好きなのに(好きなはずなのに)モヤモヤする問題
ことの発端は先日、前から気になっていた映画を見たことでした。
マルジェラというブランド自体あまり知らなかったのですが、インタビューの合間でちょこちょこ出てくるアトリエがすごく素敵だなあと思いました。試作品的なものをその場で作っている様子を見て、最終的なデザインにたどり着く前の仮定もおもしろいなと感じて、デザイナーというよりコンテンポラリーアーティストみたいなお仕事をされる方だなと思いました。
なのでマルジェラというブランドが今私の中でとても気になるブランドになっているのは間違いないのですが、ここ最近モヤモヤして自問自答に行き詰まっています。マルジェラというブランドに心惹かれながらも、今私がときめいているのはイヴ・サンローランの財布なのです。
「好きなもの」と「欲しいもの」が一致しない=なぜモヤる?
なぜこんなにモヤるのか。とあるマンガの一節を読んで腑に落ちました。
際どいタイトルのマンガですが中身は健全。多分。上のセリフは単行本の中にはまだ収録されていない回で登場します。(マンガは一部pixivコミック等で無料で読めるのでよろしければぜひ)
マンガの中ではさまざまなオタクの推し活が描かれます。
「推しが最高で毎日楽しい」、そんな気持ちがある反面、「私が一番推しのことを理解してる」というエゴも生まれ。
「推し活のおかげで友達も増えた」、その反面、「新規ファンは弁えろ」という気持ちも生まれ。
好きなことをしているのに、自分の暗黒面に目が向いてしまうのです。これファッションでもその他のことに関してもいえないでしょうか。
今のは私は「好きなもの」と「欲しいもの」が一致しないことに対して罪悪感を覚える、だからモヤモヤしているみたいです。(マルジェラというブランドが好きカテゴリに入りそうな気配がする中で、まったくブランド理解のないイヴ・サンローランのお財布が気になっているので)
それはきっと、なぜか「本当に心の底から好きだと思えるものしか欲しがってはいけない」と無意識に制限をかけてしまっているからだと思います。
強欲は罪だから?
たとえばタイムラインでいいねをつける品物や出来事がたくさんあるとして、それらすべてを欲しがってはいけない、そう自分自身を戒めてしまう。なぜなのか…結構散財をするタイプではあるので、金銭的に自制をしなければというリミッターではないようで、好きなもの(好きだと公言するもの)に対してものすごくハードルが高くなるのです。
加えて
「ろくに理解できていないブランドの品物を欲しがるなんておこがましい」
「何かを好きと公言するならそれなりに知識を蓄えるなり課金をするなり信者活動をするべき」
こんな心も声も聞こえてきて、最終的に「好きなもの」も「欲しいもの」も負の感情で全然ときめかなくなってしまうんですね…
つまり大元となっている私の中のモヤモヤは、自分の負の感情を認めたくない故に発生していたのです。最初は純粋な「好き」から始まっていたはずなのに、どうして濁っていってしまうのでしょう…
日常にもあるモヤモヤ
そんなモヤモヤ問題に直面している私ですが、ファッション以外でも似たようなことが起きていて、ここ最近少し気分が低空飛行気味でした。それらも「自分の負の感情を認められないから」だったと言えそうです。
入場の待機列に割り込まれたと勘違いされた。
相手は親切心から指摘しているだけのようだったので本当に勘違い。でもショック&むっとして反論してしまった。
→そんな対応をとってもらった自分を許せなくてモヤモヤ。駅で困っている人を助けたら目的地まで一緒に行ってほしいと言われた。
流石に要求しすぎでは…
→スプーン一杯分ぐらいの善意をこちらが見せたら500mlのペットボトル分ぐらいの善意を要求されるのか…?右の頬を叩かれたら左の頬も差し出さなきゃいけない??クリスチャンではないけど???やさしさを出し惜しみするみたいな気持ちになった自分にがっかりしてモヤモヤ。自宅のインターホンが動かず不具合かと思い修理の業者を呼んだら、業者が到着した途端何事もなく動作した。
その前にコールセンターとかにも電話して色々試してだめだったのになぜここで動くの…?
→業者さんにはお騒がせ野郎と思われたんだろうな…私は悪くないを正当化したくなった自分にモヤモヤ。
こんな風にモヤることなんて皆さんの日常でもたくさん起きていることだと思うんです。取引先のメール返信がなかなか来なくてイライラしたり、目上の人からありがた迷惑なアドバイスをされてスペキャ状態になったり、友人との会話を思い出してあのときは配慮のない言葉を言ってしまったなと反省したり…枚挙にいとまがない。本当心の中で整理していくの大変ですよね…
外に助けを求めてみる
それも全部自分の対応や受け止め方次第でどうにかなるはずなのにな。でも、全ての状況下で最適な行動を選んで実行するなんて無理。人間だもの。
分かっているのに気持ちが浮上しないときは、外に助けを求めようと思います。たくさん寝てたくさん食べて、たくさん元気をもらえる言葉に触れます。
↑「一部分だけを見て「好き」と言っても良い」!薄っぺらくてはまるのも冷めるのも早い私にも救いがある言葉!
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ところで「春は霞、秋は霧」と言われるようで。霞は遠くに見えるのに対して、霧は間近で濃く立ちこめる現象らしく、そこで言い方が区別されるのだそう。秋だからモヤモヤが間近に見えてしまって振り回されるのかな???じゃあ仕方ない…すべては考えすぎのせい、きっとそのせい….
春には、そんなモヤモヤも「そういえば何かあったわー」くらい遠くに見えるようになるのかもしれません。とりあえずそんな春を楽しみに半年生きてみます…