気遣いのレベル
私は人に死ぬほど気遣ってしまう。それこそ自分のことを蔑ろにしてしまうくらいには。気遣うということが優しさというか偽善なのか、よく分かってはいないがとにかく人並みの優しさは持ち合わせている。優しさでいったら困っている人がいたら助けなきゃとすぐ動くし、もし困っている人がいたのに助けられなかったらめちゃくちゃ罪悪感と後悔に苛まれてしまう。気遣いの面ではどれだけ自分の意見があったとしてもその場の安定のためには言えない。書いていてあれ?これ気遣いか?と思ったがまあ今は置いておこう。めちゃくちゃ生きていくのにめんどくさい性格だ。まあこんな性格のやつが周りにホイホイいるわけもなく、誰といても自己犠牲を激しく感じてしまう。なんか、自分だけ損をしているような。いつだって搾取される側のような、そんな感じ。だが、そんな日々を18年間過ごしてきて大学に入学した初日。正直この子に出会うためにこの大学に入ったのではないかと思うほどに運命の出会いを果たす。
入学初日、私は死ぬほど緊張をしていてもう誰とも話せない状態にいた。大学のスタートダッシュ、友達作りを1からやらなければ生きていけない。でも同じ高校の友達など1人もおらず焦りを1人感じていると後ろの席の子が私に話しかけてくれた。その子こそ私の救世主であり運命。Yちゃんだ。話しかけてくれた瞬間天使が舞い降りたのかと思うほどの感動を受けた。初めての出会いから今日まで、毎日Yちゃんと一緒に行動を共にする私だが、ずっと思うことがある。めちゃくちゃ居心地がいいのだ。ずっと相性がいいのだろうと考えていたが、今日、この謎が解けた。パッと見たTwitterに書かれていたことなのだが、「一緒にいて居心地がいい人は気遣いのレベルが同じ」なのだという。見た瞬間これだ!と思った。確かにYちゃんと私の気遣いのレベルが同じなのだ。必要な資料があればお互いの分まで印刷して被ったこともある。お互いにお互いのことを支え合っているような感じ。Yちゃんはとにかく優しいし私はYちゃんがその優しさで損をすることがないようにこちらからも思い合っている。相性がいいというのとお互いの気遣いのレベルが同じことはイコールだと思う。お互いの気遣いレベルが同じだと損をした感じがないしモヤモヤすることがない。安心感がある。私が今まで出会ってきた中で気遣いレベルが同じ人はYちゃんだけだ。
ここまで長々と駄文を綴ってきたがとにかく気遣いレベルが同じ人は逃さず大切にした方がいい。これに尽きる。