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アメリカの女子大に通ってて思うこと

こんにちは、アメリカ留学二年目の日米ハーフ、違和感人生です。

アメリカの大学に通っていると帰国した時によく「カルチャーショック」について聞かれます。波瀾万丈な大学オリエンテーションの話はまた別でするとして、アメリカの大学、その中でも女子大に通ってて思うことを少しシェアしたいと思います。

<自由について>
「アメリカ=自由」ってよくある考え方ですけど、日本からアメリカに行くと本当に「自由」を感じます。何故なら、いつも向けられていたこうあるべきという期待や何かイレギュラーなことをした時に向けられていた非難の目が消えるからです。多文化社会なだけあって、アメリカの中での「普通」の感覚は日本のように統一されてません。日本でアメリカ人の母を持って育った私は参考とする日本人女性像がなかった為か、幼い頃から「変わっている」って指摘されることが多く、いつの間にか「普通」という概念に囚われていた私からすれば、「普通」の概念が弱い環境で生活することは肩の重荷がとれたのと同義でした。

しかし、一年もアメリカにいると自由と謳いながらも自由じゃないアメリカも見えてきます。たとえば私の大学はとても先進的な考えを持つ生徒が多く(いわゆる左翼)、その為ある程度のものには理解を示さないとヤバい奴判定をくらいます。そのある程度のものとは、人種差別問題や性的マイノリティに関すること、戦争に対する姿勢など社会問題に関するスタンスがメインです。政治の意見が合わないから友達になれないっていうことはザラにあります。正義に酔っているっていう言葉がありますが私の大学では良くも悪くも正義感がとっても強い人が多く、その人と意見が異なれば人道的じゃないというレッテルが貼られる可能性があります。だから、この点に関しては自由じゃないなって思うことは多々あります。

また、アメリカの自由は大きくその人の経済力に依存します。お金がなければ何もできない、それがアメリカの実態です。その為、多くの大学生はお金に執着しており、どうすれば稼げるかの会話が多く飛び交います。私も日本にいた頃は、お金じゃなく仕事から得られる幸福感を優先したいと考える人でしたが、アメリカに来てからはそんなこと言ってられない、まずお金がないとそれを考えられる立場にはなれないというような焦りが日に日に増してゆき今では悲しきお金至上主義人間になりかけています。

<性にオープンLGBTQ+>
いきなり性の話をするのもアレですけど、アメリカの女子大の多くはとてもQueerでゲイです。Queerは性的マイノリティを幅広く示す時に使われる言葉ですが、私の大学ではレズビアンの方のが多いのではってくらい同性カップルを見かけることは日常茶飯事で私も女性から告白されたことがあります。レズビアンの方の他にもバイやパンセクシュアルとにかく性へのあり方への自由度と理解が段違いです。ある意味、性や世間の目に囚われず「好き」の感情を最大限に追求できるのがアメリカの女子大だと思っています。

また、欲求とは別で、私の大学では自分のジェンダーの捉え方が多種多様です。トランズの方々やノンバイナリーの方々、ジェンダーフリーといった、もし自分が違う性で生まれたのならどんな感じだったのかなっていうのを自由で安全に試せます。

そして、私の大学はQueerな評判があるので、世界各地から自分の性のあり方に違和感を持つ人や自分の国や宗教から理解されない人たちが集まってます。何かしらの苦しみを抱えている人が多いからこそ、私のキャンパスでは相手のあり方を尊重する風潮が強く、たとえ私がどんな奇抜なことをやろうとも誰かを傷つけない限り非難をされることはないと思います。しかし、大半の生徒は、大学ではどれほど性にオープンであろうともキャンパスを出た広い世界はそれほど寛容じゃないとわかっているから、今しかないこの瞬間を楽しもうという悲しさや苦しみもよく感じとります。

私個人としては、他人が人の性、プライベートに対してどうこういう資格はないという考えなので、どうか性的マイノリティがストレート(異性愛者)の人たちのように暮らせる社会になればなって

<時間について>
私の大学の人はとにかく時間にルーズです。授業、ミーティング、約束、研究室に集まる時間全てに関して5分ほど遅刻する人が大半です。人が来るのをひどい時は2時間以上待つのは、15分前行動がしたい私にとってはとんでもない時間の無駄でした。私は大学でライティングのメンターをしていますが、人が遅れてくる前提で授業計画を立てろって言われた時はどうしたものかと考えました。しかし、私の時間感覚を他人に押し付けることもどうかと思うので、最近は待たされる前提で必ず他の作業を持って待ち合わせ場所に向かいます。

<女子大について>
私の偏見かもしれないですが、日本の女子大というのは何かとお嬢様学校って印象を持ってます。しかし、アメリカの女子大、特に私の学校は、女性の力で世界を変えていくぞ!っていう型破りな強い意志を感じます。これは、男は邪魔という悪質なフェミニズムではなく、女性も世界をより良い方向に向かわせる力がある、男女共に協力することで今の状況は打破できるという考えで私は結構気に入ってます。(まあ、男はいらないという悪質フェミニストがいないと言ったら嘘になりますが。)思えば私はいつも学校で「問題児」男子の隣に座らされ、手伝うように先生に言われてきました。自分が考えを発表すると悪目立ちするから、隣の男子に答えを教えるなどしてきました。それを一重に男女不平等だとは言えないですが、学校で経験したことが積み重なり、自分の意見ではなく男子の意見を必ず優先する自分になったのは事実です。だからこそ、男がいない環境で自分がこんなにも普通に意見を発表できるのは新鮮で開放的でした。

今では同年代の男性を見ると、なんなんだこの変な生き物はっていう感覚になってはいますが、男性が少ない環境で自分がどう活躍できるかを知るのは自分にとっていい経験だと思います。


上の他にもアメリカ女子大に行って思うことはたくさんありますが、それはまた別の日に話します。
もしここまで記事に目を通してくれた人がいたならありがとうございます。良い一日を過ごせるよう願ってます。

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