純文学とは、「言葉を紡ぐ」と書かないことである

以前、質問を募集した時に頂いた質問ですが、少し長くなりそうな気がしたので、こちらで個別に回答いたします(遅くなってしまってすみません)。
純文学(じゅんぶんがく)は、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語。
上はウィキペディアの例ですが、試しにインターネットで「純文学」と検索してみると、これと同じように、なんだか要領を得ない回答ばかりにぶつかります。私小説(わたくししょうせつ)こそが「純文学」だとするものもあれば、五大文芸誌(『文學界』『新潮』『すばる』『群像』『文藝』)に載っている作品が「純文学(純文芸)」であると、半ば皮肉めいた主張をするものもあります。
「文学」という言葉の定義が人それぞれである以上、「掲載雑誌によって純文学かどうか決まる」という見解にも一理あるとは思うのですが、ここでは一歩踏み込んで、少し具体的な定義を一つ提示することにします。
最後までありがとうございます。