意味のないことだらけなので
YouTube、アニメ、音楽など意味のないものは多い。
ここでの意味は、ある行いをすることにより、良くも悪くも確実に何か生まれることである。
お手洗いや食事、睡眠など生活に直接かかわることは、意味があるし、仕事も意味を持つ。
とはいえ、日々の生活のほとんどが、意味のないことでおおわれている。
よく本を読んだり音楽を聴いたりするが、それが直接的に何かを生み出すわけではない。意味があるかもわからない。
でも、人生ではそんな意味のないことを繰り返し行うものだと思っている。
意味があるか分からない、というよりもむしろ意味無意味もどうでもいい感じで、今を楽しむ。それが大事だと思う。
とかく最近は、個性が大事だといわれて、何がしたいのか、どんな能力を使って何に生かしたいのかを問われる。行動の意味は何だと。
そうは言われても、そんなものは分からない。
ただ、一つだけ意味があると思うのが、いろいろやってみることじたいではないかと。
何をすればよい効果が表れるかは誰にも分からない。本を読めばいいのか、漫画は悪いのか、そんなものは分からないし、評価軸も別にない。
その意味が分からないからこそ、ある一つの行為だけをするのは危険ではないかと思う。いろいろやってみて、自分にとって有意義なものを選べばよい。
行動を純粋にしていくと、それ以外の視点が得られなくなる危険性がある。あまりネットの世界はよくないなと思うのは、この観点からである。
ネットの世界では、自分に都合がいい価値観だけを集める傾向にあり、韓国人はダメだ、ヴィーガンが至高だ、というような極端な思考になりやすい。
世界が純化してしまう。自分から井戸に入っていくようなものである。
自分の世界を狭めない、広めるためには、とにかくやってみることがいいのではないかと感じる。
スキーを始めるとか観葉植物を育てるとか、そういうハードルが高いものだけではなく、
コンビニで普段は麦茶を買うが、今日はジャスミンティーを買うとかそういった「しょうもない」ことも、自分の世界を広げるのに資するのではないかと思うのである。