(小説)寺で見て消えた女の子
店でかかっているクリスマスソングが悲しげだ。菜由夏は英語がわからないが、なぜか今日は歌詞の意味がわかってしまった。
『こうだったらいいけど、そうじゃない』
あるいは、
『望むものは手に入らない。自分でなんとかするしかない』
そんな曲ばかり、続けざまに流れてくる。どれも歌っているのは外国の女性。店のレジにいるのも中年のおばさん。そして、ここで一人で安っぽいクリスマスグッズを眺めている菜由夏も、もちろん女だ。
世界は女の恨み節でできている。
そんなフレーズが浮かんだ。
誰も助けてくれない。面倒ばかり押しつける。
そんな恨みと悲しみはとても古くて、伝統的で、男が金や権力を持ったくらいではひっこ抜けないくらい世界に深く根を張り、誰の人生にもからみついている。なのに、それに気づかない、あるいは無視している人が、なんと多いのだろう。
菜由夏は何も買わずに帰ることにした。クリスマスグッズを部屋に飾る気も失せた。女がほしいものを手に入れられないどころか、いらないものばかり押し付けられている世界。それは日本だけの話ではなさそうだ。そう、知らない異国の女性たちの歌はそう訴えているようにしか聞こえない。
行事なんて疲れるだけよ。
誰も私達の苦労をわかってくれないわ。
クリスマスと新年はもはや苦行になりつつある。
全世界からの無視という名の。
菜由夏は一人暮らしで、クリスマスも実家には帰らない。帰っても親は喜ばないからだ。友人はみんな里帰りしてしまう。当日は一人でファーストフードのチキンでもかじって、動画を見て、いつもどおりに過ごすだろう。
菜由夏が気にしているのは、一人で過ごすことではなかった。なぜ世の中がこんなに理不尽なのに、人間の半分はそれを平気で無視できるのか、それが知りたかった。しかし『思いやりのない人でなしだから』という答えしか浮かばない。それでは納得ができない。
道を歩いていると、寺の前の掲示板をじっと見ている女の子がいた。小さい。たぶんまだ小学生か、へたしたら幼稚園児だ。
掲示板には仰々しい筆文字で、
『クリぼっち説教2020
ゲスト:今井陽子(評論家)』
と書いてある。
菜由夏がその前を通り過ぎたとき、女の子がくるっと振り返り、目が合ってしまった。
「この人、妖魔なんだよ。いい妖魔さんなの」
女の子が看板を指差して、まじめな顔で言った。
「お姉ちゃんと同じで世の中に恨みがあるの。お仕事は仮の姿なの」
菜由夏はなんのことだかわからずに無言で女の子を見た。女の子はにこりとも笑わず、看板に顔を向け直したかと思うと、ふっと姿を消した。
そう、目の前で消えた。あっさりと。
菜由夏は慌ててあたりを見回し、道をうろつき、看板の前や裏側を調べたりしたが、女の子はどこにもいなかった。
本当に消えたのだろうか?でもなぜ?あれはどこの誰なのだろう?
考え込んでいると、
「あんた、そこで何うろうろしてんの?」
茶髪の怖そうな男性が出てきて睨まれたので、菜由夏は慌てて逃げ出した。
家につくまで女の子に言われたことを考えていたが、『クリぼっち説教』というふざけた行事と、妖魔と呼ばれた今井という人の名前しか覚えておらず、なぜ『世の中を恨んでいる』と知らないよその子にわかったのか、気味が悪かった。あの子もあの店であの曲を聞いたのか?いや、小学生に英語のあの悲しい歌がわかるのか?外国から来たのか?なんで消えたのか?
よくわからなかった。しかし、部屋に戻って、夕飯にするための食べ物を買い忘れたことに気づいたとき、
クリぼっち説教、行ったらあの子いるかも。
と思いついて、自分がまさにクリぼっちな人であることを少し笑った。