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3/11 過去の備忘録

昨日、カウンセリングがあった。

2回ほど前から、家庭環境のことも教えて欲しいと言われていて、でも、トラウマだらけの幼少期を上手く話せないままでいた。

昨日は少し調子が良かったというか、過去の自分と今の自分を切り離して考えられていたから、私の幼少期の中で一番のトラウマだった「土下座事件」についても話せた。

ここで詳しく話すのは控えるけど、簡単に言うと、親同士の夫婦喧嘩に巻き込まれて土下座する羽目になったという事件。

私は、土下座して、頭を踏みつけられた瞬間を今でも思い出す。その瞬間を鮮明に覚えている。思い出す度にどうしようもないやるせなさと行き場のない怒りと色々な感情に支配され、息苦しくなることもよくある。

でも、土下座させられたことについて、親を責めようという気にはならなかった。
「原因は私にあったから仕方なかったんだ」と思い込んでいた。

 昨日のカウンセリングで、「土下座事件」について、かなり詳しく話したとき、カウンセラーさんは何度も私に「なんで?」とか、「それってどういう意味?」と聞いてきた。
戸惑っているようにも見えた。

そこで初めて、その当時の状況の理不尽さに気がついた。
理不尽さに気がついて、トラウマが悪化するんじゃないかと思うほど、私の中で「土下座事件」が嫌な記憶に変わった。それまでは、「私のせいだったから仕方なかった」と割り切れていたのに、それができなくなった。

ほんとうは、以前から理不尽だったということを頭の隅で理解していたような気がする。
でも、理不尽だったと認めてしまえば余計に苦しくなってしまうから、私のせいにしていたような気がする。

家に帰ると、頭の中で何度もトラウマが蘇ってきた。「もう思い出さないで」と心は叫んでいるのに、頭が勝手に思い出したくない記憶を永遠とリピートしてきた。

帰り際、カウンセラーさんに「もしこのあと体調悪くなったら次回教えてね」と言われていた。あれってこういうことだったのか、と思った。

私のトラウマは、私が思っていたより根強いものだった。

思い返せば、小学校6年間はずっとそんな生活だったなぁと思う。
特に、父親がいる土日は酷かった。
私が小学校6年生で初めてうつ状態を経験したのも、家庭環境の影響が大きかったのかもしれない。

小学生の間で、親からの愛情を感じた思い出というのが一切ない。
ほんとうは愛情をもらった時間もあったと思うけど、暴言暴力のインパクトが強すぎて、それ以外の記憶がほとんどない。
家族旅行の時間だけは平穏だったような気がする。
誕生日でさえ、罵倒され、外に締め出されていた。


また次回も過去の家庭環境のことも教えてね、とカウンセラーさんに言われて既に怖気付いている。
でも、それで私の過去の記憶に少しでも気持ちの整理がつくのなら、頑張って話してみようと思った。




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思い出すのが辛く、読み返して校正したりなどはできていないので、歯切れの悪い文章になっているかもしれませんが、甘く見ていただけるとうれしいです。

読んでくださった方が健やかに日々を過ごせますように。

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