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とりとめのない“非日常”

今回のnoteは記事ではなく私生活について書こうと思う。


きっかけ

Twitterで仲良くさせて頂いているnamacomさんの「おうち時間」リレーエッセイに参加させて頂いた。「おうち時間」エッセイとは即ち、コロナ禍のステイホーム期間中自宅で何をして過ごしていたか、十人十色の生活を覗き見することのできる素敵な企画である。

しかしお誘いを頂いた時、私の心に浮かんだことは一つだった。

私、今年なんもしてへんやないか……。

若干の焦燥感に駆られた私を余所に、namacomさんのエッセイにはこんなことが書かれてあった。

“ 私にとってこの「ステイホーム」はある種のゲームであった。[…]つまりわたしはこの半年くらい外に出てはいけない「ステイホームゲーム」の参加者となり、その中で「どうよりよく生きるか」「どう楽しめるか」を考えていた ”

…こんなマインドで生活すれば良かったんやなあと思っても時既に遅し。小学生時代から「いかに省エネに過ごすか」ということをモットーに生きてきた私は、そもそも「ステイホームゲーム」を棄権していたのであった。

しかしせっかくの機会なので、そんな何もしていないようで何かしていたかもしれない今年1年を振り返ってみたいと思う。気軽に読んで頂けたら幸いだ。

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ステイホーム事始め


さて、私がステイホームを始めたのは二月の下旬からだった。元々肺や気管の弱い体であるため、コロナの重篤化傾向や増え続ける感染者数を比較的早い段階から警戒していたように思う。

自宅待機の仕方は様々であるが、大学生のステイホームは特に就職活動や授業、バイトといった項目で比較し易い。

私の場合、就職活動は最終面接を残すのみだったのでこれはリモート面接、内定を頂く、という流れで問題なく終了。大学の授業は他と同じくオンライン、塾講師のアルバイトもオンラインで自宅対生徒の家という形で行うことになった。要は、緊急事態宣言解除前の時点で既にステイホーム準備万端だったのである。ちなみにこの生活スタイルは現在(12月末)も続行中だ。

精神面についてであるが、元々交友関係が広いわけでもアウトドア派でもパリピでもない私はさほど「人と会えない」ことにストレスを覚えなかった。友人に会いたいと思うことはあれど、ひとときの再会のせいで二度と会えなくなる可能性を生むくらいならビデオ通話でいいや、と考えるくらいには冷静であった。「外に出れない」ことについても同様である。花粉や夏の陽射しにさらされるくらいなら、初めから室内にいる方が体も楽なのだ。

そんなわけで、多少のフラストレーションに悩まされることはあれど始まったステイホーム生活。怠惰にならないわけがなかった(~完~)。

冗談はさておき、私も己の自堕落さに危機感を覚えなかったわけではないということをここに記しておこう。ここでやっと、「おうち時間」の本題に入ることができるのだが、私がこの期間中始めた新たなこととは、過去の「アーカイヴ化」だった。

アーカイヴの意味

そもそもアーカイヴとは何か。
一般的にイメージされるのは、図書館や資料館といったところだろうか。語り継ぐべき過去の出来事を、後世になっても検証可能な資料を収集、保存することによって提示する場所分かりやすい。原爆ドームといった歴史保存の建物もアーカイヴスである。

ちなみに、アーカイヴという言葉の語源はギリシア語の“アルケイオン”から。アルケイオンとはアテナイの執政官アルコンが支配していた住居、住所、逗留地を指す。アーカイヴとは元々、公文書や法を保持するが故に権威と切っても切り離せない関係にあるのである。図書館や資料館が公営であるのにはそういう理由がある。

ここで多くは説明しないが、アーカイヴという言葉には多義性があるためその汎用性も様々だ。歴史資料館を巡る話だけでなく、脱‐物理的保管(post-custodial)と言われるように、物質的保存以外の保存や、アーカイヴという概念自体の考察も盛んである。 過去の保存というテーマは「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭」(2005)や「第56回ヴェネチア・ビエンナーレ 国際美術展から既に見られるように建築アートや写真芸術界でも重用されているし、京都の歴史文化の事象・図像・テキスト・詩歌などを貯蔵したデジタルアーカイブ「MIYAKO」の運用も開始されてからしばらく経つ。

そんな中で、ウェブ上に膨大に存在する情報をどこまで保存するのかという議論もある。

たとえば「祇園なう」といったとりとめのないつぶやきまでアーカイブするのか。雑多な「その他大勢」の言説と後世に残すべき謹言との違いとは何か。誰もが私的ユーザーとなれる現代においては、「書く」こと自体が権威を持った時代からは想像出来なかったような過去の保存の在り方が問われているのである。

人生をアーカイヴ化すること

さて話が逸れかけたが、私が行ったのは、この、私的な過去のデジタルアーカイヴ化だった。

まず手始めに、古いビデオテープや写真をクラウド保存した。これは以前から、というか東日本大震災の頃から震災に備えてやろうやろうと思いつつ一切手を付けていなかった思い出整理の一環である。埃の積もった箱に敷き詰まった40本ほどのカセットをカードに移し、アダプター変換器を使って更に他のメモリーカードへ移し、アップロードし……という途方もなく地味な作業であったが、やはり過去との邂逅は感慨深いものであった。子供時代の無邪気な自分の笑い声、忘れてしまっていた日常の一コマ、もう二度と会えない人の顔。とうの昔に置き去りにしてきたものたちが、薄暗い夜明け前の自室に残響のように木霊していた。

