童(わらび)や嘉例(カリー)
つれづれ雑草コラム 第3回
大人になってから、法事で忙しく対応中に、甥っ子を邪険に「じゃまだからどこかへいって」と声をかけた時、
「童(わらび)や嘉例(カリー)なむんどー」
と年寄りにたしなめられた。
意味は、 ”子供は縁起がよいから大切にするもんだぞ”
だと思う。
昔の沖縄は貧乏子だくさんだった。
「2人目の子どもまでは、片手づつ失うけど
3人目からは手が生えるよ」
との沖縄語も有名だ。
農家では子供でも貴重な労働力ということもあったと思うが
それだけではないような気がする。
とにかく、子供は縁起がよい、神様から授かった
との感覚があるように感じた。
子育てを終えた今、よちよち歩きの幼児や保育園くらいの子供たちが
とてもかわいらしくて、いつまでも見続けたい気持ちだ。
もっと子育てを楽しめばよかったな
けど、最中の親は子供を守り育てるのに必死でそれどころではないはず。
彼らは(童)、毎日、新しい発見をし、できることが増えていく
一方、私は、できないことが増えていくけど
歩き始めた命の輝きを本当に美しいと思う
年寄りになった今、あの時の年よりの気持ちがわかるなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?