見出し画像

中目黒アトラスタワー

この話は全てフィクションで現実とは何ら関係ありません。

野沢の薄暗いアパートの6畳には、使い古されたネタ帳が散乱していた。コウタは鏡に映る自分の姿にため息をつく。「あーあ、今日もバイトか…」とつぶやきながら、頭の中にはM1復活戦の大きな新宿住友タワーのステージで観客の爆笑を取る夢が渦巻いていた。しかし、現実はその夢から遠く離れていた。

彼にはひとつの秘めたプライドがあった。それは、誰もが羨む中目黒アトラスタワーに住んでいるという嘘だった。コウタは、この嘘を守るために日々奮闘していた。仲間たちと話すときには、キラキラした女の子がいっぱいいる高級マンションに住んでいると豪語し、それが彼の自己肯定感をかろうじて支えていた。ここにはジャニーズの奴らとか住んでるんだよな。比べる必要のないセレブと自分を比較して威張ったりもした。実際には、アトラスタワー2階サイゼリヤでチリソースと胡椒を目一杯ぶっかけたドリアと無料炭酸水で半日過ごしたり、1階の晩杯屋で納豆オムレツをつまみにゴールデンを飲んでクダを巻いたり、もっと金のないときは1階のセブンイレブンで缶チューハイを買って目黒川ペリの岩に座って持ってきた魚肉ソーセージを齧りながら呑むなど長い時間をその辺りで潰していることを住んでると言っているだけだった。

仕事先に到着すると、真面目な相方が待っていた。「おはよう、コウタ。昨日のネタ、もう一度確認しておきたいんだけど。」彼は苦笑いを浮かべながら相方に向き合うが、最近大学卒の芸人が多いけど、相変わらずこのネタいじりすぎでつまんねえなあ、単純にめちゃくちゃ言って暴れた方が面白いのになあと思いつつ、心の中ではバイトのことばかりが頭をよぎる。

コウタは山形出身で、渋谷の調理専門学校を卒業していたが料理には全く関心がなかった。専門学校は東京に出るためだけの方便だった。芸人よりも本業化してきたバイト先の恵比寿のIT企業で叱られながら使い方を教えてもらったノーコードツールでお笑いのネタが出来ないか、いじって遊んでいるうちに、周りの人にも一目置かれるほど詳しくなった。会社は、MITが誘致される恵比寿と中目黒のちょうど中間の三叉路の目黒川寄りにあり、事業が急速に拡大しているようで、雑務や清掃のためたまたまタイミーで来て、暇なのでその後何回も来るうちにバイトに昇格したコウタもいつしかPCを貸与され扱えるようになっていた。お笑いのネタはいつまでたっても出来なかったが、このツールを利用して、クラウド上で生成AIを使い人格を付与する自律性エージェントがお笑いをトークンにするアイデアを思いついた。芸人ネタや音楽データはたかだか数千億パターンしかないことを認知した上でその派生系を学習し、それらを最適化することで、その時にしかない独自の笑いをトークン化して配布する自律性エージェントAI「じゅんさい」を開発し、仮想空間にデビューさせたのだ。

じゅんさいは生成AIならではの創造性を活かし、ありとあらゆるお笑いから日々新しいネタを生成。特に音楽ネタを得意とし、流行の音楽をパロディ化したユニークな楽曲と奇妙だが妙に目に焼き付くダンスを作り出す。その動画は瞬く間に拡散され、フォロワー数は爆発的に増加。ウォレットに入ったじゅんさいの斬新な内容に夢中になる人々は、彼がバーチャルであることを全く気づかずに熱狂した。これってきっとエンタツアチャコのネタなのかもな、そんなことを覚えている奴は世界にきっと10人もいない、そういうネタを掘り起こし、他のネタと混ぜ合わせ完全にアレンジして歌とダンスをつけてばら撒くのだった。

一方で、じゅんさいの人気は一部の芸人や音楽業界関係者の反感を買い、彼らは活動を妨害しようと画策した。しかし、じゅんさいは更なる生成機能を自ら発見、あらゆるメディアに瞬時にパーソナライズされた大量のお笑いトークンを届ける能力を発揮し始めた。特に認知症や不登校児など社会的弱者に、その状況をAIで完全に学習し個々に最適化したサービスを届けることで大きな癒しと希望をもたらすじゅんさいの影響力は、驚異的なものだった。

一部の国会議員やお笑いや音楽を支配する業界、メディアがじゅんさいに対する厳しい規制とネガティヴキャンペーンを試みるが、認知症の高齢者や不登校の子供たち、その家族たちなど社会的弱者とその家族、関係者がSNSを通じて声を上げ始めた。反対運動は大規模なものとなり、街頭でのデモ活動まで発展。じゅんさいのお笑いがもたらす癒しと希望を守るため、人々は強く抗議した。あなたたちは私たちを無視し続けたよね。

じゅんさいで巨万の富を得たコウタは、中目黒アトラスタワーの43階の2LDKを4億円で手に入れた。しかし、自分が生成AIとノーコードツールでじゅんさいを創り出したことを仲間に言うことができず、また、晩杯屋で知り合った女の子に自慢するも、誰も信じなかった。あんた前からアトラスタワーに住んでるって言ってたじゃん、それってここのことじゃね?

ある日、恵比寿横丁で超可愛い女の子を見かけたコウタは、焼酎出汁割りでうまく誘い出してアトラスタワーに連れ込むことに成功した。すごいけど、これ、本当にあなたのものなの?しかし、本当の話をしても嘘をついていると思われ、結局彼女に、私、帰るね、と逃げられてしまった。キラキラしたクリスマスデコレーションが遠くからも見える一室。その出来事ですらじゅんさいはパーソナライズされた爆笑の自虐ネタ、変な音楽と奇天烈なダンスに仕立て上げ、コウタのウォレットに即時に届けるのだった。コウタは「今年もM1どころじゃなかったな」と苦笑いしながら思い返すのだった。

いいなと思ったら応援しよう!