傷ついた日々、過去の夜
前回の記事からかなり日が経ってしまいました。
大事な試験があって、その勉強に精一杯でnoteに割く時間を作れていませんでした。
とりあえず試験は終わったのでまた少しづつ更新していけたらと思います🙇🏻♀️
大袈裟だと笑われるかもしれないけれど、今回の試験には命をかけていた。
そこまでする必要はないと言われるかもしれないけれど、何を犠牲にしてでもやりきると決めていた。
私は小さい頃から「できるできないじゃない。やらなきゃいけないことがある」の精神で生きてきた。こうやって言葉にできるようになったのは最近のことだけど、そういう気持ちを持って生きてきた。
その精神が確立されたのは、小学校受験ではなく、その後の中学への内部進学の頃だったように思う。
小学校受験を勝ち抜いた100人のうち、隣の中学に上がれるのは60人程度。3クラスあるうちの、1クラス分が落とされるシステムだった。
私は初め、内部進学枠外だった。
それは、発達障害とか、1桁同士の足し算も暗算できない(手で数える)とか、周りが賢すぎたとか、そういう色んな要因があった。
本気で内部進学したいと思った小学6年の夏休み、1日10時間勉強を毎日した。
その結果、枠外から学年40位まで大逆転し、無事に内部進学することができた。
小学校6年間はずっと家庭環境は悪かったので、私が内部進学のために必死に勉強している間も、家庭は暴言暴力に塗れ、かなり悲惨だった。
そして、1日10時間勉強を続けていた頃、初めてのうつ状態と希死念慮を経験した。
今思い返すと、うつ状態になる前から、私の精神はいつも不安定だったように思う。
小学2年生の夏休み、母の仕事の都合で、長時間(午前中だけ)のお留守番を頼まれた私は、恐怖と不安で眠れず、夜中に親を起こして泣きわめき、結局キッズシッターの施設に急遽連絡し、お留守番の間はシッターさんと過ごしていた。
小学3年生になると、お留守番はできるようになったものの、妹と喧嘩ばかりして、よく物を投げていたし、暴力もしていた。親に暴言暴力されたストレスをまるで妹にぶつけるかのように、同じようなことをしていた。このことを思い出すと、ほんとうに妹には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私が親に暴言暴力されていたからと言って、妹に同じことをしていい理由にはならないのに。。。
小学4年、5年は夜になると唐突に泣き叫ぶようになった。私が泣き叫ぶと、そのときだけは両親揃って心配して、優しくしてくれた。
小学校受験とか、小学校6年間の家庭環境とか、私の精神状態とか、小学6年からのうつ状態と希死念慮などを総合して考えると、私が心穏やかに平和に過ごせたのは5歳までだったなぁと思う。
よく母が、「うちは普通じゃないからね、これが普通だと思わないでね」と言う。
「あなたが普通を壊したんでしょう?」なんて、思っても口には出せない。
でも今は、頼れる人がいる。
ひとりじゃない。
今は、傷ついた日々、過去の夜を、ゆっくりゆっくり癒してあげる時間を過ごしたい。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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読んでくださった方が穏やかな日々を過ごせますように。