自問自答ファッション教室に参加しました
8/4に自問自答ファッション教室を受講したので、それを受けて思ったことをnoteに書きたいと思います。
※自問自答ファッションの哲学を十分に履修・理解できていない部分があります
※あくまで主観です
※整理しきれておらず、加えて自分語りが苦手なため、だいぶ冗長です
これまで多くの自問自答ガールズの皆様が感想を書かれているように、かなり衝撃的な教室でした…言うなら、かわいいマカロンかが出されるかと思いきや、肉汁あふれるめちゃうま肉まんだったみたいな。ファッションかと思いきやスポーツ、制服化の話以上に人生哲学、そんなインパクト。
「アウトプットが大事」というお話があったので、できる限り自分に嘘をつかずに思ったことを書きたいと思います。(あきやさん、同期の皆様に何か失礼なことを申し上げているようでしたらすみません)
自問自答ガールズが羨ましい
ずっと一人でモグラ活動をしてきた身なので、自問自答ガールズの方々とお会いするのも初めてで、私大丈夫かな、粗相しないかなと不安だったのですが、みんなあたたかくて、はじめましてでお互いのことをほとんど知らないのに、身内みたいに接してくれるの何なんですかね…涙…
類は友を呼ぶというか、あきやさんの誰でもウェルカムな姿勢が皆さんに伝播してるんでしょうか。人付き合い苦手な身なのですごく素敵だなと思いました。
そんなガールズの方々と今回ご一緒させていただいて、皆さんきっと許してくださるんじゃないかなと思うので誤解を恐れずに書きますが、教室開始してすぐに私、皆さんに嫉妬を覚えました。魔界属性の方、創作をされていた方、しっかり自己表現できている方…。自分とは違うなー!いいなー!羨ましいー!人を羨ましく思うなんてここ数年久しぶりの出来事で、自分自身驚きでした。まだこういう気持ち湧くんだな…それで気づいたんですが、ここ数年も私実はずっと色々な人に対して嫉妬していました。気づきたくなかった…
「変人になりたかった」のが嫉妬の起源
私、学生のとき海外留学していたことがありまして、クリエイティブ系のコースを勉強していた時期に、周りの個性的な子たちを羨望の目で見ていました。子供時代から人と比べることの多い人生でしたが、初めての大きな挫折と言えるのは留学時期での出来事です。みんなそれぞれ置かれていた環境やバックグラウンドが違っていて、貧しいご家庭で育ってきた子も、富豪の親のもと天真爛漫に生きてきた子もいました。前者はハングリー精神と野心が飛び抜けていたし、後者は本当に恵まれている人は何もひけらかさないんだなと思わせるノブレスオブリージュな精神がありました。割合平和な日本で中流の家庭に生まれ育って、特に主義主張のない自分にはどれもなくて、いつも劣等感を持っていました。
そして、みんなとっても個性的な性格でした。
ルシアン・フロイドに感化されて自分の汚いヌードをたくさん描いている北欧出身の子(汚いって失礼でしたかね…美化されていなくて主題の心理に迫る写実的な感じ)。
日本のマンガが大好きでリサーチ対象に峰倉かずやを挙げて先生に怒られているのに気にせずゴーイングマイウェイな香港の子。
炎天下、蟻の行列をひたすら何時間も動画に撮っているフランスの子。
変人ですね。当時の私はそういう変人になりたかったんです。(私は天界属性で、こういう子たちは多分魔界属性だったと思うので、魔界属性の人たちを羨ましく思うのはこのときからですね)フランスの子にいたっては私がそういう葛藤を抱えているのを知って「君もちょっとは変だよ」とフォローしてくれましたが、むしろこの一言で自分にはクリエイティビティはないんだなと痛感しました。みじめ…
しかし才能というのは生まれ持ったものなので、こればかりは仕方がないと思います!「誰かにはなれない」こと、「自分自身を認めてあげるには、最上級の自分になるしかない」ということ。当時も今もそう思うのは変わらないです。未熟だった学生の私にとっては、そう簡単に受け入れられなかったですが…誰に諭されてもだめなんです。私は自分の気持ちに沿うものしか受け入れられないんだと、自問自答ファッション教室でも明らかになったので。
