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mmm jewelryさんと、ムーンプランナーさんと、いつかの自分の話

先日mmm jewelryさんのDringを購入しました。わーい買っちゃった!と勢いで突発的なnoteを書いても良かったのですが、少し思い出したことがあったので、いつものようにつらつらと書かせていただきます。

mmm jewelryさんに初めてお邪魔した

銀座三越でポップアップをされるということで初めて伺いました。だいぶ賑わっていたので、実物を眺めさせてもらうまで近くをうろうろ不審者のようにしばし動き回ってから笑、少し人が空いてきたところでスタッフさんに声をかけさせていただきました。

「新作のDringを見させていただきたいんですが」
「どの指につけたいとかありますか?」
「えっと、薬指に…」

希望がするっと出てきて、あ、そうなんだと自分がびっくりするような納得するような気持ちになりました。私、薬指につけたかったんだ。

X (Twitter)で見たsteps Dringは、石がついているものも地金だけのものも、それはそれはキラキラしていました。ご対応くださったのが彼のデザイナーの茉莉華さんで、色々と話させていただき、しばらく悩んで、milky wayを購入することにしました。

夏はとにかく汗をかくし、自分の手や指の形が嫌いで指輪をつけるのをためらってしまうという話をすると、茉莉華さんはこう仰いました。

「だったらなおさら自分が好きなものをつけた方が良いですよ。気持ちが上がるので。よければこの後つけて行かれません? 自然光の下だともっときれいに見えるんですよ、この子。手元キラキラさせながら銀座を歩いてみてください」(記憶がうろ覚えですがこんな感じ)

帰り道に頑張って撮りました。とってもとってもキラキラ。
撮影スキル皆無でぶれてて申し訳ありません。
とっても繊細な輝きが太陽の下でより光を放ってくれています。写真だと十分に伝わらない。

自分の指に美しい光が宿っている。それを見て私は、本当はずっと前に、自分の指をキラキラにしたかったんだなと気づきました。思い出したのは、自分とは違って左手の薬指に素敵な指輪をはめていた友人のことでした。

初めてブランドもののジュエリーを買ったのは

もう10年前くらいになってしまうのでしょうか。仲の良かった友人が結婚することになりました。会うたび彼女はエンゲージリングをつけていて、籍を入れてからはしばらくは結婚指輪と重ねづけをしていました。とっても幸せそうで、美しい石のはまった品の良い指輪は彼女にとても似合っていて、彼女を祝福する気持ちと同じくらい、自分にはそういった指輪を贈ってくれる人はいないんだなという鬱屈とした気持ちになってしまっていました。

あるときその友人と銀座で会うことになり、なぜか私たちはとあるジュエリー店で試着をすることになりました。当時の私はアクセサリーは数千円のピアスが関の山だったのでとても珍しい機会でしたが、そこで試着をした際もリングは選びませんでした。友人のように細くて長い指をしていない私には似合わないと端から諦めていたからです。(ちなみにリングではないですが試させていただいたジュエリーはとても素敵で、それからしばらくして、とんでもなく面倒なとあるタスクを完遂した自分へのご褒美として購入することになるのでした。なおミッション自体は完遂にいたっておらず現在も継続中です…)

でもきっと私はそのとき、彼女と同じように自分の左手の薬指を彩ってあげたかったんだと思います。誰も贈ってくれないなら自分自身で。

お金の使い方それで良いの? 羨ましいから真似するって単純じゃない? そもそもそれって独身者のひがみ? 痛すぎるんですけど。指輪を買ったところであの子と同じ幸せが手に入るわけじゃないのにね。

そんな心の声が聞こえてきて当時は認めたくなかったんですが。何てひどいことを言うやつなんだ自分。10年ぐらい経ってようやくちゃんと認めてあげられました。なので、その気持ちをかなえてあげることにしました。Dringを購入するとき、茉莉華さんはこうも言ってくださいました。

「stepsシリーズはステップアップっていう意味が込められているんですよ。まずはこの一本から始めて、そこから重ね付けしたり組み合わせを考えたり、どんどん楽しんでいってほしいです。新しい子(指輪)を探す旅も楽しいですよ」(やっぱりうろ覚えだけどだいたいこんな感じ)

