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知っていることしか知らない
知っていることしか知らない。
僕が今日本語で書いているのは、日本語を知っているからで、フランス語では書けない。それは、偏に知らないからである。
知っている
人は、自分の頭にあることでしか考えることができない。
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例えば、この写真。この建物を知らない人は、立派な神社だと思うだろうし、外国の方は、What a beautiful shrine!と感嘆するだろう。これが、石清水八幡宮だと知っていれば、石清水八幡宮だとわかる。逆に知らなければ、絶対に分からない。もし、勘で当たったとしても、それは予備知識が多少あるからに過ぎない。参道に対してやや斜めに本殿が建てられている神社があって、それがたしか石清水八幡宮だったような記憶があるから、勘でもあたる。要は、知らないことと知っていることには超えられない壁がある。
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知らないことは知らないから、そこから広がる知識はない。知識は、ある知識から広がる可能性がある。だから、どんどん知識を増やしたり経験したりする必要がある。
そう考えると、知らないことは怖い。無知ゆえの勘違いもある。例えば、コーギー。尻尾のないフリフリとしたお尻を想像すると思うが、あれは本来の姿ではない。下は、ネットで見つけた、コーギーの写真。
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現在の日本では、可愛いという理由で生まれて間もない頃に断尾されていることが多い。
ただ、犬にとっては必要のない処理である。
原産国のイギリスでは、その昔牧羊犬として働かせるためや、税金対策のためなどで、断尾していたが、現在ではその必要性は無くなった。むしろ、体のバランスが取れない、断尾による病気のリスク、感情表現ができなくなるなどのデメリットの方が目立つ。
だが、日本では、見た目重視で生まれてすぐに痛みを感じないという(勝手な)理由で尻尾を切っている。それを知らずに可愛いと思って買う人が増える。そうすると、断尾は一向に無くならない。
詳しくは、こちらを
https://www.aeonpet.com/topics/pet-column_63.html.
知らないことが何かを知らず知らず傷つけることもあることも知って、いろいろなことに興味を持つ必要がある。
知識を広げる
自分の知識を広げるために、日ごろから取り入れる情報に敏感になるのがいいかもしれない。何かを見聞きしているときに知らない言葉に出会ったら、可能な限りすぐ調べるようにしている。それこそ、noteの他の方の投稿で、サバランというフランスのスイーツの話があった。知らなかったため、すぐ調べて、それを売っている店にその日に買いに行った。材料費の高騰で販売していなかったが、それでも自分で調べたことと買いに行ったことで、どのようなものかより鮮明に記憶している。(はやく食べてみたい。)
ここでも書かせてもらったが、日ごろ取り入れる情報で物事を考えているから、知識にどん欲でい続けたい。
今書いていて思ったのだが、人と話すことも大切だな。僕は、あまり人と関わらない自分と人と関わりたい自分がいて、前者が居座っているときが多かった。
最近、バイトの高校生と話してみて、全然違う考え方を持っていて、純粋に楽しかった。他の人との間に壁を作ってしまっていることもあるので、もっと人と接して、いろんな考え方や感じ方に触れないとなと思った。それも、知識の一つである。
人間関係でも?
人と接していたら、多かれ少なかれイラっとすることがある。なんでそんな言い方をするんだとか、それは違うだろとか、まあいろいろ。もちろん、こちらに正当性が十分認められて、あちらに非が認められる場合も考えられる。
とはいえ、あちらにも事情があるかもしれない。もともとそういう考え方の人で、自分がその人のそうした一面を知らなかっただけかもしれない。いつもは温厚だが、いろいろあって感情が煮えくり返ったのかもしれない。
所詮、他人は他人で、自分が推し量れる部分にも限界がある。とはいえ、自分がその人のことを知らないだけかもしれない。そう、一歩引いてみるという考え方を持つだけで、冷静に対処できるように思う。たとえわからなくても、知ろうとすること、それがはじめの一歩かもしれない。