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そして顕在の鬼へ

前回の投稿から色々と考えた。

僕らの身の周りには目を凝らせば浮かび上がるものが常にあると知った。  

僕達は常に見落としている。 
それらを浮かび上がらせて表現するのがアーティスト、あるいは芸人という職業の人たちなのか。

まさにそういった感性の鈍化というような出来事があった。

子供が寝静まり自分の時間に浸っている時、インスタで面白いアカウントを見つけた。 
その人のユーモアと脱力感に見入ってしまった。

やはり余裕が大事だ。
今日の自分の公園での子供へのピリピリした態度を戒めた。

あんなマインドは本来の自分ではない。  
せっかくの晴れた日に公園で家族が仲良く遊んでいるのに全てを台無しにしてしまう。
あの調子が続いては、みすみす幸せを手放す所だ。
そして、不幸を招く習慣を子供に学習させてしまう所だった。  
とまぁ、スマホからの情報の洪水から一旦身を引き、意識を自分に向ける。

ふと、壁に貼ってある我が子の絵を眺める。   
ようやく最近絵が描けるようになった。

5枚貼ってある。  この3ヶ月の間の絵だ。
最近の絵は顔らしき物が所々に描かれていて成長を感じる。 
よく見れば短い期間ながらその時その時で、ペンの走らせ方や絵の構図に癖があるように思える。

ふと、左下の絵に違和感を感じた。  

上下逆なんじゃないか?
右利きの我が子には不可解なペンの走り方だ。

と思い、絵を逆さにした。  

我が子のわずかな成長も見逃したくない今、やはり心が良からぬ感情に覆われていては見逃してしまう。   今日の公園でもきっと我が子らの成長はあったはずだ!  それを僕の怒り、すなわち子供達の行動への否定で消してしまうなんて!

この5枚の絵は1ヶ月ほど前から飾られている。

今気づくなんて。

やはり、平静を保ち、目を凝らし想像力を働かすことを怠ってはいけない。

世界の半分を失った様なもんだ。

前回の飛躍しすぎた想像から、今回は現実的な発見に至った。  

よーし、肩があったまってきたぞ。  顕在の鬼となる。

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