘しました。その中で、わたしにとって俳句は「折り合い」だと気づかされました。俳句を通して表現することで、事実とは異なる景色になっても、なかった感情が生まれても、季語がさらさらとふるいにかけて「この辺でどう?」と呼びかけてくる。そんな感覚がありました。
いつもは季語とケンカばかりしていますが、今回ばかりは休戦。弱ったわたしの背中を容赦なく蹴飛ばしてくれました。おのれ、覚えてろよ……(仲良くしろってば)
年末年始の荒波にどうにかこうにか食らいつき、そうして結局溺れそうになったとき、俳句が「こっち!」とわたしの手を掴んでくれる。頼もしい限りです。
それでは最後に、お気に入り(というかお気持ち表明)の一句を。
行き先がなくても進め宝船 相田えぬ
そもそも宝船ってどこを目指しているんでしょうね。停泊というのも変な感じだし。その辺、どうなの七福神さんよ。
いよいよ「よんもじ」も三年目。珍道中、どこへいくやら楽しみです。日々の止まり木になれますように。
お付き合いいただきありがとうございました。それではまた次回。