最近たのしいぜ

  最近、ほんの少し生きるのが楽しくなってしまった。
  おかしな話で、15年くらいの精神科と家での座敷わらし生活を終え、訪問看護で出会った恩師に散々世話になり、今も世話になりつつ社会に出て、仕事しながら勉強してやっとなんだか、なんだかちょっとたのしいのだ。

単語

  恩師には散々世話になった。

  恩師といっても学校の先生ではなくて、訪問看護師なのである。
  まあでも看護学校の講師としても働いていた方なので、先生といえば先生なのだが。

  たとえば夏場、皆が高校に通ったりしているなか、私たちは土手を散歩したり走ったり、家から引きずり出されたり、私の閉じた世界の話をしたり、短歌の宿題を出されたりのらりくらりとそんな感じで過ごした。
 
  恩師は母親より一回り上の世代なのだが、向上心の塊で、訪問した帰りには必ず私を抱きしめ背を叩いてくれた。 
   酷い話もたくさんきいてくれた。
  恩師は、私がなんどODをしても「苦しいからやめろ」とは言っても辛い気持ちは否定しなかったし、あんたが辛いのはわかるけれど、あんたが苦しいのはやめろと粘り強くはなしてくれた。
  そして、あるときODをしたときに、「私はな、あんたが簡単に死を選んだりしないことを知っている。あんたがもし考えて考えてこれしかないって思ってるんならな、私はそれもいいと思っている」と言われたのだった。
  それが今のところ、私がした最後のODになった。
  べつに、偶然そうなったのだと思うのだが、恩師のその言葉が魔法になった訳では無いのだと思うけれど、命を救う立場にいるように思える看護師がそんなこという?
  でもそれが、恩師の言葉だと思うとなんでかいまでも涙がでそうになる。
  そういう恩師の言葉が好きなんです。
「この子はちょっとずるい所があるけれどいい子です」
  みたいな、まあそりゃそういうところもあるけれど、そんなこと他人に紹介するときにいう?みたいな笑いそうになる言葉が。


  ある日、恩師は課外授業のように、恩師の休みの日に私を誘って老人ホームに連れていった。
  とくに課題をだされたわけではない。老人と触れ合おうみたいなことも言われずに、私は車に乗せられてただ連れていかれたのだ。
 
  会いに行った男性は、恩師にお礼をいって、私をみた。
  がんばるんだよ、とかそういうことを多分言ったのだと思う。
  でも、いきなり連れてこられて、何を感じとればいいかなんて正直分からなかったし、どう接するのが正解だったのかいまでもわからないし、恩師がいわゆる正解をわたしに求めていたとはあんまり思えない。
  見ず知らずの老人を見て、どう思ったのかいまでも思い出せないし、なんだったんだろうと思う。

  休日にベッドから起き上がれない、あまりもう身動きがとれない老人に恩師が私を連れて会いに行った。 
  本当にそれだけの思い出なのだ。
  恩師はなんていったっけ。
  このひとはすごいひとなんだよ、とかだろうか。
  私は上手く反応出来なかった気がする。 
  話せたのもきっと、こんにちは、とかそれくらいのものだ。 
  それからだ。
  あの場面に正解があったとして、それに答えはあったのだろうか。
  面と向かって恩師に問いただすのは何となくいやだった。
  だって、行動に答えを求めるのってなんか遊びじみている。それは行動に誠実じゃないし、なんかそんなことも分からなかったの?なんて思われたら悔しい。それもどうなんだよ。
  それって問なの?
  今もただ頭に残っている風景はいったいなんだったの?
  恩師みたいになれば、私もわかる?
  恩師みたいに色んなことをあきらめないで、色んなひとをひっぱりあげて、正と死と人と向き合って、ずっとなにかに挑戦して、真剣に生きれば、あの景色がなんだったのか、わかる?
  ここまで書いといてなんだけれど、ベッドの老人の風景は事実であって、問でもないし、このさき私が恩師のようになれるとも思えないし、恩師だってそんなに凄く神格化されてもいい迷惑だと思う。恩師には感謝しているけれど、恩師だって普通の人間なんだから。
  というわけで、そういう恩師からいくつか与えられた景色や、話や、どんな本を読むか、一緒に見に行った演劇とか、一緒に食べたご飯とかドーナツとか、そういった与えられたもの、おくられてきたものに感謝しつつ、私もいつか恩師みたいになりたい。という夢が出来たのでした。
  そうなりたいと思うのも恥ずかしかったし烏滸がましかったけれど、最近ちょっとがんばるじぶんを応援したくなったから、ことばにしようかとおもって書いたのでした。  
  いつか読み返す私が、こういうこともあるんだっていう、日記というか、ひとつの単語のおはなしだと思って欲しいです。
  私の頭の中には色んな言葉やおはなしがあって、その中にはこんな単語もあったんだ。
  その単語もだいじにして生きていたんだって。
 
  だから別に、生きるのが楽しいというより苦しくてもメチャ苦しいし地獄か????みたいなことは日々あるしままならないし、将来の不安はあるし、どうすんだ!死!!!!みたいなことは相変わらずめちゃある。
おーん!いや!みたいな泣き言はたくさんあるし、色んなものがたりや他の単語は山ほどある。
  今日なんて最近生きるのが楽しくて、なにかに挑戦するのが楽しくて、なにを楽しもうかと考えるとうきうきして、でも隣で鬱屈としている御母堂の横で私だけこんなに幸せでいいのかなと思ってわんわん泣きました。
  話を聞いてくれた御母堂も訪問看護の人も今日診察してくれた主治医もありがとう。ありがとう。
  もうあまり会うこともない恩師もありがとう。今月は会うのでいろいろお話しましょう。
  私はしあわせでも大丈夫みたいです。
  以上です。
  私は今も色んな人に助けられて、たまにちゃんとしあわせで、こういう単語をだいじにして生きているよっていう今の私からのごちゃごちゃした生存報告です。


  たいへんで地獄もあるけどがんばってま〜す✌️
  泣き言たくさんいうけれど、なるべくあきらめないからゆるして!!

  おしまい


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