機会費用という考え方
機会費用とは、ある経済行動をすることにより、失われたほかの経済行動のうち、最大の経済利益のことである。
ざっくりいうと、Aを選択しているということは、BやCを失っていることを指すということである。
スマホをダラダラいるくらいなら、本を少しでも読んで知識をつけた方がいいし、高いブランド品を買うくらいなら、量販店で2,3点買った方が経済的である。
それはそうとして、最近思うのは、他の人の時間を奪うことについてである。
いかに友達だとしても、自分のために時間を使ってもらっている以上、その人が本来別のことに使うことができた時間を奪っていることになる。
言い方が暴力的ではあるが、それくらいの認識を持った方がいいのではないかと思う。
そうした側面があるからこそ、遅刻もよくないし、そっけない態度をとることもいただけない。
相手の時間をもらっている以上、それに相応しい対価を支払えるような行動や言動、人間性を磨かなければならないと思う。
他人に何かしてもらうときは、よりその意味が強まる。
頼んでいるからこそ、ジュースを買うなり、ラーメンをおごるなりするのが礼儀だなとつくづく思う。
人により感覚は違うと思うが、僕は、その感覚が強いのかもしれない。そこにお金をケチることはよくないのではないかと。
「目には目を歯に歯を」の反対で、「誠意には誠意を」だと思う。