キーワードの矛盾に自分の本音があった
自問自答ファッション教室のキーワード探しのワークの中で、私が挙げたのは「存在感」「王道(コンサバという言葉を言い換えました)」「ラグジュアリー」。ガールズの皆さん言われていますが、このキーワード正直にセレクトするのかなり難しいです…
「もしお金も時間もあったら何がしたいか」という質問に対して私の回答は「ニッチな分野の勉強をして教養を身につけたい」。そこであきやさんの指摘が入ります。
「ニッチって言っちゃってますね」
おや…?本当だ…王道が好きだと言っているのにおかしいですね…
「”おれの”王道が好きってことですね」
…そうです。私メインストリームなものには惹かれないです。「自分」が好きだと思えるものが好き。あくまで自分基準。何てこった…何て…何て傲慢なんだ!はずかしーーーー!!気づきたくなかった…(2度目)
帰ってきて考え直してみると挙げたキーワードはダウトだらけでした。ラグジュアリーは、たぶん富豪コンプレックスによるものと思われる憧れに分類されるキーワードではあるんですが、これも自分を表しているとは言えなかったです。教室の中でも「家事はちゃんとしていなくて料理もレトルトばっかり」って言っちゃってたし。子供の頃読んできた本も、学校の推薦図書とか名作と呼ばれるものには惹かれず、母が勧めてくる『長くつ下のピッピ』とか『モモ』には目もくれず、ラノベコーナーでコバルト文庫と電撃文庫を読んでいました。(コバルト文庫いまは完全に電子に移行してるんですね…)当時は電撃文庫もシュリンクとかされていなかったので、1時間くらい本屋さんに居座って立ち読みできたんです。
そういうわけで、挙げたキーワードから、というよりはあきやさんの鋭い指摘からコンセプトができました。
「自分の中の王国を文章化する作家」
権威的な団体が定めた王道じゃなく”おれの王道”しか認められないのが王国の主であるゆえんです。私肩に誰も乗せたくないようです。なぜなら誰かに指図されたくないから…こんな横柄な性格してたんだな自分…気づきたくなかったーー!(何度でも言う)
リリー・ブリスコーの話
(ちょっと話が飛びます)
常に意識していたわけではないですが、きっと自分がこんな人生を辿るんだろうなと予言めいたものを感じたのは、留学中にヴァージニア・ウルフの『灯台へ』という小説を読んだときでした。原本がいま手元にないので以下うろ覚えです。
20世紀前半のスコットランドで暮らすとある一家と周辺の人間について描かれる長編小説で、特別ものすごい事件が起きるわけでもなく、静かで淡々とした話です。その中に、リリー・ブリスコーという女性が登場するのですが、彼女はこの時代では珍しく独身で、さほど裕福でもそれほど貧乏でもなく、特別大きな苦労をせず過ごしており、趣味で絵を描いています。小説は、この物語の中心人物であるラムゼー一家の肖像画を彼女が描き切るところで終わります。「その絵は屋根裏にひっそりと飾られるだろう」「きっと誰にも見られることはないだろう」それを読んで、その当時においての人生最悪の気持ちを味わいました。私もこうなるんだろうという予言だと思いました。飛び抜けてクリエイティブでもないけれど、何かを創造したいという気持ちを捨てられずに、でも誰にも気づかれずに何かを作り続けていく人生。当時の私は特別な誰かになって認められたいと思っていたので、だいぶ絶望した出来事でもありました。
あきやさんが教室で、「結果派か過程派か」という話をされていて、私は結果派なのですが、この小説を読んだ当時も、誰かに評価されなければ無意味だと思っていました。
これからのこと、教室で言えなかったこと
教室では気づけなかったこと、恥ずかしくて言えなかったことが、上で挙げた以上にさまざまありました。その中で、あきやさんの問いかけに少し時間をおいて今なら答えられるかもと思えるものをここに書きます。
