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ほとんど絶望の希望
醜さの中に現れる美しさ。
夕焼けが綺麗とか、青々とした緑が空に映えているとか、そういうあえて言えば純粋な美しさだけではなくて、汚い中に少しだけ見えるような、本当に輝いているのかもわからないような美しさもある。
さつまいもを掘っていて、泥まみれの中ふと綺麗な石を見つけるような、儚い美しさのようなもの。
この間、『パンズラビリンス』を見て、そう思った。
内戦後のスペインで、生き延びようと必死にもがく少女オフェリアの物語。
内戦で父親を亡くしたオフェリアは、母親と共に再婚相手である独裁政権陸軍のビダル大尉のもとで暮らすことになる。恐怖でその場を支配し指揮する大尉は、生まれてくる男児を気にかけるだけで、オフェリアは、孤独な生活を送り、次第に妖精の世界にのめり込んでいく。
妖精の世界でかつて王女であったことがわかり、その王国に戻るために、3つの試練をこなしていく。
その過程で、現実の世界でも紛争が起こったり、仲間内での虐殺・裏切りが重なり、状況は凄惨さを増していく。
やがて妖精の世界と現実が交わり、オフェリアも残酷な争いに巻き込まれる。
それでも、オフェリアは、諦めることなく、試練の達成に直向きに走っていく。
数えきれない犠牲を出し、母親を失いながらも、オフェリアは、一条の光を見出していく。
裏切りや騙し合い、殺し合いなど、人間の醜さを反吐が出るほど描いている。それでも諦めずに弟を守り抜き、自身にも光を見出していく。
手放しに美しいと言えるわけでは無いが、汚さの中にある希望に、美しさを感じた。
この表現自体が的外れでもっといい言葉があるのかもしれない。
美しいというより、オフェリアの中に、苦しさや絶望に似た希望を見ていたのかもしれない。
絶望だが諦めきれない。そのどうにもならない精神性が、印象的だったのかもしれない。
この映画を観た後、『異端の鳥』も同じような感情を想起させると思った。
闇の中にいる少年が、それでももがいて光をみつける。
そうした苦しみの中に希望を見出していく姿を美しいと感じるのは、そうした切迫した状況にない自分の高みの見物といういやらしさによるものかもしれない。
それでも、映画を通して、そうした感情を自分の中に身つけられたのは、感受性を豊かにすることにつながっただろう。