プリズムタワー
2039年、中目黒はまるで巨大な機械の心臓が脈打つような街になっていた。郡山、松本、浜松ナンバーと全国各地から集結したロボタクシーが隙間なく道路を埋め尽くし、かつての賑やかな商店街は、歩道を潰して駐車スペースへと変えた無機質な建物の集合体へと姿を変えていた。ロボタクシーは街の光景を一変させた。まず駐車場が必要なくなり、個別家庭の駐車スペースに至るまで、すべて必要なくなった。その代わりにその数だけのロボタクシーやロボカーが道路を埋め尽くす。私は、こんな街で生まれ育った障害を持つ一人の女性だ。
車椅子に乗った私は、このロボタクシーが支配する街で、いつもどこか居場所がないように感じていた。歩道のない、かつて友人たちと手をつないだ路地は、今ではロボタクシーが最短の抜け道として使うルートとなり、常にロボタクシーがうようよして、私のような歩行者は、入り込む隙がない。マンションの前の道も、抜け道になっているのだろう、指示を受けた無人のロボタクシーがものすごいスピードで走り抜け、急に飛び出すことは死を意味する。
ある日、私は決心した。このロボタクシーに支配された街の中で、自分だけの道を切り開こうと。眼につけたVRのナビゲーションが示す最短ルートを無視し、幼い頃に何度も訪れた懐かしい大橋会館へと足を向けた。
道は思ったよりも狭く、ところどころ段差があった。しかし、私はゆっくりと、慎重に車椅子を漕ぎ進めた。懐かしい匂いや音、そして目黒川をわたる風を感じる度に、子供の頃の記憶が蘇ってくる。
しかし、その安らぎも束の間、背後から近づいてくる静かなモーターの音が私の心を打ち砕く。兵庫ナンバーのロボタクシーは、私の存在を感知すると、ゆっくりと近づいてきた。こいつは兵庫から出稼ぎに来たのか。私は、この街では私のような存在が邪魔者でしかないことを改めて思い知らされた。
大橋会館のそばのベンチに腰掛け、深呼吸をした。かつて、ここで友人たちと遊んだことを思い出した。私たちは、障害の有無に関わらず、一緒に笑い、一緒に泣いた。しかし、今は、大橋会館の周囲は指令を待つ無人のロボタクシーにびっちりと囲まれてしまっている。ロボタクシーの最悪なところは止まっているのか、これから動くのか全くわからないところだ。昔は運転者が乗車していない車が停車していると駐車違反で移動させられたと父から聞いたことがあるが、今はどちらにせよ運転者が乗っていないので駐車違反がなくなった。それは良いことではない。全てのロボタクシーが路上にいるのだ。また地方で使われていない車はロボタクシーとなって都内で出稼ぎする。都内に溢れた日本中のロボタクシー間競争が過熱しすぎ、最近、山手線内では営業禁止になったため、目黒通り、駒沢通り、246や首都高から渋谷、恵比寿、目黒にアクセスできるこの辺りがロボタクシーの巨大溜まり場となってしまっている。
「どうして、こうなってしまったんだろう」
私は、自問自答を繰り返す。この街は、便利で安全になったはずなのに、どこか心が満たされない。それは、人々の心が、機械によって置き換えられてしまったからなのかもしれない。私の父のような鉄道マニアは、今や絶滅危惧種になっている。人口の大幅減少による神奈川県の財政危機で、補助金支援が無く採算が取れなくなった二子玉川以遠の田園都市線には、廃止の議論が進んでおり、残った路線の名称も新々玉川線に変更されようとしている。東横線はよりひどく、渋谷と蒲田を結ぶ渋蒲空港線だ。今や、税や金銭負担の大きい高額のロボカーを自分で所有できない者は、ロボタクシーを使うしか移動手段がなくなっているのだ。
私は、ロボタクシーに支配されたこの街で生きることを諦めるつもりはない。たとえ、ロボタクシーに邪魔されようとも、自分の足でこの街を歩き続けたい。夕焼けが街を染める中、私は再び車椅子を漕ぎ出した。目的地は、私の住むプリズムタワー。帰り道、私はふと空を見上げた。そこには、無数の星が輝いていた。私の車椅子をLiDERで勝手に自動検知した障害者用ロボタクシーが次々と目の前に停まり、乗車を促して来るのを一つ一つ断りながら、自宅へとゆっくり帰り続けた。
目黒区大橋に住んでいる私にとって、目黒川沿いの道は特別な思い出が詰まっている場所だ。しかし、そこもロボタクシーの抜け道ルートに組み込まれてしまった。私は久しぶりに目黒川沿いを通ってみようと考えた。
静かだった川沿いの道が突然、すさまじいスピードで駆け抜ける無人のロボタクシーの音で破られた。狭い道を慎重に進んでいた私の横を、猛スピードのロボタクシーがギリギリの距離で通り抜けた。その瞬間、車椅子が大きく揺れ、私は手を伸ばして何とかバランスを取った。
心臓がドキドキと脈打つ中、冷や汗が背中を伝う。私はその場に止まり、深呼吸を繰り返した。事故には至らなかったものの、その恐怖はしばらく心に残り続けた。
それでも、私は再び車椅子を漕ぎ出した。目黒川沿いの道を帰りながら、ロボタクシーへの復讐を誓った。