私の欲求について
こんばんは、こんにちは、早い人はおはよう
アーメーンですよ
今日は遠出した神社帰りにノートでも書いてみようと思います
私の欲求についてです
アーメーンの欲求について掘り下げていこう!の会です
先ず覚えてる方がいるか分かりませんが、私はこの前暴露欲求と秘密主義のスペースを開きましたね
あれはまさに私の欲求そのものでした
私には常に自分を誰かに見せていたいという表層と共に、常に誰にも興味を抱かれていないのではないかという囚われを常に胸に抱いています。
正直いうと、私はずっと何かに囚われていたいです
どうしてか?って思いましたよね、普通の発想なら「囚われ」というのは忌むべきものですから
囚われている方が心地いいことに気づいてしまいました
囚われは私の鎖になり自由に動けなくさせてしまいますが、それは堪らなく気持ちがいいものです。限られた中でしかえられない自由、楽しみ、幸せは決して私の想像を超えることの無い虚像のオルゴールとしていつも私の視界の範囲内に留めれてしまうから。視界の範囲内から出ることの無い虚像、幻想をいくらでも楽しめてしまうその快適さに気づいてしまったのです
自由では無いことの楽さに、責任転嫁に、
鎖というのは必ずつける側の人間というものが存在します。端的に言ってしまえば、鎖をつけられた側が自由をなくしてしまうのはもちろんのこと鎖をつけた人間の責任になるのでここで自然に加害者と被害者側という関係性が生まれるのです
私は常に被害者側でした
被害者であることに慣れてしまいました
鎖はいつも付けられる側でした。傷もいつも付けられる側でした。
ですから急に解放されて、
自分で地面をを歩くことを覚えるのに時間がかかっているのです
歩くことに靴がいるなんて知らなかった、好きな色の好きな形を選べるなんて知りませんでした。それはある種「私以外の人種」が掴める幸せであり自由であり権利だと思っていたから。
「私などがそんな事をして許されるわけが無い」という鎖はいつしか私の体を縛るものから、蝕みまた馴染むものとなり私の臓器であり血肉となり私の糧になりいつしかそれが芽を持ち花を咲かせ私の
「欲求」となりました
誰も止められない、止めてくれない、私に鎖をつけてくれる人はもう誰もいない、責任を取って押し付けられる人が誰もいない、これらは私の自由を奪い1人の孤独なただの女の子として自由という大空の名のもとに一人ぼっちに解き放ってしまいました
ラプンツェルは塔の中にいて本当に不幸せだったかしら?オーロラ姫が何百年も眠りにつくことは悲しいことなの?シンデレラが意地悪な継母と姉に管理されているのは本当に不完全だったのかしら
継母に美貌を狙われた白雪姫は本当に惨めだったの?
誰もこれらの疑問を解決してくれる人は居なくて、私はそれを分かっていて、それでもいつの間にかあくびをするようにいつの間にか考えていて、取り憑かれていて、このまま完全な私が何かも分からないまま消えてしまいそうで、未だに風船をつなぎとめてくれる重しは、いかりは見つからない
これが私の欲求です。誰か何かに囚われている自分が好きで、誰かに興味を持たれていないと気がすまなくて、悲しい虚空にいる状況すら俯瞰してコンテンツにしてしまおうとする空っぽなグラスのような私の満たされない欲求です
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