次に行ったのは手帳のアーカイブ化。これはエクセルタイプのシートに年月日と出来事を並べていくという単純な作業で、一ヶ月ほど後人生の略式年表のようなものが出来上がった。これまでに死にかけた事故が十月に妙に集中しているということがデータとして立証できたというのが一つの成果である。

最後に行ったのは、これまで原稿用紙やノートに書きちらかしてきた文章の書き起こし。黒歴史必須の詩などは抹消し、小さなおとぎ話や論考、読書感想文など、今後のアイデアの元になりそうなものは全て打ち込んでみた。自分の思考遍歴や、そのとき影響を受けていた作家が垣間見えるので小っ恥ずかしくも可笑しかった。
せっかくなので、当時自分でも気に入っていた小学六年生のときに書いた作文をちょっと載せてみる。note用に、「お母さん」という表記や平仮名だった箇所などは修正しつつ、でも出来るだけ、背伸びした雰囲気をそのまま書き起こした。

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幸せの香り 

家に帰って玄関に入るその前に、「今日は当たりの日だ」と感じるときがある。その確信の正体は、扉の外まで漂ってきている、その香ばしい特別な香りだ。 期待に胸を膨らませて扉を開けると、香りは更に強くなり、確信は興奮に変わる。 ランドセルを廊下に放り出し、台所を覗いてわたしは一言、
「今日は何パン?」
少し粉っぽいシンクの上で顔を上げた母はいつものごとく呆れた様子で言葉を投げる。
「先に手洗ってき」
急いでうがいと手洗いを済ませ食卓へつくと、待ちにまったご対面だ。
まるで赤ちゃんのほっぺたのように丸くてやわらかいそれにかぶりつく。 外側はパリっと、中はふんわりと優しく柔らかい。そして、今日は甘いミルクの香りもして、ぽったりとしたクリームがじわじわと口の中に広がっていくのがわかった。
「今日はクリームパンなんや!」 
「さっきテレビでクリームパン特集やってたから食べたなってん。たっぷりクリーム入ってるやろ~」
焼きたてパンの香りの中、なんと言うこともない会話が進んでいく。 生まれた時から重度のアレルギーを持つ私にとって、食べ物へのこだわりは普通の人よりもずっと強い。アレルゲンを使う食品はかなり多く、「皆が食べているもの」を食べられないという辛さはかなり経験してきた。しかしそんな中で、母はわたしにできる限りのすてきな食生活を送れるように工夫をしてきてくれていた。
人生の中で初めて食べたケーキの味も、パンの味も、ピザの味も、すべて母の手によるものであった。元々母は何をするにも器用にこなすが、その能力をわたしのために使ってくれたことは本当に感謝していることであるし、愛されているという実感を感じさせてくれるものであった。言ってみれば、食はわたしと母を繋ぐ絆のようなものである。
 熱々のパンにバターを塗り、溶けかかったところにかぶりついたり、チーズやハムを挟んだものを食すのも好きだが、クリームパンはその登場回数が比較的少ない(クリームを作るのは手間がかかるのだ)ということも手伝って、わたしにとっては特別美味しく感じられる。
あっという間に一つ平らげ、少し小さいパンに手を伸ばし、勢いよくかぶりつく。と、わたしの予想を裏切る歯応えと、黒く小さな萎びた物体。ぴたり、と動きを止めたわたしに母がしてやったりの視線を向ける。
「あ、それお母さんのレーズンパン。美味しいやろ?」


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ちなみに、10年経った現在もわたしはレーズンは嫌いである。自分の文章を振り返っても、昔から気取り屋で食い意地だけは張っていたことが否めない。


他にもInstagramで高校生の頃訳していた歌詞や台本などを載せたり

https://instagram.com/f____m____h?igshid=dsox2vpll7hq

登録だけしていてずっと下書きだけ貯めていたnoteを公開したりと細々したアーカイヴ化を行いつつ、私は改めて自分の過去への執着を再確認したのであった。

元々、収集したり貯めこむことが好きである。コレクターばりのコレクションだけでなく、日常生活でふと手にするようなもの、レシートやメモ、お菓子の箱、後になればゴミでしかないようなガラクタを取っておいてしまうのだ。こうした私の収集癖は写真を撮ること、和歌を詠むこと、日記を書くことにも通じている。

それらはおしなべて、私にとっては消えゆく瞬間を留めておこうとする試みなのである。

なぜアーカイヴするのか

私はせっせと私的アーカイヴを作り上げたわけなのだが、これは清少納言のように誰かに共有されることを意識しているものでもでもなければ、L.M.モンゴメリの小説の主人公のようにいずれ偉業を成し遂げる自分の自叙伝を残すという意気込みを示したものでもない。

