俳優の芸術、コーポリアルマイム
「演劇の本質は役者であり、役者の本質は身体である、よって演劇は身体の芸術である。」
演劇は総合芸術と呼ばれます。
劇場には様々な分野のアーティストが集まり、其々が作品を形作る重要な役割を担います。
文学(戯曲)や音楽、美しい衣装や壮大な舞台装置は演劇を彩る大きな要素になります。
しかし同時にそれらは、其々に独立した芸術分野でもあります。
小説家が、音楽がなくとも、言葉を用いてあらゆる物語を生み出すように、
音楽家が、言葉を用いずとも、音からあらゆる調べを奏でるように、
文学者、音楽家、造形美術家など、其々のアーティストには帰ることのできるアトリエがあるのです。
俳優はどうでしょうか?
戯曲がなければ、衣装を着なければ、音楽を用いなければ、演じることはできないのでしょうか?
20世紀フランス演劇界の巨匠にして、コーポリアルマイムの創始者であるエティエンヌ・ドゥクルーは、そうではないと考えました。
音楽のない演劇、装置のない演劇、衣装のない演劇、言葉のない演劇、それらを考えることはできても、俳優のいない演劇、それは考えられない、と。
故に彼は、演劇の本質は俳優であると捉えたのです。
ドゥクルーは、文学や音楽、その他のあらゆる芸術が演劇に与える豊かな影響を否定し、拒絶したのではありませんでした。
しかし時として、それらの力が大きいだけに俳優は、台詞や衣装や道具などに寄り掛かっていなければ演じることができない状態に陥ってしまいます。
演劇をひとつの芸術として真に確立させるためには、何よりもその本質である俳優が独り立ちしなければなりません。
そのためにドゥクルーがしたことは、俳優の支えとなる全ての要素を一度取り去ってしまうことでした。
俳優から、台詞をとり、衣装をとり、大道具、小道具をとり、あらゆる支えを取り去ったとき、舞台上にただひとつ残されたもの、それは俳優の身体だったのです。
ドゥクルーは、その生涯をかけて俳優の身体の可能性を探求し、ついには『俳優の身体表現』それ自体を、ひとつの芸術様式『コーポリアルマイム』へと体系化し、昇華させました。
そしてその意志は今もなお時代や国を越えて多くのアーティストに受け継がれ、発展を続けています。