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津田清子『礼拝』を読む

 津田清子の第一句集『礼拝』は昭和三十四年に刊行された。清子が俳句に触れたのは昭和二十三年。当時清子は短歌に取り組んでいたが、堀内薫に誘われて行った七曜俳句会で橋本多佳子と出会う。この出会いは、清子が俳句一筋となった決定的な出会いでもあった。清子が俳句をはじめて十年余り。この句集について、師である山口誓子が「序」でこんなふうに述べている。

 句集『礼拝』は清子にとつては俳句に対する『礼拝』である。

藤田湘子監修花神コレクション『津田清子』「序」p10

 礼拝とは拝むこと。すなわち、敬って礼をすることである。俳句に対して礼をするとはどういう意味なのか。句集を通して味わってみたい。

 清子の句は潔く、エネルギッシュだ。それは句の中で「言いたいことを言う」ということを貫いているからだ。これは、メッセージ性があるという意味ではない。光景を切り取る際に、捉えたもの・ことを清子自身の言葉で言い切るという姿勢である。

 狡る休みせし吾をげんげ田に許す
 リンゴ採り尽くすまで樹の上にゐる
 ヴェール被てすぐに天使や聖夜劇
 すきとほる滝壺すぐに死ねそうなり
 ゴッホが見し麦と鴉に阿蘇で遭ふ
 向日葵の生かす大地のひび割れて

 「許す」「採り尽くす」「すぐに」「ゴッホが見し」「生かす」という率直な言葉は、どれも飾り気がなく力強い。この力強さが季語の表情をいきいきとさせ、俳句全体にエネルギーをもたらしている。
 <リンゴ採り尽くすまで樹の上にゐる>では、樹に登った人物がりんごを採り尽くそうとする躍動感を描いている。
 また、<向日葵の生かす大地のひび割れて>では、「生かす」と言葉があることで、大地のひび割れている様子がよりクローズアップされ、生命力を感じさせる。
 清子の句の潔さには信念がある。こちらも「序」で誓子が綴っているので引用する。

 清子がいつか私に云つたことがある。私は先生のお気に入るやうに句を作つたことはありません。句を作るのは料理を作るやうなもので、ただ作つて先生の前に出します。食べて貰えばよし食べて貰へずともよしといふのが私の態度なのです。
 (中略)
 そんな風に私が食べずに残したからと云つて清子は自分の料理法を改めたりはしなかつた。常に自分の好きなやうに料理してそれを私の前に出した。

藤田湘子監修花神コレクション『津田清子』「序」p9~10

 清子のこの心情は揺るぎなく一貫していて、俳句を自由に楽しむ姿というものが句集から感じられる。
 それは時に「字余り」という形で現れる。

 木をゆさぶる子がゐて夏の家となる
 とり返せぬ廃墟の広さ鱗雲

 この二句はいずれも上五が字余りで六音ある。上五の字余りは許容されることが多いため、特筆することはないかもしれない。音数が増えると、実際何音なのかというところはあまり意味を持たなくなる。

 火星に異変あるとも餅を食べて寝る
 自由で少し不安で灼けし砂丘行く

 一読すると引っかかる。しかし、五七五というリズムの中で、たっぷりと言葉を短縮することなく光景を表現している。

 準備運動なし飛沫あげ海女飛び込む
 これで了る一日雲の峯ばらばらに
 範泳あざやか行きどころなきプールの波
 眼に降り込む雪胸中に言葉溜る
 のつぴきならぬ水位睡蓮の葉を敷きつめ

 もはや字余りという範疇ではないかもしれないが、この表現の自由さこそが清子の俳句への真摯な姿勢ではないだろうか。
 例えば、<範泳あざやか行きどころなきプールの波>という句の「範泳あざやか」を「範泳の」とするとどうだろう。音数が減り、上五が五音に収まることで範泳がどんな様子かに余白が生まれる。しかしこの句は、「あざやか」と述べることによって、範泳の美しい光景が一層はっきりと浮かび上がっている。「あざやか」を省略すれば光景の輪郭がぼやけてしまう。この句にとって「あざやか」は言わねばならないことなのだ。
 「言いたいことを言う」ことによって、光景を際立たせ、その光景はより鮮明に読者の脳裏に焼き付く。
 清子自身、字余りについてこんなふうに述べている。

 (前略)少々舌足らずでもいいんです。俳句を作り始めの人は手の指を折って勘定している人がいるでしょう。五七五は字の数ではなくてリズムなんですよ。八字あってもそこを早く読みなさい。芭蕉さんの<あら何ともなやきのふは過てふくと汁>は二十字ほどあるんです。
 (中略)長い長い句ですけど、でも、自分の言いたいことを言ってしまわないとね。半分で止めておくなんて、できませんもの。

『俳句研究』2000年6月号「特別対談 自分流の俳句 津田清子×正木ゆう子」

「言いたいことを言う」という姿勢は、晩年になっても変わらない。その潔さ、飾らなさは句にユーモアをもたらす。俳句という自由でおおらかな文芸をまっすぐに捉えて楽しむ姿勢は、誓子の言う「俳句に対する礼拝」そのものなのだろう。

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相田 えぬ
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