保存した情報は過去はすべて、私以外の人間にとっては何の価値もないものだ。スマホのクラウドやフォトアプリの「~年前の写真」を教えてくれる機能を想像してみてほしい。あれもアーカイヴの為せる技であるが、提示された写真が思い出話に花を咲かせる以外の何かの役に立つだろうか。何かを新しく産むわけでもなく、誰かに見せるためのものでもなく、コンクールに出すようなものでもない際限のない過去というガラクタたちをデジタル化することで、私は思い出の品が物質としてはいつか消えてしまっても「完全な消失」は避けられるという安心感を得ただけなのだろうか。


アーカイヴ論を語る上で言及されることの多いヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)の未完の遺稿、ナチスからの逃亡の途上ピレネーの山中で自殺した彼が携行していた十九のテーゼから成る短いテクスト「歴史の概念について」には次のようなことが書かれている。

The true image of the past flits by. The past can be seized only as an image that flashes up at the moment of its recognizability, and is never seen again” (Benjamin 390).

過去の真のイメージはさっとかすめて飛び去ってゆく。過去はそれが認識できるようになる一瞬のうちにだけ閃いて、もう二度と姿を現すことがない。


世界大戦の暴虐の体験者として、歴史とはすなわち勝者の歴史であるがゆえに歴史叙述のなかで捨て去られた名もなき被ー抑圧者の辛苦を「呼び戻す」必要があると説いたベンヤミンは、過去をあたかも羽ばたく鳥のようなイメージとして捉えた。彼にとっての過去は、現在が確保しようと手を伸ばさないかぎり消失しかねない「閃き」であり、しかしそれは同時に、求めれば必ず現在に応じうる「とき」であったのだ。

ベンヤミンの過去の捉え方を卑近なことに当てはめるのは烏滸がましいにもほどがあるが、アーカイヴを作るときわたしの念頭にあったのはそんな、バタバタと逃れようと藻掻く鳥のような過去のイメージだった。

そして非日常へ


アーカイヴ化に私は二つ季節を跨いだわけだが、アーカイヴはもっと手軽にも行えるものだ。身近な例でいえばGmailのアーカイブ機能。指をスライドさせればメールは見えない場所へと消えてしまうが、もちろんそれは消去されてしまうわけではなく、確かめてみればきちんと保管され守られてあるのが分かる。普段目にする受信箱からアーカイヴという別次元へ。

アーカイヴの不思議なところは、大切であるが故に保存されたものが、保存された行為そのものによってやや手の届かない場所へと押し上げられてしまうところにあると思う。先に紹介したアテナイのアルコンの権威然り、宝物を地中に埋めるように、金庫に鍵をかけるように、アーカイヴは保存する者と保存されるものを隔てる。後世に役立てるために保存されたものへのアクセスは、静かな資料館を訪れるにしてもクラウドの海を彷徨うにしても、なんらかの儀式めいた雰囲気を漂わせている。


本音を言えば、私はたっぷりあった時間を生産的な創作活動に充てたかったのだった。しかし、このステイホーム期間中新しい物語や溌剌としたアイデアを真っ新なページの上に乗せて育て上げていくということがどうしても出来なかった。

ここで「あたりまえの生活の尊さ」といった陳腐な言葉を繰り返すつもりはないが、2020のステイホームとは「来年はこうしたい」という展望よりも「去年の今頃はこうしていたのに」という無い物ねだりに溢れた期間であったと思う。そういう意味では、自宅待機組の人間を襲った「虚無感」に私も侵されていたのかもしれない。

私は、せっせと積み上げた過去をアーカイブ化するなかで、
自宅という、どこまでも「いま・ここ」という感覚に足を着けながら、どうしても最早かえらない過去へと郷愁を寄せていたのだった。虚無感への抵抗、と言い換えてもいいかもしれない。

思い出を慈しみながら、昔をどこまでも現在からは遠い過去として扱うこと。それは、今までの日常が突如として非日常へ、非日常が日常へと変化したこのコロナ禍における「異化」とどこか似ている。

私は異常が日常と同化してしまった「いま・ここ」ではないどこかを求めながら、皮肉にも昔の日常を遠ざけることに回帰していたのであった(そして、このエッセイを書くこと自体がステイホーム期間中の日常をアーカイヴ化することに他ならないのだから)。


京都でも先日、ついに感染者数が百を超えた。なるべくしてこうなったのだろうと最早諦めの境地である。こうして、今年たくさん交わした「世界が落ち着いたら会おうね」という約束さ日を増すごとに遠くなってゆく。


来年、社会人生活をスタートさせれば否応なしに私も普通に通勤し、外の世界と再び交流し始めるだろう。それでも私は、キュレーション時代を生きる人間として、現在を過去へ、未来を現在へと更新していく中でどんどんと遠くなる日常を、留めておきたい何かを、スクロールする指を止めて思い出そうとしていたいのだ。

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Benjamin, Walter. “On the Concept of History.” Translated by Harry Zohn. Selected Writings, Vol. 4, edited by Howard Eiland and Michael W. Jennings, Belknap, 2003.

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