40歳パニックを経験→今、人生で一番落ち着いてる

コーシローさんのこの記事を読みまして、

 不惑……?
 え?惑わない人生なんてある?
 と思ってしまった、とっくの昔に40を過ぎた者です。
 20代も30代も病気してたので、
 会社員どころかバイトしかできなかったし、
 結婚もできなかったので、
 世間的な豊かな40代とはそもそも、
 立ち位置が全然違います。
 働き盛りの時期に幻聴の治療で、
 副作用の重い薬を飲まねばならず、
 具合悪すぎて、働くどころか趣味の文章すらできませんでした。
 なので、一般的な、
『結婚して子供がいて仕事でもキャリアがあってある程度生き方も経済力も固まっている』
 人とは、比べ物にならないくらい貧しい生活をしています。
 仕方ないんです。
 好きで病気になる人なんていません。


 30代まではなんとも思っていなかったのに、
 何故か、40歳になったとき、
 パニックに襲われました。

『何も成し遂げていないのに、
 もう40になってしまった!
 人生半分終わってしまった!』

 というパニックです。

『結婚もしてないし子供もいない。
 仕事も、作業所で4時間しかできてない。
 そもそも障害があると働き口がない』

 今振り返るとわかるのですが、無意識に、
『世の中の一般的な40代』の、
『ある程度豊かで人生が固まっている』
 人を基準にして、比べてしまっていたんですね。
 これは辛いです。
 どうあがいても手の届かないものと比べていますから。

 不思議なのは、それまでは、結婚したいとも子供が欲しいとも思っていませんでした。むしろそういうことは自分に向いてないとわかっていました。
 仕事についてはいつもまともな職につきたいと思っていましたが、体調と精神状態がそれを許してくれませんでした。
 ある程度、諦めがついていたと思っていたのです。

 それが、いざ、ほんとに40代になると、
『あれもできてない、これもできてない』
 と、いきなり世間一般の基準(つまり、結婚、子供、仕事、収入)を気にし始めてパニックに陥った。
 自分でもなぜだかわかりません。

 世の中を諦めたつもりでいましたが、
 本当は諦めきれていなかったのかも。

 しばらく気分が落ち着かず、
『40代、不安』
 とかで検索して似たような人がいないか探したりしました。
 でも、ろくな記事が出てきません。
『そんなこと気にするのはおかしい』
『別なことをして気晴らしをしたら』
 みたいなのばっかりです。

 このままではよくない。
 でも、どうしていいかわからない。

 40代パニックは一年くらい続きました。
 涙もろくなり、些細なことで泣き、自分より成功している同年代の芸能人とか、世間一般の普通の人と自分を比べて泣きました。
 今思うとアホみたいな状態ですが、当時は本当に悩んで絶望していたのです。

 しかし、いつの間にか静まりました。

 特に大きな出来事があったわけではありません。表面的には、普通に生活していました。
 なぜか、そのうち、

『ま、しょうがないか。
 過去は変えられないし。
 自分はこういう人間だから、
 子育てとか、バリバリ働くとか無理だし』

 という心境になってきました。

 再び諦めたというか、
『そんなものだよな、人生』という、
 悟りの心境になったというか。

 自分の今の現状を受け入れざるを得なかったとも言えます。だって現実は現実なんだから。いくら『こんな人生嫌だ!』と言ったところで、家賃払ったり食べ物を確保したりして生きていかなきゃいけない、日々は待ってくれないわけだから。

 生き延びるためには、
 自分の今の人生を受け入れるしかない。
 受け入れた上で、努力するしかない。

 それが、40代を過ぎて、やっとわかったんだと思います。

 20代とか30代は、なまじ未来があるものだから、
「自分の人生はこんなんじゃない!」
「もっといい人生があるはずだ!」
 と思いがちなんですね。希望を持って努力するのはいいことなんですが、これって現実逃避にもなるんですよ。
「本当の人生は未来の良い人生だ!
 今のひどい人生は本当の人生じゃない!」
 みたいな。

 でも、現実は、
「今のひどい人生が本当の人生だよ」
「まずそれを認識しろ」

 と言ってくるわけです。

 たぶん、賢い人は20代のうちにそのことに気づいて、正常な現実認識をするのだと思いますが、私はなぜか(障害のせいか、単に成長が遅かったのか、アホだったのか)40になるまで、自分の本当の人生に気づきませんでした。
 もちろん病気のせいもありますが、
 夢を見すぎたのもあるでしょう。
 私が20代の頃は、ちょうど、自己啓発本が流行った時期でもあります。
『思考は現実化する』みたいなの。
 夢を見てる人が多かった時期でもあったんですね。

 とにかく、パニックは過ぎ去りました。

 その後、作業所はやめて、
 就労支援に移行し、
 今は障害者雇用で、
 一般企業で働いています。

 体調は今でも不安定なのですが、
 精神的には、今が一番落ち着いています。
 やっと自分の人生に気づいたからです。
 たぶん。

 40代は不惑どころか、
 大いに惑います。
 女性は更年期の前触れみたいのが始まるし、
 これから体調も悪くなるでしょう。
 精神不安定にもなります。

 そもそも、40を不惑って言ったのは男です。
 しかも、だいぶ昔の、
 今とは違う世界で生きていた人の発言です。

 女の40はどう考えても、
 昔から不惑じゃなかった。
 子供がいたらなおさら、独立してくれるまで心配だらけ(しかも、今の子供はなかなか独立しない)。
 更年期にイライラしたり体調が悪くなったりすることは、今となっては誰でも知ってる常識ですしね。

 昔の名言の中には、
 今の時代には合わないこともあるし、
 そもそも、全員が同じではない。
 
 生活事情も、成長度も、
 人によって、だいぶ違う。

 まだその歳になっていないのではっきりとは言えませんが、本当に『不惑』になるのは、たぶん、もっと年配の、60とか70になってからなのではないかな、と思います。
 その頃にはたぶん、体が弱って仕事もできず、今とは別な心配がいろいろ襲ってくると思うので、
 人間、惑わないことなんてないのでは、と思います。少なくとも生きている間は。

 やはり、人と比べるのが一番精神に良くない。
 自分より豊かな人とか、世間的に成功している人と比べると、きりがない。
 人の人生はそれぞれ違う。
 背負っている困難も違う。
 環境も違う。
 本人の資質も違う。

 だから、もちろん、
 歳の取り方だって、違う。


 不惑になれる方がうらやましいけど、
 自分がなれるとは思いません。

 以前、80代の美容家の女性が書いた本を読んだことがあるのですが、

『80歳になった時、「こんなにも長く生きてしまった」と自分自身に驚き、落ち込んだ』

 というようなことを言われていました。

 たぶん人は、歳の節目が来るたびに、
 「今まで何やってたんだろう?」
 って思うものなんですね。

 その時に後悔したくないので、
 自分にできること(小説とか)はできるだけ今のうちにやっておきたいと思います。

 今、岸見一郎さんの『数えないで生きる』という本を読んでいますが、こんな言葉がありました。

三木清は成功は量的だが、幸福は質的であるという。成功を求めてやまない人は何かにつけ不断に数えるだろう。質的な幸福は数えることができない。

岸見一郎 『数えないで生きる』

 私の人生には、数えられるような成功は一つもありません。
 でも、不幸ではありません。
 今は何にも脅かされず、平和に暮らせているからです。
 

 結局人間、自分にできることを精一杯するだけなんです。
 世間がなんと言おうと。



 読んでくれてありがとう。


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水島素良(Sora Mizushima)
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