楽しい旅か…いいな…あれ、私、楽しみたいんだな。これからの生活に、人生に、良いことがあると期待していきたいんだな。そんな小さなことも素直に認めてあげられていなかったので、気づいたときちょっと泣きそうになってしまいました。

ムーンプランナーさんとあきやさんのお喋りを聞く

steps Dring購入前ぐらいのタイミングで、ムーンプランナーさんのことを知りました。ムーンプランナーさん、自問自答ファッション界隈でも聞いたことがある…教室に参加されていた同期の方もムンプラユーザーさんだったような…そんなぼんやりとした認識で、あきやさんとのお喋りを聞かせていただき、ウィッシュリストと生卵の話をされているのを聞きました。

ウィッシュリスト、特に生卵に分類する類の願いはなかなか書けなかったです。これは筋トレと同様に継続してやっていかないと慣れないやつだと思いました。最近は少しずつ書けそうと思える瞬間に立ち会えています。

その願いに共通するのが、自分のことを本当の意味で大事にしてあげたい、という祈りでした。ケアしてあげる、手をかけてあげる、という意味合いもありますが、それ以上に「気持ちに寄り添ってあげる」ということ。思えば自問自答ファッションを始めた時も、このnoteのアカウントを作ったときも「自分に嘘はつかずに書き出す」と決めていました。

日々過ごしていると、目的のために自分の気持ちを無視して、蓋をして、ときには欺かないといけないことばかりです。「悲しい」とか「寂しい」とか思ってもどうにもならないし。そう言い聞かせて日々生きていますが、でもせめて、気持ちの上書きはやめて、その気持ちが在ったことは認めて寄り添ってあげよう、そう思いました。でないときっと無視し続けた気持ちは幽霊みたいに蘇ってくるので...今回みたく

気持ちに寄り添う、のところで感じたことがあります。私が育ってきた家庭環境についてです。私は両親に愛されて育ってきて色々と自由にさせてもらった自覚はあるのですが、甘えさせてくれる環境ではありませんでした。文句を言うと諭されてしまう。(今でも両親に限らず、職場関係の人や友人知人からたしなめられてしまう場面多いの何なんでしょうか??)子供の頃、親切にしてくれていた近所のおばさんに「がんばらなくていいのよ!」と言われたことがあり、別に塾にも行っていないし勉強に励んでいるわけでもないし(頭よくない)、お稽古事をたくさんやっているわけでもないのに何でそんなことを言われるんだろうと思っていたことがあるのですが、恐らくあれは「弱音を吐いてもいいのよ!」という意味だったんだろうと思います。弱音吐けないな…大人になるとより一層そうなっていきますね。でもせめて自分に対しては弱音や文句を隠さないでいようと思いました。「悲しかったね」「寂しかったね」と自分の気持ちに寄り添ってあげたい。(前にコンセプトを考えていた中で、こういう「保護者」や「逃げ場所」みたいな言葉をあてはめていこうかなと思ったのですが、コンセプトが職業的な意味合いを持つので「保護者」と言う言葉を入れるのは少し危険かなと思いやめました)

いろいろなことを思い出しながら、今日も自分なりに自問自答しています。今月初旬に自問自答ファッション教室を受けてから、Dring購入以外に以下のようなことに取り組んでいました。色々とやったなあ。

  • ホーローのコーヒーポットを買った(これまではあたたかい飲み物を淹れるときも鍋でお湯を沸かしていたので大いなる進化)

  • 有田焼のマグカップを買った(これまでは百円ショップやスーパーで適当に買ったマグを使っていた)

  • お皿を買った(対して物が乗らないけれど乗せるだけでおしゃれになるやつ)

  • ムーンプランナー(手帳)を買った

  • 伊勢丹メンズ館へ行った(バッグの試着)

  • ドーバーストリートへ行った(アートなアトラクションみたいだった。気圧されるなかかろうじて1着試着してきた…!)

  • TASAKIのお店へ行ってみた(店員さんに乗せられるまま試着してきた)


steps Dring、三連でつけたら色んな意味で完璧じゃないですか~!と茉莉華さんと話していたので、いつか自分史上レベル99くらいにまで行ったら実現したいな笑。夢をみるのは自由。これもウィッシュリストに入れておきたいと思います。