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サンダル履きのチャンピオン
フジミ(旧日東製品) 1/24 トヨタ S800 浮谷東次郎仕様
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昨年(2023年)の10月にチャチャっとほぼストレート組み(素組み)で短期間で仕上げました。とは言え省略されていたロールバー・4点式シートベルト・キャッチピン・タンクのエア抜きホース・シート横のサイドパッドなどパーツを自作、追加してプチディテールアップも。キットは純正アルミホイール付きですが実車はテッチンホイール装着だったので“ハセガワのサニートラック”のパーツを流用しています。 またセンターストライプのチェッカーラインはレース中の画像を見ると片側一本のみに見受けられましたのでそのようにしてみました。(実はやっぱり細〜いラインが入っているらしいと制作後に気付いてしまいました😅)
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(排気量枠関係なく)小さい車が大好きだった私です。今でも大好きです。
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実はこの車両はオリジナルではなく東次郎亡き後にトヨタがフルレプリカで作成し浮谷家に寄贈した車両だそうです。なので厳密には細部に違いがあるそうです。細い方のチェッカーラインは遠目にみるとほとんど判別できないほど細ーいラインとなっています。
トヨタS800といえば、避けて通れないのはこの人、浮谷東次郎氏です。
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当時日本人で最もF1レースに近い男とも呼ばれました。残念ながら1965年8月にわずか23才の短い生涯を終えてしまいました。
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1965年7月18日、小雨混じりの船橋サーキットで行われたC.C.C.レースGT-Ⅰクラス。東次郎の駆るTOYOTA S800は5周目に生沢徹のHONDA S600との接触でピットイン。ほとんど最下位まで転落してしまいますが、その後レース中盤以降グングンと順位をあげてついに23周目でトップを行く生沢S600を抜き去ってしまいました。その後も高ラップタイムを維持し2位の生沢に19秒もの差をつけて見事優勝。“奇跡の大逆転“と呼ばれた昭和の名勝負です。
1位の表彰台に立った東次郎はレーシングスーツの裾を膝までたくし上げ、素足にビーチサンダルというイデタチ。「裸足の東次郎」と呼ばれ喝采を浴びました。
おそらく“日本人初のF1ドライバーに一番近い人“と言われた東次郎はこのレースからわずか1ヶ月ほど後の8月20日、鈴鹿サーキットにて慣らし走行中に、コース上に出ていたコース員2人を避けるためにコースアウトし横転。23才の短い生涯を終えてしまいました。合掌
ちなみに、彼はこの時なぜ表彰台でサンダル履きだったのかというと……自分の命を預ける大切なレーシングシューズを雨に濡らしたくない一心で降車後すぐにサンダルに履き替えていたそうです。そんなストイックな面のある人だったそうです。
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