効果、効率、即効性
最近、効率を考えてしまう自分がいることに気付いた。
何かするときに、その行動が意味のあるものなのか、何が得られるのかを考えてしまう。動く前から結果を期待してしまう。
特に飲食店。行く前に、スマートフォンで調べて、口コミや評価を気にしてしまう。
そうした評価が偏ったものかもしれないし、自分にとって気にならないことかもしれない。
行ってみて気付くこともある。その意味で、スマートフォンでなんでも調べられることは考えものである。
巷でも、コスパやタイパが求められるが、これも効率と結果を優先するためだろう。
どうなるか分からない、そのもどかしさをどんどん排除して、分かりやすいものに単純化している。
例えば、最近の曲である。
イントロがなく、急に歌詞が始まり、曲全体も短くなっている。
また、なにか知識を得るのに使う時間も、デバイスが開発されるごとに短くなっている。
最初は、書籍である。それが石なのか紙なのかは関係ない。
本を読むにはまとまった時間が必要なわけで、重厚なものだと数十時間要する。
何日もかけて、読んで理解するのである。
次に、新聞とラジオである。
これらは、日々のニュースを知るという意味で即効性がある。とはいっても、自分が好む話題ばかりではないし、知識を得るのにはいささか効率が悪い。
その後開発されたのが、テレビである。
これも、さまざまなニュースを知ることができるが、なにより自分の好きな番組を選ぶことができるようになった。とはいえ、まだ視聴には数十分から1,2時間使う。映画も同様である。
革命的イノベーションが、スマートフォンである。
このデバイスを使えば、好きなときに好きなだけ見ることができる。
You Tube, Instagram, Tick Tock などがでてきて、数秒から数分というかなり短い時間でも一つのコンテンツを見ることができるようになった。
本のように長時間かけたり、ラジオや新聞、テレビのように無駄だと思われる情報も学んだりすることなく、自分に必要(だと少なくとも自分では思う)ような情報だけを取得する。ザッピングの極致である。
まさしく、タイパ、コスパである。書籍は安くて数百円、高いと5, 600円もする。そんな大金をはたいて得られる知識がどれだけの価値があるか、やってみないと分からない。
一方で、スマホで見られるコンテンツは、無料のモノがあふれている。コスパは、その意味でいえば、最強である。
果たしてそれが正しいのかははなはだ疑問である。
一見無駄のように思えても、それはやってみないと分からない。一旦調べずに、何でも試してみる。その中で、気に入るものを続ければよい。
そうした試行錯誤が必要なのではないかと思う。
現在の効率重視の社会に警鐘を鳴らした感じになったが、そんな社会だからこそ、美術館の混雑はうれしいのだ。
絵画を見て何かを感じても、特段何か賢くなるとか何か得られるとかでもない。
目に見える効果はないが、それでも芸術を求めて連日人が訪れる。
意味の分からなさ、効率の悪さを、これからも自分も含めてときどき求めていきたい。