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思い出

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過去を振り返る⌇小学校受験・中学内部進学・高校受験・通信転校・閉鎖病棟医療保護入院・当時の家庭環境etc……
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死ぬということ【3歳で人の死を目の前にして思ったこと】

死ぬということ【3歳で人の死を目の前にして思ったこと】

まず初めに……。
私は現在高校3年生で、春から大学生になります。進学先として東京の通信制大学を志望していますが、年に2-4回、スクーリングで東京に行く必要があります。
親からは「学費は出すが交通費は自分で稼げ」と言われています。
関西に住んでいるので、往復の新幹線代を稼ぐため、バイトをすることも考えましたが、働ける状態ではないので、noteで有料記事を書くことにしました。
地元の関西では、私の興

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友人に摂食障害を打ち明けた話

友人に摂食障害を打ち明けた話

去年の12月頃、私は1人の友人に摂食障害であることを話したことがある。
話すつもりはまったくなかったが、会っている時に友人はランチを食べているのに、私は飲み物しか注文できなかったことに、罪悪感と申し訳なさを感じて、勢いに任せて打ち明けてしまった。

幸い、その友人は摂食障害を否定するような言葉は言わなかったが、「でも、まだ翠ちゃんガリガリじゃないから大丈夫だよ。本当に摂食障害の人は骨と皮だけじゃん

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12年間仲良くしていた男友達に別れを告げた話

12年間仲良くしていた男友達に別れを告げた話

私には、小学校1年生から高校3年の夏まで仲良くしていた男友達がいた。中学では部活動も一緒で、その頃から2人で遊びに行ったりするようになった。先に言っておくけれど、彼氏ではなかったし、彼氏だったこともない。
2人で会うときは映画を見てからスタバで近況報告するのが定番で、高校2年の冬には水族館にも行ったし、ヨルシカのライブも2人で行った。周りでは付き合っていると噂が流れていたし、「付き合えば?」と言わ

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8/2 母親の呪縛

8/2 母親の呪縛

ふと思い出したことがある。
小学六年生のとき、起立性調節障害の影響で、身体も顔もパンパンに浮腫んでいた。
当時はまだ診断されていなかったから、母親は太ったのだと勘違いして、私にダイエットを強要した。家では白米を食べさせてもらえなかった。私は、周りより太いことは自覚していたけど、ダイエットをしようなんて思ったことがなかった。もちろん、浮腫んでるから食事を減らしても改善しなくて、母親はダイエット用のド

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世界は眩しいほどに輝いていたのに

世界は眩しいほどに輝いていたのに

私も、わずか80年前生きる価値のない人間だった。
「それが私たちが背負う、この障害の重さです」という言葉にとても納得した。
それは、障害者の存在を否定するという意味ではなく、障害者はそれだけのリスクを抱えて生きているという意味。

私は、うつになって初めて障害の重さを実感した。私はADHDとASDの併発型なのだけど、きっと障害がなければうつ病にはなっていなかっただろうと思う。障害があったから、人と

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傷ついた日々、過去の夜

傷ついた日々、過去の夜

前回の記事からかなり日が経ってしまいました。
大事な試験があって、その勉強に精一杯でnoteに割く時間を作れていませんでした。
とりあえず試験は終わったのでまた少しづつ更新していけたらと思います🙇🏻‍♀️

 大袈裟だと笑われるかもしれないけれど、今回の試験には命をかけていた。
そこまでする必要はないと言われるかもしれないけれど、何を犠牲にしてでもやりきると決めていた。

私は小さい頃から「で

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3/11 過去の備忘録

3/11 過去の備忘録

昨日、カウンセリングがあった。

2回ほど前から、家庭環境のことも教えて欲しいと言われていて、でも、トラウマだらけの幼少期を上手く話せないままでいた。

昨日は少し調子が良かったというか、過去の自分と今の自分を切り離して考えられていたから、私の幼少期の中で一番のトラウマだった「土下座事件」についても話せた。

ここで詳しく話すのは控えるけど、簡単に言うと、親同士の夫婦喧嘩に巻き込まれて土下座する羽

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時間という薬

時間という薬

中学2年の夏頃、ちょうど体調に異変を感じ始めたくらいの時期に、日記を書き始めた。
最初は体調の異変を経過記録のような感じで書いていて、慣れてきたら自分の感情を好きなように、好きなだけ書いていた。

たまに、その頃の日記を読み返したりもするのだが、我ながらよく頑張っていたなぁ、と思う。夏頃は「身体が重い」などと書いていたのが、冬になると不登校になり、「早く死にたい、消えてしまいたい」のような言葉で埋

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ぼちぼち

ぼちぼち

プロフィール欄の最後に書いている「ぼちぼち生きる」というのは、中学の担任の先生に教えてもらった言葉だ。
毎日のホームルームの際、必ず「今日もぼちぼち頑張りましょう」と言っていたのを聞いて、「ぼちぼち」って良い言葉だなと思った。自分のできる範囲で、最大限の努力をする、というのは無理しすぎてしまう私にとって今までなかった発想であり、「ぼちぼち頑張る」ことは課題でもあった。

その担任の先生は、私が不登

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