あきやさん、作家になりたいといいましたが私はやっぱり小説家になりたいです。物語を書きたいです。分不相応で小説という言葉を教室では言えませんでしたが…
社会人になってとあるアニメにはまって、クリエイティブな道は留学先でとっくに挫折してるけど、このパッションを形にしたいと思ったときに小説だったら形にできるかもしれないと思いました。そこからずっと今にいたるまで、気の向くまま思いつくまま二次創作の小説を書いています。
とある二次創作の作家さんに作品に対して匿名で感想を送ったとき、そのお返事の中に「いただいた言葉がとても美しかったので創作されている方とお見受けします」といった一文がありました。字書きとしてもずっと自信が持てない私にとって、飛び上がるくらい嬉しい言葉でした。そんな素敵な言葉をまたいただけるかわからないけれど、もらえなかったとしても、これからも自分が表現したいと思えるものを形にしていきたいです。そしていつか自信を持って私は字書きだと言えるようになりたいです。
あきやさん、私「個性」と「天才」のボタン押したいかもしれないです。でもそれは自分で自分を認めることができたときです。
以前と同じように「個性的」で「天才的」なクリエイターに対する憧れや尊敬は今もあります。昔の私はそんなクリエイターになって、認められる存在になりたかったです。今でも、誰かに認められたらスーパーウルトラハッピーになるとは思いますが、自分が自分を認められなかったら一過性のものにしかならないと思います。
こういうことを書くのは、「個性的」で「天才」になれないことに対して逃げ道を作っているだけなのかもしれません。そうかもしれないけど今はボタンを押さない、そう決めました。
私がいま目指したいのは、今の私が思う「最上級の自分」で、それはきっとこのコンセプトなので。
「自分の中の王国を文章化する小説家」
自分のために自分が認める作品を書きたい。自分の作品を認められる自分になりたいです。(「自分」「自分」言いすぎてゲシュタルト崩壊しますね…)
やっていくことの本質は今後も変わらない
教室に参加してみてたくさんの発見があり、具体的な宿題も明確になりましたが、やるべきことの本質は変わらないんだなというのも、ある意味気づきでした。今後も自問自答ファッションを細々と続けていくし、生活のために仕方なく気が進まない仕事をしていくし、田舎のお墓どうする問題並みに難解な面倒ごとを当事者として解決に向けて対応しながら、誰にも求められていない二次創作の小説を自分のために書いていくんだと思います。
きっと私が辿るのは、リリー・ブリスコーのような人生なんだろうなと何となく考えます。物語の主役は張れない。後世に残す傑作を作り出す力量はない。でも彼女が、おそらく屋根裏に飾られるしかない絵の制作に取り組んでいるとき、「どうせ何の意味もないけど」と後ろ暗く思いながらどんより色を塗っていくのか、「誰も見てなくても私が尊ぶ価値のすべてをこの絵に込めてやる」とメラメラ燃えながら筆を握るのか、そこはルート分岐できるんじゃないかなとも期待しています。事実としての結果は変わらなくても、心持ちは変えられるんじゃないかと。生きることに「意味なんてないけど価値はある」というのは、なるしまゆりさんのマンガ『プラネット・ラダー』に出てくるセリフですが、価値ある人生だったと自分が思えるかどうかは今後の私次第だと…信じたいですね…(このマンガ読んだのは子供のときだったのに今こになってこのセリフ思い出すのおもしろいですね。留学時代にはこの言葉頭をよぎらなかったのかい自分…)
そんなことをひっそり祈りながら、祈りを期待に変えていきたいと自分を励ますように唱えながら、これからも自問自答ファッションを続けていこうと思うのでした。
ワークショップ形式の教室だからこそ気づけたことがたくさんありました。あきやさん、同期の皆様、貴重な機会をありがとうございました。
(あきやさんのパンと、ガールズの皆様の素敵なお菓子の差し入れ、とってもおいしかったです!)
(ファッションの話ほとんどしてないですね…すみません…)